吹き矢と毒蛇

 そこで穴を塞ぐことは諦め、僕は次なる手段に出た。

 まずホームセンターに行って、DIY用の機材を揃えた。そして穴のバリ――壁紙の焼け焦げた部分や千切れたり裂けたりした部分――をそぎ落として綺麗に削り、整えた。ついでに壁をペンキで塗り直した。とにかくも「V・Y」が弾痕ではなく芸術作品に見えるようにした。そしてその周りには名実共に僕のミューズであるユウミさんのスケッチ画を飾り、アンティークショップで見つけた感じの良い陶製の花瓶を置いた。この花瓶には、新鮮な花を毎日花屋で買って生けることにした。


 ああ、何て素晴らしい祭壇だ。見ているだけで心が安らぐ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――と思ったのは最初の一分だけ。僕の心の平安は瞬く間に怒りによって焼き尽くされた。


 だってさ、どうして鏡文字なんだ。僕はシャーロックの何千倍もユウミさんを愛しているのに、どうしてあいつが正位置の頭文字イニシャルを眺めて僕が鏡文字なんだ。幾ら対象文字でも、「Y・V」と「V・Y」じゃ像と蟻ぐらいの違いがあるぞ。こんな侮辱は許せない。


 僕は箱にしまったばかりの工具を乱暴に取り出し、全ての弾痕を削って広げることにした。

 これはなかなか根気の要る作業だったけれども、ユウミさんがおやつに作ってくれたサンドイッチを囓りながら頑張った。二時間後には全ての穴が元の三倍くらいサイズアップした。


 ようよう満足して穴に顔を近づけると、シャーロックが肘掛け椅子の上で船を漕いでいるのが見えた。目の前のテーブルには天板一杯にロンドンの地図と十五世紀以前の南ヨーロッパの地質調査に関する論文が広げてある。そんなもの読んでるから眠くなるんだよ。


 僕はすぐさまベッドの下に潜り込み、そこの床板を外して、コンクリートと鉄筋の隙間から自分の仕事道具が詰まったオリーブ色のトランク――映画の007が使うような小道具セットを取り出した。そしてカーボン製の羽が付いた小さな矢に、MI6特製の像も倒れる猛毒を塗りたくり、丸めた雑誌の輪の中に納めた。それをどうしたのかって? もちろん、シャーロックの首めがけて吹いたのさ。


 ところが、奴は眠っていた癖に俊敏で、手元にあった電話帳を顔の横で一振り。目も開けないのに毒矢をはたき落としやがった。そして二秒後には返却して来た。


 僕はその後もボウガンを仕掛けたり、近所で捕まえてきたマムシを夜な夜な穴に通したりして嫌がらせを続けたけど、ボウガンはあっという間に壊されるし、マムシ君はシャーロックを噛まないどころか僕の部屋へ自主的に帰って来るしで止めてしまった。

 とは言え、マムシに気付いた時にはシャーロックも相当焦ったらしく、部屋の中で乗馬鞭を狂ったように振り回していた。後で息切れしながら僕に言った。


「おい、いい加減にしろ」

「何故」と僕は答えてやった。


 だけど、やれやれ……。部屋に銃弾を撃ち込まれても僕が生きているように、奴もなかなかしぶとい。

 仕方がないのでそれからは大分レベルを下げ、部屋の掃除をして出たホコリやシャーロックの死相のイメージ画なんかを毎日穴に放り込むことで妥協することにした。

 ゴミなら奴は返却してこないし――多分部屋を綺麗にするという概念がないんだろうな――こちらにとっても都合が良かった。ここは三階、大きいゴミ箱は一階にしかないからね。

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