星を詠みし者

大隅 スミヲ

第1話

 星を見るのは仕事のひとつだった。

 日没の頃より空を見上げ、長い時にはの刻の頃まで夜空を観察していることもある。


 天文博士。そう呼ばれる職が陰陽寮おんみょうりょうには存在する。なにもあやかしや物怪もののけの退治をするばかりが陰陽寮の仕事ではないのだ。むろん、あやかしや物怪というものが、この現世うつしよには存在していないということは重々承知している。しかし、物事が起きた際に、何かのせいにしなければ納得しない方々がいるのだ。そういった人を納得させるために便宜上使われるのが、あやかしや物怪といった存在であった。


 師である賀茂かもの忠行ただゆきは、そういったあやかしや物怪の存在を巧みに使い陰陽寮の存在意義を朝廷に印象付けてきた。そのお陰もあって、陰陽師は帝に直接進言をすることも許されるような立場を確立することができたのだ。


 なにやら、東の空にまたたく星があるのが気になっていた。あの星はいつから存在していたのだろうか。気になったことは書き記す。それが安倍あべの晴明はるあきの癖でもあった。そのため、晴明の手元には常に紙と筆が用意されている。


 晴明が、世に出るのは遅い方だった。ずっと陰陽道の師である賀茂忠行の下についていたのだが、陰陽師として朝廷から認められたのは、四〇歳を過ぎてからのことだった。それまでは大舎人おおとねりという中務省の下級役人であり、その後、陰陽寮に移って、五〇を過ぎてようやく天文博士の職に就くことができた。

 いまでこそ、陰陽寮の安倍晴明といえば朝廷内外でもその名を知らぬ者はいないというほどの陰陽師となったが、晴明は苦労人だったのだ。


 陰陽道の教えに従い、東の空に瞬く星は師貞もろさだ親王を示すものだと晴明は判断した。そして、あの輝きは、吉兆に違いなかった。そのことをすぐに書き留めた晴明は、その日から毎晩のように師貞親王の星を見守り続けるようになった。

 その輝きの意味を知ったのは、それから数ヶ月のことだった。帝であった円融天皇が譲位し、東宮(皇太子)だった師貞親王が帝となられたのである。

 晴明は星の輝きを信じ、師貞親王によく仕えてきた。師貞親王からの覚えもめでたく、占いや陰陽道の儀式などを披露し、那智山の天狗を封印する儀式を行ったこともあった。


 時の帝(花山天皇)となった師貞親王は、晴明に信頼を寄せていた。様々なことで助言を求めた。そのお蔭で、晴明の陰陽師としての地位、そして朝廷内の陰陽寮の地位は確固たるものとなっていった。


「晴明様、また星を眺められておられるのですか」

「まあな」


 いつものように晴明が夜空を見上げていると、家人けにんが上に羽織るための着物を持ってやって来た。六月といえども、夜になれば冷え込むのだ。

 この時、晴明は六十六という年齢を迎えていた。髪も髭も白いものが混じっている。それでもまだ、安倍晴明の名を超える陰陽師は現れてはいなかった。帝の庇護のもと、陰陽師として晴明は朝廷の様々な物事を占い、その助言で場合によっては政局を変えることもできる存在となっていた。


「あれは……」


 晴明が夜空を見上げながら独り言を呟いた。

 雲ひとつない夜空をひと筋の光が流れ落ちていったのである。

 その光は、二年前に強い輝きを放ち、晴明に師貞親王の即位を教えてくれた星だった。


 晴明はすぐに出かける支度をはじめた。

 家人たちは主人が、夜中に内裏へ向かうと言い出したので、何事かと大騒ぎになっている。


 星が流れた。

 あの星は、帝の星である。帝の身に何かあったに違いない。


 晴明は身支度を整えると、馬に乗って屋敷を飛び出した。

 大内裏を抜け、内裏の門である建礼門の前に辿り着いた時、一歩遅かったということに気づいた。いつもならば開いているはずの建礼門が閉じられているのだ。


「帝は退位され、仏門にしました」

 門の前にいた童子が呆然としている晴明に告げた。


 その言葉を聞き、晴明は涙を流した。帝はまだ十九歳の若者だった。それを公卿たちの権力争いに利用され、出家という道を選ばされたのだ。


 晴明は、教えてくれた童子に礼を言おうと思ったが、その姿はどこにもなかった。

 ふと疑問を覚えた。大内裏の中に童子がいるわけがなかった。大内裏は朝廷の政庁が集まる場所であり、童子が入れるような場所ではなかった。

 あの童子こそが、あやかしか、物怪か。

 不思議なこともあるものだ。そう、晴明は納得した。


 花山天皇は、帝位に就いて二年でその地位から退いた。

 あの流れ星は、帝の退位を示す天変だったのだ。

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星を詠みし者 大隅 スミヲ @smee

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