ハーピーとコンカフェ嬢

「あたし、ハーピーなんだよね」

―――――――――と、頭に羽を生やした女は電子タバコ片手にそう言った。


ひよこちゃん(源氏名)の頭に羽が生えていると知ったのは、ある日の喫煙室である。缶コーヒーと煙草片手にドアを開けてみれば、同僚である彼女が大変リラックスした様子で電子タバコを嗜んでいた。

「(そういえばひよこちゃんって七連勤目だっけ。大変だなあ……)」

そんな風に思った私は、お疲れ、とお決まりの言葉を言おうとした。言おうとして、固まった。彼女の頭に羽ばたく、小さな一対の赤い羽を見てしまったからである。

制服の一部であるヘッドドレスの横に、ぱたぱたと動くそれ。

私がよほどまぬけな顔をしていたからか、彼女はちょっとだけ笑って「驚かせてゴメンね」と手を挙げて言った。

……そうして、最初の台詞である。


「……ハーピーって何?」

「ありゃ。ハーピー、知らない?鳥女とも言うんだけどね、まあ要はバケモンだよ」

「ひよこちゃんは、化け物なの?」

「うん。……ああ、出てきた。こういうの」

ひよこちゃんのスマホの画面には、ハーピーの画像がずらりと並んでいる。人間で言う両手には翼が、下半身にはすらりと伸びた二本の足では無く、羽毛の生えた鳥の下半身が付いている。そうして顔は―――――軒並み、怖い。

思わずひよこちゃんを見てしまう。ひよこちゃんは黒髪ボブに、赤いインナーカラーを入れたお洒落さんだ。その上アメリカンダイナーにも似た赤と白の制服に、同じ配色のストライプのタイツ。白くてふわふわのヘッドドレス。目を細めて、ちょっとだけ唇の端を上げる笑い方のクセがある。一口に可愛いと言うにはちょっと毛色の違う、妖しい雰囲気が魅力の女の子だ。この画像の、おぞましい顔をした化け物と同じものだとはどうしても思えなかった。

「ひよこちゃんも、家ではこんな感じなの?」

「あは。あんずちゃん、変な事聞くね。あはは!もっとビビれよ!」

ひよこちゃんはころころと鈴を転がすように笑う。何がそんなに面白かったのだろうか、しばらくころころしてから私の質問に答えた。

「うん。リラックスしてるとこんな感じ。でも換毛期とかはめんどくさいから人間の姿でいる」

「換毛期」

「部屋中羽まみれになっちゃうの。あたし、掃除キライだからさ。なるべく散らしたくないっつーか」

換毛期がある人の話を初めて聞いたので、なんだか私まで物珍しさにくすくすと笑ってしまう。でも、リラックス。リラックスか。じゃあさっきは、煙草吸ってのんびりしすぎたってことだ。

「そういうことになるね。あーあ、恥ずかしい。ねえ、このこと黙ってられる?言いふらさない?」

言わないよ、と私は笑いながら返した。だって「同僚がハーピーでした」なんて、誰に言っても信じてはくれないだろう。そう言えばひよこちゃんは眉を八の字にして、続けた。

「ホント?誰にも言っちゃ、イヤよ」

「言わないよ。言わない」

「…………ありがとう。あ、そうしたらさ。黙ってくれてるお礼に、あたしの卵あげるよ。あんずちゃん一人暮らしだったでしょ?料理とかに使ってよ」

「卵!?それ、食べていいの!?」

「無精卵だし、いいよ。毎回一人で処理するのもしんどいしさ。鶏の卵なんかより、よっぽど大きいオムライスとか卵焼きができるよ。どう?」

「あ、あはは………ありがとう…………?」

そうお礼を言えばひよこちゃんはにっこりと、普段のような少し妖しさのある笑みで微笑む。裏の在る笑みだから妖しいのか、それともこの笑みこそが彼女のデフォルトなのか。普段仕事以外で付き合うことが無かったものだから、私にはそれがわからなかった。でも、すてきな笑顔だなあと思った。



さて、めでたく私には可愛らしい化け物の同僚が出来たわけだが――――――そんな蜜月は、長くは続かなかった。

私たちが働くコンセプトカフェ「cawaii♡diner」ではもちろんシャンパンがあるのだが、ひよこちゃんをいつもご指名してくれているお客さんが、彼女にシャンパンを開けてくれたのである。それは最も度数が高く、最も値段が高い代物だった。

そんな代物なので、勿論ふたりだけで飲み干せるわけもなく。私も含む、他のキャストさんも宅についてご相伴に預からせていただいた。ちびりと飲むと、口内いっぱいにがつんと来る甘さが広がり、甘さは毒となり、火となり、じわじわと喉を焼いていく。けれど、その感覚はけして不快ではない。むしろ、喉と一緒に全身がじわじわと焼かれていくようで、退廃的な快楽があった。

そして、事件は起こったのである。

宅の主役であるひよこちゃんは、いつも以上にお酒を呑んでいた。注がれるまま飲み、飲み、飲み続け――――――――彼女の体は、リラックス状態となり。

「はあ。きもちいい………なんかふわふわして、飛んでっちゃいそう」

そんな風に舌足らずに、真っ赤な顔で言う彼女にお客さんは「トんでるひよこちゃん、見たいな」なんて言ってしまったのである。

「うん、いいよお」


瞬間、ひよこちゃんの首と胴体が離れた。


首には――――――というか頭には、あの日私が見た赤い羽根が生えていた。あの日見たものよりはるかに大きなそれは、まるで猛禽類の羽根のようで。コンカフェの店内に、生首が赤い羽根を伴ってばさばさと羽ばたいている。そんな光景が、広がっていた。

もちろんキャストも他のお客さんもそれに釘付けになる。私は、青ざめる。彼女はというとけらけらと笑いながら「やっぱり飛ぶのってきもちいーね!」なんて、照明の横を旋回しながらはしゃいでいた。

そういえば、ハーピーの中には生首に翼が生え、足も生えているものがいるという。

私はぼんやりと、そっちの姿にもなれたんだね、なんて思ってしまった。




「クビになっちゃった。二重の意味で……」

笑ってはいけない状況があると言うなら、それは今である。普段の制服を脱ぎ、オーバーサイズのパーカーを着た彼女は、喫煙所でしょんぼりとしていた。それはそうだろう。人間だと思っていたキャストが生首ひとつになって店内を飛び回っていたのだから。

あの日の事は度数の高い酒を呑んだことによる悪夢という扱いにはならず、また職場も化け物を雇用する理由はなく、見事に彼女はクビになった。

「あーあ、明日っからどうしよう。正直さあ、お酒飲んで人間と会話して、これ以上にラクな仕事なんか無いってのにさ」

「ナメんなよ化け物」

「うるさーい。クビになった同僚にかける言葉がそれなワケ?」

「首になったのは自己責任じゃん」

「あはは。それはそう。」

でもどうしよっかなあ。電子タバコ片手に遠い目になる彼女の横顔を見る。さっきは反射的にナメんなよ、なんて言ってしまったけれど。人間じゃないものが人間のふりをして人間社会で生きていくというのは、私が思う以上に大変な事なのかもしれない。たまたま彼女の性質とか性格に合っていたのがコンカフェというだけで、他のお仕事をしたら大変な思いをするかもしれない。ふいに私は、彼女に同情した。

「アテはあるの?」

「無いよー、ナイナイ。明日っからどうしよう……」

「………………………」

私は。

自分の理性や冷静さを振り切って、それを口にした。


「だったら、次が見つかるまで養ってあげる」


「―――――――――――え?」

なんで、という顔をした。妖しさが、崩れている。それだけで私には愉快だった。ただの同僚でいた時には、ただの人と人でいた時にはついぞ見る事の出来なかった表情だ。

「だから、養ってあげるって言ってるの。大変でしょ、ハーピーの職探しなんて」

「それは……そうだけど。でもなんで?あたし、あんずちゃんに何もしてないよ」

何もしてない、か。確かに彼女にとってはそうだろう。


でも私は、あなたと秘密の共有ができたことが、嬉しかったんだよ。

妖しいあなたの内臓を覗く権利を、自分だけが得たみたいで。ぞくぞくしたんだよ。

卵を食べていいなんて言われて、正直興奮したんだよ。


下心丸出しだ。これじゃ、彼女の元に通い詰めていたお客さんと何も変わらない。

ああ、神様仏様、私を育ててくれたおじいちゃんおばあちゃん、ごめんなさい。私、本間杏子は―――――――助平心と下心と優越感、それから――――――若干の、「困ってる友達の力になりたい」を以って―――――――




「……………ちょうど、鳥が飼いたいなあと思ってたの」



そう、甘い煙草を吸いながら言ったのである。

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くろゆり童話 缶津メメ @mikandume3

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