弾痕とホットチョコレート

Fata.シャーロック

鉛の弾がこんにちは

 Giving chocolate to others is

 an intimate form of communication,

 a sharing of deep, dark secrets.


 “チョコレートを他者に贈ることは

 親密なコミュニケーションの一形態であり

 深くて暗い秘密を共有することでもある”





 僕の住むベーカー街221Bの下宿「Sanctuary」の一号室の壁には、二号室の住人シャーロックに開けられた穴がある。

 まあ穏やかな話じゃない。二十一世紀も来るとこまで来たという気がする。だって全部弾痕だし。


 ちょうど四ヶ月前――十一月の午後のことだったと覚えている。それもカーペンターズが歌うような憂鬱が上にも憂鬱な雨の月曜日に、『暇な貴方におあつらえ向きの仕事があります』――堅物の上司からそんな連絡が来たもんだから、僕は不機嫌MAXで部屋に籠もり悶々と地獄絵図を描いていた。

 そしたら突然雷が落ちるような音が続けざまに響いて、滑らかな壁から「こんにちは」「こんにちは」――そういう具合で鉛の弾が飛び出して来た。


 すぐに腹ばいになって安全確保、ついでに英国諜報機関MI6グレート・ブリテン・サーカス特製の防弾キャンバスで幾つか跳ね返してやったけども、もしこの災難が007ばりの諜報員エージェントである僕、「とっても素敵な青い瞳のロビンさま」ではなく――女の子たちはよくそう言ってくれるんだ――神の迷える一般人ヒツジたちに襲いかかっていたならどうなっていただろう。


 シャーロックはアイリッシュ・マフィア所属の殺し屋だから侮れないぜ。

 もし彼が僕の部屋ではなく三号室の壁に銃を向けていたとしたら……そこの住人のマフィン君はまだ若いし一般人なのに可哀想だけど、そこへ引っ越したが運の尽き、という訳だ。コンマ一秒で蜂の巣になっていたはず。ただのひ弱な浪人中の医者志望だし。


 シャーロックは何故そんな危険なことをしたのかって? 知らない。

 弾痕は手当たり次第の水玉模様って訳じゃなく、こちらから見ると鏡文字の「Y・V」になるよう丁寧に形作られているから、僕が以前から心を寄せているこの下宿の大家さん――天使のように優しく美しいユウミ・ベランジェールさんに関係があるんじゃないかって思うけど、彼女の頭文字イニシャルを壁に刻みたくなるほどの心境って何だろうね。知りたくもない。


 当然僕は斧で扉を叩き割って二号室に殴り込んだ。


「やあ、お邪魔するよ。シャーロック」

「ああ、歓迎しよう。ロビン」


 もうもうと立ち籠める、この街名物の霧より深い煙草の煙。その生みの親であるシャーロック・ホームズは、肘掛け椅子にゆったり腰掛け、サイレンサー付きのデザートイーグルを弄び、完成したばかりの作品「Y・V」に見惚れていた。

 さすがギャングの用心棒。真っ黒髪がボサボサでも身なりがだらしなくても、煙草を吹かしているだけで妙にサマになる。太々しいというか何というか。

 僕はコホン、と咳払いを一つして話を続けた。


「最近神様は世の中を良くしようという気力に欠けているって思うのは僕の気のせいかな? それはともかく、一つ相談したいことがあるんだ。毒虫、害獣、それとも悪蛇の親戚かな、どれでも良いけど、どうも僕の隣の部屋にはアダムとイブが楽園の外でゲロッたやつから生まれて来たような男がどぐろを巻いているらしいんだよね。今日なんか共同の壁をめちゃくちゃにされちゃってさ、ビッグベンの先っぽにそいつを突き刺したいくらいに腹が立ってるんだよ」

「それは災難だな。心から同情する」


 シャーロックは僕の方を見もせず、でもやたら情感の籠もった声で言った。銃口をバッチリこちらに向けたまま。


「お前の問題が上手く解決すると良いな、ロビン」

「ありがとう、シャーロック。何だか元気が出たから、そろそろ反撃して来るね」


 僕は側の机の上に鎮座していた飾り物の頭蓋骨Mr.ボーンに斧を振り下ろした。

 それからはもう大騒ぎ。シャーロックは即座に発砲し、傍らの机のカッターに手を伸ばした。見る間にそれが飛んで来た。

 僕は斧の刃を盾代わりに弾を跳ね返し、首を傾げてカッターを避けながら、哀れな頭蓋骨Mr.ボーンの欠片を投げまくった。最終的には斧も投げた。それがぐるぐる暴力的に回転してシャーロックの髪を掠って行くのを見届けた時、急に「わああああ」という悲鳴が聞こえた。


「ちょ、ちょっと、ロビンさん! ホームズさん! 落ち着いて! 警察呼びますよ! 何やってるんですか……!?」


 僕の後ろで、物音を聞きつけてやって来たらしい、ただのひ弱な医者志望のマフィン君が仰け反っていた。

 全く、ひ弱なんだから黙って引っ込んでいればいいのに、臆病ではないというのが彼の長所であり短所。


 僕は前述の通り英国諜報機関MI6グレート・ブリテン・サーカス諜報員エージェントでシャーロックはアイリッシュ・マフィアの犬なんだけども、この下宿で暮らしている間はあくまでマフィン君と同じ一般人だっていうふりをしてなきゃいけない。だから僕は一応画家、奴は探偵という表の顔を持っている。

 こういう時はその表の顔を守るのに苦労するんだ。


「今の? 大乱闘だよ」僕は肩をすくめて答えた。

「はい?」

「だから大乱闘だ」シャーロックも仕事に私情は持ち込まない主義。

「えっと……」


 目を泳がせて言葉を探すようなマフィン君に、僕はもう一押しとウィンクを投げた。


「今のことは誰にも内緒だよ、マフィン君。大家ユウミさんにも警察にもね。分かったかい?」


 シャーロックの背後の壁にぶっすり刺さった斧を抜きながら。

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