チョコレートはぬるく溶けて

 シャーロックはファミリーの裏切り者が、世界各国で営業中のお菓子会社のかなり重要なポストに就いていることを突き止めた。そこで傭兵四人、つまり今夜僕が倒した男たちを雇い、計画を実行した。


 後のことはもう、誰にだって見当がつくだろう。


 シャーロックは裏の顔で彼らの仲間となり、『チョコレートに毒を混ぜた』とお菓子会社を脅迫した。一方では「名探偵」の顔を活かし、警察を誘導した。そしてまんまと三百万ドルをせしめた。


「命まで奪う必要はない、だが盗まれたものは取り返せ。我がファミリーの痕跡を残さずに。それがマイクロフトの指示だった」

「なるほどね」僕は頷いた。


 傭兵たち四人が今夜ここへ攻め込んで来た訳も何となく想像出来た。

 シャーロックは普段無口な男だが、こうして僕に事件の経緯を話してくれるように、時と場合によっては六口――驚くほど饒舌になる。それを活かして彼らの潜在意識にしみ通るくらいに吹き込んだのだろう。

 ロンドン警視庁ニュー・スコットランド・ヤードのブルドッグのような執念を持つ警官たちと、彼らを指揮する探偵シャーロック・ホームズの恐ろしさを。


『ここまでは上手く行ったが、三百万ドルは大金だ。奴らは死に物狂いで追ってくるぞ。今後のためにもホームズは殺しておいた方が良い』とか何とか言ってさ。


「悪い奴だなあ、君は。わざわざ彼らが自分から死にに来てくれるように図ったんだな」僕は笑った。


 傲岸不遜のシャーロックに、せっかく得た三百万ドルを彼ら傭兵達にも分けてやるなんていう考えはハナからなかったろう。

 そもそもの話、この事件は『マフィアが雪辱を果たすため』という意味もありかなり特殊だ。例の裏切り者以外の人間に真相を察知されることなどあってはならない。ならば、ゴロツキに毛が生えたレベルの協力者など殺してしまう方が簡単で、しかも手堅い。死人に口はないからね。


「そうだ。ユウミさんも今夜は留守にすると言ったからな。ハリー(マフィン君のこと)はまあ、お前もいるし、何とかなるだろうと思った」


 シャーロックが吐いた煙が穴をくぐって流れて来る。


「奴らは以前から、俺たちの縄張り内で勝手に武器や麻薬を売っていた。至る場所に問題をばらまくクズ共だった——だからこそ雇った訳だが。俺が手を下さなくとも、そう遠からずに同じ結末を迎えていたはずだ」

「それは同感だ」彼らのことはMI6も注視していたのだから。


 僕は何とも言えない気持ちで、カッと目を見開いたままの客人を見下ろした。


 しかし参ったな、ユウミさんが帰ってくる前にこれ片付くかな。上司が掃除屋でも送ってくれりゃ良いんだけど、自分で手配しないとダメかな。それともシャーロックがやってくれるかな。

 とりあえずマフィン君には薬を追加しておくか。


「全く、今日は君のせいで本当に疲れたよ」と僕は言った。

「自分は部屋から一歩も動かず、他人にばかり手を汚させるなんて、一体どこまで傲慢なんだか。しかも奴らが躊躇なく僕の部屋へ押し入って来たのは、君が部屋番号をワザと間違えて教えたせいだろうな」

「察しが良いな、ロビン」


 シャーロックは笑った。続いてコンコンコンと例の弾痕を銃のグリップで叩いた。


「敵を真正面から迎え撃つのは立派だが、現実的ではないだろう。急ぎ射撃穴を作ったが、お前が整えてくれたおかげで想像した以上にやりやすかった。罠にかかったのが一人だけというのは残念だがな」


 スマホでMI6に『任務完了』の四文字を送りつつ、僕は眉をひそめた。踊り出したいような解放感と、手当たり次第に物を投げてシャーロックを怒鳴りつけたい気持ちが喧嘩している。


「でも、よく連中はこの下宿を襲うっていう大事な時に君を誘わなかったな。もし君が窓を切ってやって来たなら、僕は問答無用で首をへし折ってやったのに。腹を壊したことにでもしたのかい?」

「いや。女だから戦闘は苦手だということにした」

「は?」


 何言ってんだこいつ。


「先月のバレンタインの時、隣にいた男を突き飛ばしてお前に箱を手渡した老女がいただろう? あれが俺だ。奴らを罠に嵌めるという以上、こちらも最悪の事態、まあ寝首をかかれるという結末も想定しなければいけない。そういう訳で日々奴らを盗聴器で監視していた訳だが、あの日はさすがに勘付かれそうになって片付けたんだ。チョコレートの箱にな。だが後を尾けられていて――というか『家まで送ってやる』とバカが付いてきて始末に困った。そんな時にお前が前を歩いて来たんだ。なかなか上手い変装だったろう?」

「聞かなかったことにしていいかな」


 僕は溜め息をついた。

 そうして受け取った箱を、僕はご丁寧に返却してやった訳だもの。


「ところで、」シャーロックは笑いながら言った。

「その礼代わりにとチョコレートを差し入れた訳だが、あれはどうした?」

「ああ、まだ食べてない」僕は答えた。

「毒入りだろうから、マフィン君が持ってた方とさっき交換したよ」


 何を隠そう、夕食会を開こうと提案したのも、マフィン君を薬で眠らせたのも、全部それが理由だ。シャーロックがくれたチョコがどんなものなのかどうしても気になったし、もし毒入りチョコと取り換えたことでマフィン君がお陀仏になるのなら、僕は恋敵も減って万々歳。一石二鳥と思ってのことだ。


「君は? 僕が作ったチョコを食べたかい?」

「いや。毒入りだろうから、ハリー(マフィン君のこと)の持っていた方と交換した。奇遇だな」


 ハ、と僕は吹き出した。全くこの男はいつだって、鏡に映った僕のような真似をする。こちらが手間暇かけてチョコに施したアレンジさえ、ちゃんとお見通しというわけだ。


「だがシャーロック、毒入りはマフィン君のとこからちゃんと回収しなきゃダメだぜ。それで新しいのを贈ってやりなよ。君も例のブローチの件に腹が立っていたんだろうけど……」

「そうだ。浪人の分際でユウミさんのハートにぶら下がろうなぞ、図々しいにもほどがある。あいつはユウミさんのヒモにでもなるつもりなのか?そんなことは絶対に許さん」

「でも彼が作ったシチューは美味しかったから。君も降りて食べると良いよ」


 シャーロックの生返事を聞きながら、僕はポケットから二つの箱を取り出した。

 一つはシャーロックが今朝、僕の部屋に差し入れた毒入りのチョコだ。もう一つはマフィン君が持っていた毒なしのチョコだ。


 僕は毒入りをゴミ箱に投げ入れ、毒なしの方の箱を開けた。

 残念なことにさっきの乱闘騒ぎでチョコはすっかり暖まってしまい、箱の中でドロドロの赤い液体と化していた。客人が壁に飛び散らせた脳髄混じりの血糊と見かけはそう変わらない。

 ふとアメリカの作家、ライアン・メカムの言葉を思い出した。



 “血は本当に温かく、ホットチョコレートを飲むような、でももっと悲鳴を上げる感じ”



 そういえば、シャーロックは僕の任務内容をどこまで把握していたのだろうか。

 今回の件に四ヶ月も前から取り掛かっていたのなら、当然神経を尖らせてあちこちアンテナを張り巡らすはずだ。僕の目標ターゲットのことだって耳に入るだろう。全く知らなかったという方がありえない。僕も何度か「仕事ってめんどいね。どうしたらやらなくて済むのかね」って愚痴った覚えあるし。

 

 ……だとしたら奴はどういうつもりでこの舞台をセッティングしたのだろう。

 腹が立つことばかりで別にありがたいとは思わないが、もし、もしも……


 僕は人差し指の先に、箱から零れそうになっている生温かいチョコレートをフォンデュした。そしてつい惹かれるままに、同じくらい温かな壁の血糊をそれの上にちょんと付け、舌の先で舐めてみた。

 甘さより先に、錆びた鉄の味が口いっぱいに広がった。



【END】

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