第2話 ペンギンはすれ違う
アデリアとその助手という立場をもらえた私は、不格好な宇宙服を着て、ペンギン達といっしょに暗いエアロックの中にいた。むいむいと不安そうな声が、集音マイク越しに聞こえている。
オープンという緑色の大きな文字が灯る。ガコンという大きな音がしたら、何重にもかけられた扉が開いていく。少しずつ氷原が見えてきた。薄っすらと緑色をしたメタンの氷が静かに広がっていた。
「行くよ」
アデリアの声が接触通信でヘルメットのスピーカーから聞こえた。ペンギン達は前へむいむいと言いながら歩いていく。私達に追い立てられるのではなく、自分から一歩を踏み出していった。
「よしよし。いい子だ」
最初の一羽が天王星に降り立った。それから残りのペンギン達も、同じように氷を踏みしめた。
元気いっぱい、ペンギン達は遊び始めた。好奇心旺盛で、あちこちをのぞいたり、機材にいたずらしたりしていた。
特におかしい様子はないことに、私はほっとした。無事順応している。酸素呼吸からメタン呼吸に切り替わっている。
「さあ、ご飯だよ」
アデリアが手を叩きながらそう言うと、小さなエアロックの扉が開いた。船内の〈プラント〉と呼ばれる総合生成装置が作る栄養たっぷりのペレットが、設置した台の上に放たれる。ペンギン達が一斉に振り向いた。ぺちぺちと歩きながらたどり着くと、みんな一生懸命にペレットをついばんだ。
「ナオ、養殖魚は見たことある?」
「うん、お母さんのそばで少し」
「育てた魚を海に放つけれど、餌付けして海面に引き寄せる。そうすればチェックも簡単にできる。捕まえることもね」
ご飯に夢中になっているペンギンの後ろにまわると、アデリアはその子を持ち上げて見せた。おとなしい。頭のリングが少し欠けているけれど、口をあむあむとさせていて、とてもかわいい子だった。
観測班の人達が何人かやってきて、私達に触れ「手伝います!」と言ってくれた。いっしょに餌をついばむペンギンを観察した。食べっぷりはどうかとか、他の子にご飯を取られていないかとか、そうした様子をずっと見守っていた。アデリアはそんな私達を観察するようにずっと見つめていた。
🐧🐧🐧
何度もこうしたテストを続けた結果、ついに残りのペンギンが放たれる日が決まった。船内の研究者は慌ただしく準備を始める。餌の供給を増やさないといけないし、行動の観察を何倍もこなさないといけない。そして、その先にあるペンギン達と話すことも見据えている。
いつものように餌を食べ終わったペンギン達を追いかけるように氷原を歩いていたら、営巣地を見つけた。卵が産まれている。そっと卵を足元で抱えているペンギンに、さっきまで餌をついばんでたペンギンが近づいてきた。口を開けて見せ、吐き戻した餌をその子に食べさせている。
「君はいいお母さんになれるよ」
私はその様子をそっと見守っていた。
観測班のひとりが宇宙船のほうから近づいてきた。私の袖をつかむと、接触通信を行う。男の人の詫びる声が私のヘルメットに響いた。
「すみません!」
「あ、えと、観察の邪魔でした?」
「いえ……その……」
「何でしょうか?」
いきなり頭を下げられた。
「付き合ってください!」
「え? 私?」
「はい! 一目惚れなんです!」
これって告白って奴?
どうしようかととまどっていたら、ペンギンに足をついばまれた。
「あ、その……。ごめんなさい。私にはもう好きな人がいて……」
とたんに「ほらー」、「玉砕じゃんか」、「あー恥ずかしい」といういろいろな男の人がヘルメットから聞こえた。よく見たら宇宙服に有線通信のケーブルが付いていた。
「すみませんでしたっ!」
「いえ……。でも、研究は一緒にやれたらうれしいです」
「ありがとうございます!」
「名前は……」
私はヘルメットのバイザーに表示された名前を読み上げた。
「ロイ・ウィルソン先生、ですか?」
「はい! 観測班の班長をしています!」
また頭を下げられた。礼儀正しい人なんだろうな。
ひとしきり現状と観測内容を離すと、ペンギン達の間を抜けて、接地した機材を手際よく点検していった。ときおり私のほうをちらっと見てる。
入れ替わりにやって来たアデリアが、私の腰のあたりに手をまわした。
「もったいない。せっかくの精子提供者なのに」
「アデリアは寝取られて欲しかったの?」
「そんなこと望んでない。でも……。そうだね……」
「アデリア、どうしたの?」
「ただの見解の相違って奴だよ」
🐧🐧🐧
アデリアがなかなか帰ってこない。研究に熱中しているのであれば、それでいい。黙って待つしかない。
同じ研究者だからそれはわかる。でも、恋人としては耐え難い。
地球時間で5日経ったとき、スレートから知性化委員会からのメッセージが届いた。アデリアが何かやらかしたのかもしれない。知性化委員会は、そういうときに呼ばれる、えらい人同士の集まりだった。
指定された日時に決められた通路を行く。個人認識のためゲートに手をかざすと〈特別通行〉という赤い文字が流れた。ゲートが開いていく。その廊下の先には、所長室と書かれたプレートがちらっと見えた。近くまで行くと、この船ではめずらしいマホガニーでできた大きな木の扉が自動で開いた。
「失礼します」
そこは無意味に広い部屋だった。壁には天王星の様子が一面表示されている。ふわっとした赤い敷物が床に敷き詰められていた。アンティークな飴色の長机と椅子が、その先にあった。無駄に贅沢だった。宇宙空間では無駄なことはできない。それを享受できるということが、権威の象徴だった。
机の向こうには、ウォルフラム所長と、その右腕と言われる長身のエプスタイン先生が青白い顔をして無表情に座っていた。不敵に微笑んでいるアデリアの姿もあった。机に投げだした手首には拘束用のバンドが巻かれていた。
アデリアはいったい何を……。
所長はとまどう私にやさしく丁寧に声をかけた。
「ナオ・イチムラ先生、急に呼び出してすまない。発達言語学の権威であるのに、ここまで献身的にペンギン達を世話してきた。なかなかできないことだ。すごいことだと感服している」
どうして偉い人は良くないことを話す前に褒めるのだろう。嫌悪感が増していく。私はそれを隠すようにたずねる。
「ありがとうございます。何か問題があったのでしょうか?」
「順調には行っている。だが、ペンギン達の知性化の兆候がなかなか見られない。私達はそこを危惧している」
「どういうことですか?」
「アデリア・シェーグレン先生のレポートについて、私達は再調査している」
それで……。
アデリアが研究で不正をしたと疑われている。
母の影がちらつく。こうして責められて、母は……。
私は呼吸を整えると、毅然とした態度で言った。
「アデリアは良き研究者です。論理的違反は何もしていないと思いますが?」
「まあ、そう決めつけずに。我々は常に第三者の正しい視点で事態を眺めている。仲がとても良いイチムラ先生にも、これは悪くない話だ」
こいつ……。意地が悪い。
所長は腕を組むと、エプスタイン先生に「現状報告を」と声をかけて促した。
壁面モニターにずらりとレントゲン写真やグラフが映し出された。エプスタイン先生は静かな声で話し始めた。
「1年目の成体でここまで大脳皮質が育っています。人間で言えば5歳児を超えています。脳の電気活動、言語野の発達具合、ホリゾンデルカウントもそれを示しています。
でも、ペンギン達は『むいむい』としか言いません。この声でコミュニケーションを取っているようには見られません。
そこで私達は『設計図』のほうがおかしいのではないかと思い、アデリア・シェーグレン先生にご協力いただいて、再調査をしています」
ご協力……。アデリアのことだ。委員会の強行な調査にめちゃくちゃ抵抗したのだろう。
私は考え込む。研究者として考えないとアデリアを救えない。私はつぶやくように思考を漏らした。
「問題になっているのは、認知と行動のところですか?」
「そうです。察しが良いですね。先天的、または後天的な問題があって発声ができない可能性があります」
「発声器官は?」
「正しく形成されています。人とそう変わりません」
「コミュニケーションは?」
「とくにこれという問題は見られません。知性化する前のペンギンで見られていたものと同じです」
「教育は?」
「それは……」
エプスタイン先生は言葉を濁すと、ちらっと所長の方を見た。何かで見た気がする。教育は所長の担当範囲だったはず……。イライラとした声を所長があげる。
「人の会話を身近においている。君たちだって良いスピーカーになっているはずだ」
「体系的に教えないと発達を促せません」
「イチムラ先生。君は言語学者なのだろう? しかも発達領域の専門家だ。君のお母さんと同じ分野を研究している」
……え?
母のことを出されて、私はつい頭に血がのぼった。
「母は関係ありませんが」
「君のお母さんは、イルカに言葉を教えたことで有名だった。論文の査読や追試した者は、皆これに否定的だった。君のお母さんは科学者ではない。だからこそだ。君はそうではないと証明したまえ」
「母は立派な科学者でした。あなたたちが責め立てなければ」
「論文がまともに出せない者は科学者ではない。君の論文はそうではないと私が証明してあげよう」
「……何をさせたいのですか?」
「言葉だ。ペンギンが意味のある言葉を発せられることを証明しなさい。それが知性化が成されたとみられるポイントのひとつだ。そうしなければ、この研究は残念なことになる」
なにそれ……。論文推薦の取引まで……。
怒るあまり押し黙った私に、所長は続けた。
「わかるね。成果を出しなさい」
「……捏造しろ、ということですか?」
「それは自分で考えることだ」
私は拳を握り締め、湧き上がった怒りを鎮める。
アデリアのためだ。そして彼女のペンギンのため……。
私は頭を下げ、その場から立ち去った。アデリアは私のほうを見てはくれなかった。
🐧🐧🐧
それから3日ほど部屋に引きこもった。ずっと嫌な思いをしながら、研究データを読み漁る。確かに肉体的なところは問題ない。アデリアは完璧な仕事をしている
「なら、心的なところか……」
人が初めて声を出す時は、何かの欲求が多い。
お母さんが手を伸ばして「おいで」と言ったとき、離れて寂しかったり、そうしたらお母さんが喜ぶという思いが子供の中に起きて、始めて声が出る。
部屋のドアがふいに開いた。誰かはわかっていた。少しやつれたアデリアが、私をじっと見つめていた
「解放されたの?」
「うん。まったく同じ研究は続けさせてもらえなさそうだけど……」
「そうなんだ……」
「ごめん。巻き込んで」
「いいよ。でもさ」
私はイライラしていた。これを言っちゃいけない。わかってる。でも、言ってしまった。
「私も同じドクターなんだよ。私も協力するのに」
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