飛べないペンギン、宇宙を飛ぶ!

冬寂ましろ

第1話 ペンギンは天王星の氷原に放たれる


 実験宇宙船アウスタティング号は天王星へのアプローチ軌道に入ったと、船内アナウンスが響いた。これから半年かけて、船はゆっくりと氷に閉ざされた惑星へ降り立つ。5年もかかった航海の果てに、やっと船は目的地に到着する。

 遠くに来てしまった。そのことに、もう会えない母の顔が浮かんだ。

 仕方ないよ……。だって……。


 「むいむいっ!」


 抱えていたペンギンの雛が私の手から逃れてようと、じたばたと暴れ出した。


 「こら。もうすぐだから。あとちょっと我慢したら、広いところに降りられるからね」


 灰色の綿毛に包まれた雛鳥は「むいむいっ!」と大きな声で返事をした。

 私の言葉はまだ理解できないはずだった。それでもそれは「わかった」と返事をしたのだと思った。幼いときの私を母がわかってくれたように……。


 宇宙船内の狭いペンギン飼育室の中では、たくさんのペンギン達の声があふれていた。卵を抱えているペンギン、お互いを見ながら羽をばたつかせているペンギン、伏せて床をすべっているペンギン、みんな「むいむい」と言っている。

 白衣姿のアデリナが、ペンギンの群れを掻き分けるようにして、私のほうに近づいてきた。私のそばで卵を足元に抱えているペンギンをそっと撫でた。


 「卵を抱えているのはお父さん。なら、お母さんはどうしているのだろうね」

 「何それ、アデリア。謎かけか何か?」

 「そんなもん」

 「そうね……。たぶん雛に会えるのを楽しみにしていると思うよ」

 「薄情なものだね。母親のくせに」


 トゲのある声を聞いて、私はアデリアの姿をよく見た。

 普段はきちんとまとまっている金色の髪が、ふわりと肩へ垂れていた。私は心配しながらアデリアへ声をかけた。


 「今日の実験は?」

 「なんかうまく行かなくてさ。頭きてサボった」

 「稀代の天才生物学者がサボり?」

 「発達言語学の権威であるナオ・イチムラ先生こそ、専門外なのにペンギンの世話ですか?」

 「よしてよ。いまの私は役立たずなんだし。他にやることないんだから……」

 「まあ、フェーズ的には、ずっと後の出番だものね」


 そのとおりだった。でも、私はそのことで焦っていた。それを隠すように私は明るく言った。


 「でも、楽しいよ。ペンギンの世話って。今日もね、雛が20匹も孵ったんだ。みんなふわふわとしてて、かわいいの」

 「そうか、そうか。なんたってあれは私の遺伝子組み換え技術の最高傑作だからな」

 「頭の上に輪を付けたのも、アデリナがやったの?」

 「肥大化させた大脳皮質をどこに入れるかで、さんざん揉めたんだ。結局横に広げるようにして、薄くなった頭頂骨を保護する目的でケラチンの輪を作ったんだよ」

 「いいと思うよ。あの姿、私は好き。天使の輪みたい」


 微笑む私を、愛おしそうにアデリナが見つめる。狭い船の中で知り合った、気が合うだけの女性同士。ただそれだけなのに、私達は付き合っている。


 「ナオ、そろそろ所長のお小言タイムなんだ。どうする?」

 「そっち行くよ。ちょっと待ってて。着替えてくる」

 「わかった。なんかつまむ?」

 「あ、うれしい。少しお腹空いたし」


 私は立ち上がると、バイバイとペンギンの雛に手を振った。よたよたとふたりでペンギンのように歩いていった。


🐧🐧🐧


 アデリアの部屋のソファーに下着姿のままで寝そべりながら、髭がたくましいウォルフラム所長のライブストリーミングを眺めていた。


 「人類全体の少子化が続いている。これは危機的状況である。

  医療的対策なども頭打ちであり、人類の増加はすでに人工子宮頼りだ。

  機械工学では人の代わりは作れないでいるし、ノイマン型コンピュータでのAIは人の知能まで届かない〈クルーゾンの限界〉も知られているところだ。

  多くの研究者が人類黄昏説をささやいている。

  宇宙だ。

  だからこそ宇宙だ。

  私達は太陽系外へ出て深宇宙を探索し、閉塞した生存環境を打破し、種の存続を成さねばならない。

  そのためには伴侶となる生物が必要だ。生物を人工的に進化させ、知能を与え、共に宇宙を目指せる良き伴侶が必要なのだ。

  それが〈ペンギン知性化計画〉である。

  様々な生物の中から検討した結果、宇宙の冷たさに耐え、環境に応じて自らの身を変えてきた彼らこそ、私達の真の友人足りえる。

  私は人類とペンギンが成す歴史の一助になれることを誇りに思う。

  3000匹の人口進化が施されたエンジェルペンギン、自ら志願し5年もの長旅を共にした我ら3000人の研究グループ。

  いよいよ成果を見せるときが来た……」


 あぐらをかいて座っていたアデリアが、ぽちりとリモコンのボタンを押した。壁のモニターが、船外カメラが撮っている宇宙の黒い映像に切り替わる。


 「アデリア、いいの?」

 「視聴義務時間は過ぎたし。所長の壮大な言葉は退屈だよ」


 そう言いながらパックに入ったノンアルコールビールを飲み干す。私は大豆由来のカリっとした塩味の何かをつまみながら言う。


 「偉い人なんだから、演説ぐらい付き合ってあげればいいのに」

 「嫌だね。宇宙なんてろくなもんじゃない。人類は地球に引きこもっているのがいちばんなのさ。宇宙探査へ行くなんて予算獲得の方便だ」

 「そうかもしれないけれど……。それでもさ。みんな宇宙に行きたがるのはなんだろうね。ペンギンまでいっしょに連れてって……」


 アデリアがモニターをじっと見る。わずかに目的地である薄緑の光が見えていた。


 「ペンギンさえいればそれでいい。これは私の作品だから」

 「そうだね……。いつか話せると思いながら、ペンギン達と過ごすのは、なんか、こう……」

 「赤ん坊を抱えたお母さんみたい?」

 「そんな感じなのかな……。わからないけど……」

 「なら繁殖する?」


 アデリアの手が私の肩に伸びる。ブラの肩紐を外される。もう……。そうなるのはわかっていたけどさ。私はむすっとしたふりをして文句を言う。


 「最低。もっといい口説き方はないの?」

 「生物学者らしいだろ?」


 手がやさしく下へ降りていく。アデリアが私をさかりのついた生き物にさせていく。私にはそれが嬉しかった。


🐧🐧🐧


 暗いベッドで、アデリアが持つスレートだけがまぶしく光っていた。送られてきた最新の研究データを裸のまま読んでいく。鋭い目が文字を追いかけていくのを見ながら、私は自分の肌をアデリアにくっつけた。温かい。でも、少し寂しい……。ふと漏らした言葉に、自分で少し驚いた。


 「私、お母さんになりたいな……」

 「え? なに? そういう雰囲気になっちゃったの? この船にいる間はバースコントロールされているから産めないよ?」

 「違う違う。そういうんじゃなくて……。アデリアの子はかわいいだろうなとか、いろいろ考えちゃって……」

 「なにそれ。私から精子作るのたいへんだよ? iPS細胞からになるし……」

 「そうなんだけどさ……」


 アデリアがスレートから目を離す。私の肩に腕を回し、ベッドの中で私を抱き寄せる。


 「ナオ。なんかあったの?」

 「ほら、ペンギンの雛がかわいくてさ」

 「母性本能、くすぐられた?」

 「そんなとこかな……。私、お母さんって、よくわからないんだ」

 「うん? カツミ・イチムラ先生のことは私でも知っているよ。イルカに言葉を教えて意思疎通を図った初めての人だ」

 「研究が再現できなくて詐欺師扱いされて……。私が3歳の頃に死んじゃった」


 私は勤めて明るくそう言った。アデリアは何も言ってくれない。言葉を選んでいる。研究にはずけずけ正論をいうくせに、こういうときは本当にやさしい。私はいたたまれなくなって、愛想笑いをあわてて浮かべた。


 「あ、えと……。アデリアのお母さんはどんな人?」


 アデリアの腕が離れていく。仰向けになると、何も見たくないとでも言いたげに、自分の腕で目を覆った。


 「20も子宮があって、身長3mぐらいで、たくさんのパイプにつながれていて、顔がよくわからない生き物」

 「ごめん……」

 「いいよ。自分が人工子宮生まれのデザイナーズチルドレンだってことは、そんなに嫌じゃない。ただ『お母さんだよ』と言われてあれを見させられたとき、すごく怒ったんだ」

 「どうして?」

 「お母さんの名前は『3A型人工子宮239号』って言われた。あまりに生き物ぽくなくってさ。遺伝子改変された何かであっても、ちゃんと生きてるのに。その怒りがいまの研究につながっている。生き物を愚弄するなって……」


 私は顔を覆っていたアデリアの腕を取り、そっとキスしてあげた。


 「大丈夫だよ。きっと大丈夫」


 アデリアの怒りの陰に隠れている悲しさを、私はそっと慰めた。

 少しだけ涙くんだ顔を見せたアデリアは「ごめん。見せたくない」と言って、枕に顔を埋めた。


 私達は女で、母親になろうと思えば、きっとなれる。妊娠してしまえば嫌でもなれる。それでもそうなることに不安を覚えている。


🐧🐧🐧


 天王星へ着陸したあとは、とにかくたいへんだった。たくさんの作業が急ピッチで進められた。

 ペンギン達はどこか心躍っているようで落ち着きがなかった。私達はその中から犠牲になってもかまわないものを選ぶ。おとなしいもの、病気がちのもの、何度も妊娠していてこれ以上は望めないもの……。いきなり全部のペンギンを放して全滅してしまっては困るので、こうして選んで少しずつ放していく。

 最初は10羽を放すことになった。あらかじめ観測班の人間たちが天王星の氷原に降りて、撮影用のカメラやレーダーといった機材の設置をしていく。天王星へ初めて降りた人類なのに、そんなことはかまわず、みんなあわただしく作業を始めた。

 いよいよ私達の番だ。

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