Happy Xmas/War Is Over
ジョン・レノンにも似た夢を
And so this is Christmas (war is over)
クリスマスがやってきた (戦争は終わりだ)
For weak and for strong (if you want it)
弱者にも強者にも (あなたが望むなら)
For rich and the poor ones (war is over)
お金持ちにも貧しい者にも (戦争は終わりだ)
The world is so wrong (now)
この世界はとても間違っている (今すぐに)
And so happy Christmas (war is over)
ハッピークリスマス (戦争は終わりだ)
For black and for white (if you want it)
黒人にも白人にも (あなたが望むなら)
For yellow and red ones (war is over)
黄色人種にも赤色人種にも (戦争は終わりだ)
Let's stop all the fight (now)
全ての戦いを止めよう (今すぐに)
A very Merry Christmas
メリークリスマス
And a happy New Year
そしてハッピーニューイヤー
Let's hope it's a good one
良い年になるよう願おう
Without any fear
恐怖などない年に
◆
「クリスマスはね、ロビンさん、人の最も深遠な目的と願いがあらわになる行事なんですよ」
マフィン君は大きな雪だるまが微笑むマグを両手で包みながら、そんなことを言った。
下宿のリビングの暖炉はあかあかと燃え、窓の外には深い霧が降りている。
僕の手元にはワイングラスがある。イエスが流した血色の葡萄酒に、星形のスターアニスや釘型のクローブや、細長いシナモンのスティックが浮いたドイツ風グリューワインがね。まだほど良く暖かく、マフィン君のマグと同じように湯気を立てている。彼のマグの中身は、もう十九の癖にホットチョコレートだ。
「なかなか意味深長じゃないか、マフィン君。人はプレゼントをもらえる年齢を過ぎると嫌でも成長するらしいね」
僕は皮肉のつもりで返したが、マフィン君は怯むどころか、ぞっとするほど澄んだ瞳で僕を見つめ返した。
「――War is over… もし君が望むなら 争いは終わる 今この時に――ジョン・レノンの歌を聞いていて思い出したんです。第一次世界大戦中には『クリスマスだから』という理由で一日休戦した地域があったそうですね」
「ああ、あくまで『一部の』地域だけだったらしいけどね」
「そのことを僕らの世代は『奇跡』と言います。でも、考えてもみてください。『神様の日だから戦争は中止だ! 愛に生きよう! 命を大切にしよう!』なんて変だと思いませんか? それなら毎日がクリスマスだと思って過ごせば良いじゃないですか。それこそが本当の信仰心であり、神様も僕らに望んでいることだと思うんです」
僕は答える代わりにワインを一口飲んだ。マフィン君はテーブルに視線を落としたが、別に何かを見ているわけじゃない。ただ暖炉の中で薪が爆ぜる音が聞こえた。
「――戦争に限った話ではりません。僕らもこの日には贈り物を交換します。だけどその贈り物の製造現場では誰かが残酷に搾取されているのかも知れません。もっと言えば、人々が集い楽しげにケーキを分ける家庭もあれば、親の顔さえ知らずにこの日を過ごす子もいるんですよ」
「それで、君は何が言いたいんだい?」
僕はグラスの縁を指でなぞりながら尋ねた。
「クリスマスは人の矛盾そのものだ、ということです。でも……それでも僕は好きなんです、クリスマスが」
「やれやれ、君は随分ややこしいねえ。悲壮そのもののことばかり言っておいて」
僕は呆れて息を吐いた。
「ええ、確かに暗い話をしちゃいましたけど」
マフィン君ははにかむように頷いた。
「いつか本で読んだんですよね。全ての力は螺旋状に巡りながら善の方へ向かっているって。それが自然の在り方なんですって」
「つまり?」
「えっと、僕らは光の下に立って初めて、自分の影を認識します。あるいは影を知って光を意識するのかも知れませんが、どちらにしても、クリスマスはそういう意味で大切な行事なんです。クリスマスをきっかけに神様を信じる気持ちや誰かへの感謝を思い出したとすれば、それまでそれを忘れていたことにも気付くでしょう?
でも一度気付いてしまえば、今後は生き方を選べるはずなんです。どうやったら光と一つになれるのかな、どうやったら影を薄く出来るのかなって。もしも皆がそうやって考え続けたら、世界はもっと良くなると思いませんか?」
「さあ……確かに今見ているものの反対側も見つめるっていうアイディアは悪くない。溝を埋めるために何をすべきか考えろってことだろう? 俗にいう “分かっちゃいるけど止められない病” を克服できればの話だけどね」
「僕の言っていること、変じゃないですよね?」
「ああ」
僕は頷いた。
「でも、若い内からそんな考え方をしているようじゃ、それこそジョン・レノンみたく早めに聖人の仲間入りをすることになるぜ」
「……もっと気楽に生きなよってことですか?」
「まあね」
僕は暖炉の上に飾られたクリスマスリースに目をやった。
それはこの下宿の大家のユウミさんが手作りしたもので、白いリボンと赤いベリーが飾られている。緑色の葉っぱにさり気なく巻き付けられたイルミネーションは本物の星のように、柔らかな輝きを放っていた。
そういえばユウミさんも、「クリスマスが好きです」と言っていた。
彼女もマフィン君と同じように、神様や天使たちを信じているらしい。無論、それでいいと僕も思う。普通に生まれて普通に生きているだけだとしても、二人の魂は神様の恵みに値する。
だが僕は違う。今はこうして二人と同じように一般人として過ごしているけれど、僕の正体は
「それにしても、君が作ったクッキーは固いな。ぼっそぼそじゃないか」
僕は話題を変えるべく、テーブルの上のジンジャークッキーを指さした。
「あ、すみません……。母がくれたレシピ通りにやってみたんですけど、粉を入れ過ぎた可能性が……」
「なんで?レシピ通りにやったんじゃなかったの?」
「実は、レシピを見ている内にこう、反抗心みたいなのが生まれまして……」
◆
――それが、たった一日前の僕らの会話だった。
だが今はどうだ。僕は昨日と同じようにワインを飲みながらリビングでくつろいでいるけれど、マフィン君の姿はブラウン管の中にある。
『○国の反政府軍を名乗る組織の男らは、観劇に来ていた客ら五百人を人質に取り――』
防寒具姿の男性アナウンサーが雪混じりの雨に濡れながら、早口で喋っている。
何でも、コヴェント・ガーデン駅近くにある劇場「ロイヤル・オペラ・ハウス」に、アラブ系の客人数名が身体に爆弾を巻き付けた状態で来場したらしい。
彼らは○国の政治に、我が国イギリスや米国が介入しているのが許せないんだとか。
赤いスカーフを巻いたリーダー格の男は至極丁寧、慇懃に、ロンドン市民の楽しいクリスマスに水を差したことを謝罪しつつ、『我々にも慈悲を』と頭を垂れてはいたが、演説を要約すればこうなる。
“今すぐに米軍も英軍も○国から引き上げろ、○国に今後一切手を出さないと約束しろ、人質一人につき何百万ドルを支払え、さもないとここで全員――”
紛れもない脅迫だ。だが、歴史を鑑みても、その手の要求が通ったことはない。最低最悪の事態はつまり、実現間近の未来だ。
マフィン君は間が悪いというか何というか、友人と「くるみ割り人形」か何かを見に行っていてこれに巻き込まれてしまったようだ。
しかし、ニュースに一瞬だけ映った彼は、微笑んでいた。今にも泣き出しそうな幼い女の子の手を握り、何かを言っているようだった。全く、馬鹿みたいだよ。泣き出したいのは自分だろうにさ。
その時、背後で階段を下りてくる重い足音が聞こえた。
「これだけ注目が集まれば、目的の半分は果たせたことになるだろう。爆発まで秒読みだな――ハリーは不運だった」
いつものように抑揚のない、無愛想な声だった。
僕が振り返ると、冷たい赤褐色の瞳とかち合った。彼の名はシャーロック・ホームズ。アイリッシュ・マフィアが生んだ天才的な殺し屋だ。そして、認めたくはないが、僕の永遠の宿敵でもある。
この下宿にいる間は僕と同じく一般人のふりをして大人しくしているけどね。
「シャーロック」と僕は呼びかけ、尋ねた。
「マフィン君はもうダメかな?」
「お前はそう思わないのか?」
「思うね」
こう言っちゃ悪いが、彼らテロ組織の要求は月並みだ。平凡だ。そして前述の通り、その手の要求を大国が呑んだことはない。
ならば何故、こんな事件を起こすのだろう?
あまりにもハイリスクでノーリターンな計画だ。もちろん、「ダメで元々、ただこの燃えるような志を世に示したい!」と考えている可能性はあるが。
しかし……もし、犯人が別にいたら?
例えば英国と米国こそがこの件の黒幕だったら?
『○国の治安を維持する』と言って、政治的・軍事的に介入するというのはつまり、『植民地化プロジェクト』をマシュマロ並みに柔らかくした表現だ。
そして、もし○国が石油やら鉱物やらの豊富な資源の眠る国だったとしたら? いよいよもってその国を放ってはおけないだろう。
ならどうする? 簡単だよ、「正当な理由」で完全に実権を握ってしまえば良い。
架空の犯罪者組織を編成し、台本通りのことを言わせ、多くの一般人と共に自害させてしまえば、それが可能だ。ついでに「○国の悪魔らを許すな! ○国の正義を守れ! 犠牲者達のためにも!」なんていう大衆向けの誘導番組も出来上がるし、証拠は残らないしで万々歳だろう。寄附も募れば集まるかも知れない。
実際、アラブ顔の人間なんて世界中にいる。精神を崩壊する薬も、思考を洗脳する機械もたんとある。電磁波なんてその筆頭。決してSFの話じゃない。だってCIAも、冷戦時代にリモートビューイング(透視・念視術)の実装をしてたくらいだぜ。オカルトもオカルトと片付けられない時代に、陰謀論が陰謀論のままであるはずがないじゃないか。
一般人が考えるよりずっと、世界の技術は高度で優れているし、汚い所に使われてる。
――まあ、僕個人の仮説に過ぎないけどねえ。
それに、巻き込まれたマフィン君たちにとっちゃ、事件の真実なんてどうでもいいだろう。どちらにしたって悲劇は悲劇だ。
「ロビン、お前の考えていることは分かる。ガチョウを死なせるのが惜しくなったんだろう?」
ニュースを冷めた目で追いながら、シャーロックが淡々と聞いて来る。
何で分かったのかねと思いつつ、「まあね」と僕は答える。
「初めからキッチンで料理される運命とは知ってたよ。でも、とりわけ目をかけた子だからね。同居人のよしみかな」
「そうか。ガチョウはガチョウでも、餌袋に宝石を飲んだ特別のガチョウと言うわけか」
シャーロックは笑い、灰色の息を吐いた。
「それでわざわざお前も火に飛び込むつもりか?」
「さあね、このまま酒飲んで忘れるかも。でも、まあ――クリスマスだし? 上司は協力してくれなさそうだけど、僕だってたまには奇跡を起こしたいって思うさ」
馬鹿にして来るかと思いきや、彼は「なるほど」――それだけ言って、玄関の方へ歩いて行った。そして少しすると、大きな黒い袋を持って戻って来た。
まるでサンタクロースだ。赤い服の代わりに黒いスーツ、白いひげの代わりにくしゃくしゃの黒髪、トナカイの代わりに煙草の煙を引き連れている点を除けば。
「何それ」
「クリスマスプレゼントだ」
「珍しいこともあるもんだな。君がプレゼントを用意するなんて。で、誰にだい?」
「差し当たってはお前にだ。必要だろう?」
シャーロックはニヤリと笑った。そして袋を床に放り投げ、中身を絨毯いっぱいにぶちまけた。黒く厳つく、銀に鋭く、世界中の悲鳴を背負った無骨に輝くおもちゃ達を。
「うん……銃かあ」
「奇跡を起こしたいんだろう?」
シャーロックは平然と言い放ち、混沌の海からマシンガンを拾い上げた。
もう冗談ではない。プロ特有の流れるような手付きでそれを点検している。
感謝していいのか、どうなのやら。僕は思わず吹き出し、やがて笑いを抑えきれなくなってしゃがみ込んだ。そうして真っ赤な絨毯の上の銃と弾をかき集めた。
「やれやれ。君のユーモアセンスには参るよ」
「だがお前も知っているだろう? 平和の裏ではいつでも血が流れている」
「だけどさ、」と僕は少し言いにくいことを言う。
「マフィン君はジョン・レノンの歌が好きなんだぜ」
「ジョン・レノンの?」
「そう。あの夢想家の」
するとシャーロックは今まで見たことのないような、不思議なまなざしをした。まるで夜の砂漠に虹の橋を見たような、そんな畏怖と憧れに満ちたまなざしを。ただそれだけだったけど。
◆
聖なる夜に人は何を願うだろう?
大抵の場合、それは平和だ。でも、平和ほど難しい願いごともない。
「メリークリスマス、シャーロック」
「メリークリスマス、ロビン」
僕らは銃を携えて、霧の中に飛び出した。裏口から密やかに。
どうしても荒っぽくなるが、僕らは僕らのやり方でマフィン君を救おうと思う。
結局世界は悲劇と悪夢の繰り返しかな? 僕に否定は出来ないが、でも、いつかマフィン君がジョン・レノンにも似た夢を叶えてくれたら嬉しいね。
そしたら僕の影も少しは薄くなるに違いない。
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