第48話

48.


 ――あれは優が小学五年生、結衣が二年生の時のこと。


 夏の夕暮れ、橙色に染まった街並みに微かに土のにおいが混じり、雨の予感を感じさせた。

 優と結衣はランドセルを背負って、学童から家へ歩いて帰るところだった。


 二人が手をつないで歩いていると、草ボーボーの空き地の隅に女の子が座っているのが見えた。

 ショートボブで、大きな眼鏡をかけ、白い半そでティシャツに短い緑色のキュロットを履いていて、一見男の子と見間違えてしまいそうな恰好だった。

 ――その子が恵だった。


 目の前には段ボール箱があり、恵は手を入れ、中をのぞき込んでいた。

 通りすがりに二人がのぞき込むと、中には一匹の白い小さな仔猫がいた。コーネだ。

 恵は雨を心配してか、透明なビニール傘を開いて横に置いた。

 

「猫ちゃん、可愛いね!」

 結衣が見知らぬ恵に話しかけた。


「えっ、うん。そうだね」

 少しびっくりしたように、恵は言った。

「捨てられちゃったみたいなんだよね……。一週間前位からいて、ご飯あげてるの。本当は飼いたいんだけど、ママがダメっていうんだ……」


 声は可愛い女の子のもので、優は、

(男じゃないんだ!)

と一瞬驚いた。


(でも、きれいな目だな……)

 恵の澄んだ黒目がちの目に、優は一瞬見とれた。


 段ボールの中には柔らかそうな餌の入った皿と、水の入った容器があった。


「猫ちゃん、お家で飼える?」

 思いついたように、恵は優と結衣を見て言った。


「えっ、だめだと思うな」

 優はびっくりして言った。

「母ちゃん俺とか結衣が何か飼いたいって言うと、いつも俺達の世話で精一杯って言ってるし」


「えー飼いたいーー‼」

 結衣が急に大きな声で言った。


「ダメだって、ぜってー怒られるって。ほらもう行くぞ‼」

 優はこれ以上結衣が駄々をこねないよう、つないだ手を引っ張るようにその場を後にした。


「ごめんな!」

 優は一瞬振り返り、恵に言った。 


 恵は優が振り返ったことに驚いたように、ただこくんと頷いた。



 優達が横断歩道を渡り反対側に行くと、しばらくして恵も道路を渡って同じ方に来た。

 帰り道が途中まで同じなのかも知れない。


 それを追いかけるように、白い仔猫が道路を横断しようとしていた。


(あ、危ない‼)

 優がそう思うとほぼ同時に、仔猫の方に車が向かっている。


 車はとっさによけようとしたがよけきれず、後ろのタイヤで仔猫の右後脚を轢いてしまった。そしてそのまま車は行ってしまった。


「ぶみゃーーん‼」

 ぴくぴく震える仔猫に、優は一瞬もうだめかと思った。

 

「猫ちゃん‼」

 そう叫ぶ恵は、両手を口に当て、動けないでいた。


 優はとっさに、少し後にいた恵に、結衣の手を握らせた。

「ごめん、ちょっとこのこと手つないで待ってて‼」


 そう言うと優は、車が途切れるのを見計らって、仔猫のところにかけていった。


 仔猫は四肢を伸ばしぴくぴく震え、痛みからもがいていた。

 右後脚は血がでて、ぐしゃっとなっていた。


 優は一瞬、

(もうだめか……)

とも思ったが、

(まだ生きてるんだ、出来ることをしよう‼)

と自分を奮い立たせた。


「大丈夫、助けるから‼」

 優はそう叫ぶと、もがく仔猫をハンカチで包み、そっとすくい上げた。


 道行く車は、優とコーネを気遣うように、ゆっくりと徐行していた。

 優が道を渡ろうとすると、近くの車が止まった。


 優はびくんびくん震える仔猫を両手で抱えたまま、恵と結衣の元へと戻った。

 恵と結衣は何も言えずに、恐怖と心配を顔に貼り付けていた。


「近くに動物病院あるから、こっちて来て‼」

 優はそう言うと、仔猫に負担がかからぬよう、でも急いで病院に向かった。


 恵と結衣は手をつないだまま、優の背を追った。


 病院へ着き、受付の人がか細く鳴く仔猫に気づくと、一瞬で大きな騒ぎとなった。


「このこ、捨て猫なんですけどひかれちゃって――」

 優はそう口をはさむので精一杯だった。

 

 大人達が仔猫を救おうと懸命に動くのを、優、恵、結衣の三人はただ見ていることしかできなかった。

 うつむく恵はハンカチを目に当て、声を押し殺して泣いていた。

 優はなんて声をかけていいか分からず、震える背中をゆっくりさすることしか出来なかった。


 三十分ほど経ったろうか、優達が不安げに待合室で待っていると、看護師さんのような恰好をした女の人が来て声をかけた。


「あなた達、お家の人が心配するからもう帰りな」

 ランドセルを傍らに置いた優と結衣を見て、心配するように言った。

「仔猫、命の心配はなさそうだから。あとは先生が助けてくれるから。捨て猫なんでしょ?」


「良かった……。でも、猫ちゃんが心配なんです……」

 恵が小さな涙声で言った。

「私のせいなんです、私の後ついてきちゃったから……。

 お金、後ででいいですか? 今持ってなくて……」


「治療費はね……それはちょっとどうなるか分からないから、ここに名前と住所、電話番号書いていって。それで、明日は休診日だから、明後日以降に連絡するから」

 そう言って、女の人は問診票のような物を恵の前に出した。


「俺が勝手にここに連れてきちゃったんだから、俺も半分払う」

 優がそう言うと、女の人は優にも問診票ののったボードを差し出した。

 

 それから、優達は気もそぞろに家へ帰っていった。


 優が恵と会ったのは、結局それっきりだった。


 事故の二日後、動物病院から、ちゃんと歩けるようになるかは分からないけれど、とりあえず一命は取り留めたと連絡があった。


 捨て猫を助けただけだから治療費はいらないと言われたが、優の親はそれを良しとせず、自分の子どもが病院に連れてったのだからと治療費を払った。

 そしてそのまま、その仔猫、コーネを飼うこととなったのだ。

 コーネの治療費として、それまで貯めてあった優と結衣のお年玉貯金は全部使われてしまったらしいが。



 その二年後――。

 優は中学の美術部で恵と出会うが、眼鏡がコンタクトに代わり、髪型もすっかり女の子っぽく可愛くなった恵に、優は全く気付くことはなかった。

 

 そんな優の背中を、恵は悲し気に見つめた。


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2024年12月25日 06:11
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