ホワイトデーにはお返しを

 シャーロックがそれをどう処理したのかは知らない。返却はされなかったから、捨てたか? 食べたか? それとも研究材料にでもしたのか?

 まあどうでもいいことだ。この壁穴は深淵のようなもので、覗き込めばまたあちらからも覗き返される。


 ただシャーロックは他のゴミとは違い、今回の贈り物のことはちゃんと認識していたらしい。

 翌月、つまり三月十四日の朝、僕が目覚めると、弾痕鏡文字「V・Y」のすぐ下に設置した例の祭壇に金のリボンがくるくると巻き付いた黒い小箱が置いてあったんだ。


 奴が好きな国ニホンでは、バレンタインのちょうど一ヶ月後を「ホワイトデー」と呼んでバレンタインにもらった物のお返しをするらしい。それに習ったんだろうけど、まあ思ってもみなかったことだった。シャーロックは今、表の活動の方――例の毒入りチョコレート事件で手一杯な様子だったからね。


 その件について、数日前にTVで聞いた話はなかなか面白かった。

『御社の商品に毒を入れた』――そんな風評被害で会社を潰されちゃたまらんと思ったのだろう、実際に店頭で毒入り商品が発見されてからは企業も素直に支払いに応じ、代表者が組織の指示通り三百万ドルを鞄に詰めてパディントン駅から快速電車に乗った。

 シャーロックや警察は金が駅で受け渡されると考えて彼と同じ電車に乗り、その電車をヘリで追い、更にはあちらこちらの駅に警官を待機させるなどして警備を固めていたようなのだけど、敵は一枚上手だったようだ。列車が森の中にさしかかるや、代表者に『鞄を投げろ』と指示し――それでThe End. 真相も鞄の行方も闇の中。


 翌日の新聞にはでかでかと「名探偵だって失敗する」と書かれていたっけ。僕はそれを見て笑った覚えがある。

 マフィン君はね、優しいから「ホームズさん、気を落とさないでくださいね。犯人はきっと捕まりますよ」なんて言ってあげてたけど、そんな心配をしてやる必要はないと思うね。彼は失敗したことなんてないし。


 それはともかく、厄介払いをしたくて押し込んだゴミに丁重な返礼をされるのは何だかむず痒かったから、僕は身支度をして下宿を出、午前中はずっと街で過ごした。

 朝ご飯は屋台のフィッシュ&チップスで済ませ、バスを使わずにセント・ポール寺院近辺にある大型ショッピングセンターに出向いた。

 せっかくなのでシャーロックの分だけとは言わず、下宿の住人全員が満足に食べられる量のチョコレートと適当な包装紙を買った。何事も手を付けるからには本気を出すっていうのが僕のモットー。

 下宿に戻ると台所を借りて、ネットのレシピを見ながら大きめのトリュフチョコを作った。でもそれだけだとつまらないので、その内数個にはお隣の殺し屋様専用に、特別なアレンジを加えた。







 六時を回る頃になって、ようやくチョコは完成した。

 僕はそれを丁重に箱に詰めて飾り付けし、穴が小さいんで箱が歪んでしまうけど、構わずシャーロックの部屋へぐいぐい押し込んでおいた。これで任務完了。

 でもユウミさんにあげる時はもちろんもっと丁寧に、謹んで手渡しした。


「まあ、ロビンさん! 美味しそうなチョコレートですね。大切に頂きますわ」


 風にそよぐ黄金の髪。夜明けに降る雨のように優しい紫色の瞳。滑らかな肌。チェリーの如く瑞々しい唇。

 彼女の笑顔の美しさに当てられてしまい、僕は粋な返答の一つも出来ず退散してしまった。後で「ああディナーにお誘いすれば良かった」と思いついたんだけども――今日は長い一週間の中で唯一ユウミさんが下宿人たちの世話から解放される日だから――言い出す前にユウミさんは教会のお手伝いに行ってしまった。今夜は朝まで帰らないらしい。


 おかげで、マフィン君にチョコを渡す時にはどうしようもなく気分が悪かった。

 でもマフィン君は僕が箱をブン投げても子犬のように尻尾を振って(ホントに彼はペットにしか見えない)キャッチし、声を弾ませた。


「わあ、ロビンさん! これは何ですか?!」

「チョコ。あげるよ」

「良いんですか?! ありがとうございます!」


 その時ふと思いついて、僕はシャーロックからもらった黒い小箱をポケットから取り出した。


「ねえ、マフィン君。もしかして君もさ、シャーロックにこういうのをもらってないかい?」

「え?」マフィン君は一瞬きょとんと箱を見つめ、

「あ、はい! 頂きました! 今朝、ちょうどそれとそっくりなのを」

「中身は何だった?」

「チョコですよ! 濃い赤色だったので、多分イチゴ味です」

「多分?」

「いえ、違うかも知れません。頂いたのが朝だったので、中を見ただけでまだ食べていないんですよ」マフィン君ははにかんだように笑った。

「後で……夜ご飯の後にでもと思って」


 そっかそっかと僕は頷いた。なら都合が良い。


「じゃあさ、マフィン君。僕を手伝ってくれないかな」僕は注意して表情を和らげた。

「今日はユウミさんがいないけど、皆で協力すればそこそこのディナーになると思うんだよね。シャーロックも呼んで適当に何か食べよう」


 マフィン君はもちろん断らなかった。

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