真実の瞬間に

 銃声が響いたのと、僕が勢いよく彼を押しのけて床を転がったのが同時だった。が、状況はどうも思っていたのと違った。すぐに立ち上がった僕とは違い、彼は床にうつ伏せになったまま、もうピクリとも動かなかった。後頭部には赤黒い穴が開いていた。


「……シャーロック」僕は溜め息をついた。

「僕の部屋に向けて銃は撃つなとあれほど」


 低い笑い声がして、例の壁穴の一つからこちらに突き出していた銃口が消えた。奥の深い闇の中に。

 

 僕は礼を言うべきか? 

 一瞬だけ迷ったけど、いや言わなくていいなと首を振って口を閉じた。シャーロックの行為に関係なく、僕はこれから怒濤の反撃に出るとこだったもの。


 それより気にかかることがある。


 三流のワインのような濁った色の血溜まりを踏まないように注意しつつ、僕は男をひっくり返した。でもそれだけだとこの既視感の意味が分からなかったので、防弾チョッキと上着を脱がせた。すると筋肉質の上腕に、牛の刺青タトゥーがあったので疑問は氷解した。何故ならその刺青タトゥーは四ヶ月前にMI6から送られて来た写真で見たやつだったからだ。


『目の前に現れでもしない限り仕事はやらない』と言ったけど、まさか本当に目の前に現れるなんて思わなかったな。


「ねえ、シャーロック」


 僕は膝の上で頬杖を付き、壁の向こうで煙草を吹かしているはずの男に呼びかけた。


「僕の大嫌いなスペインの動物虐待イベントじゃ、闘牛士が牛を殺した瞬間のことを『真実の瞬間』と言うらしいよ。そこへ行くと僕らは今日、四匹の牛を殺した訳だ。一体何がどうなってこういう事態になったのか、手持ちの真実カードの幾つかは明かしてくれても良いんじゃないかと思うぜ」







 しんと静まり返った部屋に、折から鳴り出したビッグベンの鐘の音が響いた。

 夜は長い。まだまだ外は明ける気配がない。僕は廊下の電気を消し、部屋の電気に点け替えた。真っ赤な血をだらだら流し続ける客人の顔がよりはっきり見えるようになった。

 彼は怒った時の犬のように歯を剥き出していた。実際怒っていたんだろうけど。


「そうだな、ロビン。順を追って話そう。事の発端は約二十年前に遡る」


 長い沈黙の後で、壁の向こうのシャーロックが昔語りを始めた。


「その頃俺のファミリーには、心根は良くないが頭は常人以上に回るという厄介者が一人いたらしい。そいつはある時、組織の金をごっそり、しめて三百万ドルを盗み出しポリネシアへ高飛びした。当たり前だがそんな裏切りをファミリーは許さん。大勢が現地に出向き、血眼になってそいつを探した」


「そりゃそうだろうな。冷蔵庫のプリンを盗られたら誰だって黙っちゃいないだろう」


「……話を戻すが、そいつはロンドンを立つ前に顔を変えていたので捜索は手間取ったらしい。だが、やがてそいつが普段から肌身離さず身に付けていたロザリオが、ある小屋で見つかったのが決め手になり、その小屋の住人がそいつだろうということになった。すぐに拉致し、三日ほどかけてゆっくり切り刻んだらしい」


「その程度の証拠で? 随分乱暴な話じゃないか」


「仕方がない。その頃は俺も義兄あにのマイクロフトもいなかったからな、真実よりも体裁が大事と考える脳の腐った馬鹿共ばかりだったんだろう」とシャーロックは言った。


「親が汚した海は子らの未来も汚すと言うが、つい数ヶ月前のことだ。親しく付き合いを続けているナポリのファミリー、カモッラの方で小さな事件が起きた。それがきっかけとなり、ポリネシアで殺したはずの裏切り者が実は生きていたということがはっきりした。現在我がファミリーの実権を握っているマイクロフトは冷徹だが祖先を敬う男だから、裏切り者の件については一生『解決済』ということで蓋をしておくつもりだったらしい。が、そうも言っていられなくなった。だが不味いことに、二十年前と今とは状況が違う。そいつを殺せば済むという話ではない」


「何故だい?」


「今やそいつはカモッラの首領ドンの恩人だからだ。彼が目に入れても痛くないほど可愛がっている十歳の孫が、ある日地元の学校スクールへの登校中に誘拐されかけた。それを救ったのがその裏切り者らしい。マイクロフトは後日、あちらとの親睦会中に首領ドンから新しい家族としてそいつを紹介され、例の男だと気付いた。ぱっと見には品の良い老紳士だったそうだが」


「いや何でだ。お義兄さんはその男に会ったこともないんじゃなかったのか。しかも男は顔を変えていたんだろう?」


 僕の質問に、シャーロックは黙り込んだ。そのまま眠ってしまったんじゃないかと思ったほどの静けさの後に、「その辺は俺にも分からん。分かりたくもない」やっと聞こえるほど小さな声で言った。


 まあ仕方がないかも知れない。もしシャーロックに何か怖いものがあるとすれば、それはお義兄さんのことだろうとは常々思っていたことだ。

 彼は業界内じゃ有名で、「Mr.頭脳ブレイン」と呼ばれている。僕も一度会ったことがあるけれど、オットセイのように分厚い手と、全てを見透かすような冷たい灰色の瞳をした男だった。


「ともかく、裏切り者を恒例通りに始末することは、カモッラとの仲に亀裂を入れることになる。『あちらもプロだ、分かってくれるだろう』――口では何とでも言えるが、相手が心底納得するかどうかは全く別の話だ。しかも奴の裏切りは遠い過去の話、言わば墓に埋葬された死人だ。下手に掘り返せば、その悪臭ムンムンたる腐液と腐肉で我がファミリーの面子を汚しかねない。マイクロフトはそう考え、仕事をしろと俺に言った。そこで——」

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