第11話 静かな街
「剣士殿、剣士殿」
そんな声が聞こえます。
うっすらと目を開けると、私はあの呪印があった部屋に横たわっていました。
どうやら、命は取り留めたようです。
「剣士殿、大事無いか?」
もう一度声がかけられました。
少し離れた場所から、治療師さんが声をかけてくれていました。
「……大丈夫、です」
私は、半身を起こし、自分の首に手をやりながらそう答えました。
実際、私が負った傷は全て跡形もなく治っています。あの最後に発せられた声が、本当に癒しの魔法だったのでしょうか。
「治療師さんこそ、良くご無事で」
私はそう問いかけました。
「ああ、危ういところだったがな。剣士殿が間に合ってくれて助かった。しかし、良くあのような魔物どもを倒せたな」
治療師さんはそう言って、部屋の一角を指し示します。
その指の先には、あの黒い魔物とモードアの体が転がっていました。
「私だけの力では、とても無理でした……」
「どういうことだ?」
治療師さんの問いかけに答えて、私はこの場所で起こったことをありのまま伝えました。
「……なるほど、上手く同調に成功したのだな」
少しの間沈黙したあと、治療師さんはそう告げました。
「同調というのは、何の事でしょう?」
その言葉の意味が分からなかった私は、そう聞きます。
「剣士殿の体を、剣士殿自身とそのゴーストが上手く共有した、とでも言えば分かりやすいか?
通常なら、ゴーストの憑依は相手の体を完全に乗っ取るものだ。ゴーストが自らの技を使えるようになる代わりに、憑依された者の技は使えなくなる。
近接戦闘の技術を持たないゴーストが憑依した場合、例えその体が強い戦士のものだったとしても近接戦闘は出来なくなるわけだ。
しかし、そのゴーストは、それでは魔物共に勝てないと分かっていたのだろう。だから、己の記憶を剣士殿に伝え、呪印を壊そうとするように仕向けた。
そして、剣士殿が戦闘を行い、それに加えて自分は別に魔法を使えるように調整して、協力して戦えるようにしようとした。その試みが土壇場で成功したというわけだ」
納得できる説明のように思えます。しかし、疑問もあります。
「もしそういう事だったなら、最初の時にそう伝えて頂ければよかったのに……」
私に憑依してその記憶などを教えてくれた時にそのような意思を伝えてもらえたならば、きっと私もその考えに賛成して、もっとすんなりと同調する事に成功したのではないか。そのように思えました。
治療師さんが私の呟きに答えてくれました。
「……まあ、きっと亡霊にも事情があったのだろう。大体、亡霊の精神構造を生者と同じに考えることは出来ない。実際、そのレーシアというゴースト以外の者達はほとんど正気を失っていただろう?」
「そうですね……。そのとおりかも知れません。
ただ、もう一つ疑問なのですが、レーシアさんが使った魔法の呪文には神に訴えかける言葉が含まれていました。あれは神聖魔法だったはずです。
アンデッドが神聖魔法を使うなどということがありえるのでしょうか?」
アンデッドは、神が定めた世界の理に背く存在であり、光の神々はもちろん、闇の神々ですら、その多くはアンデッドの存在を許してはいません。
アンデッドの存在を認め、アンデッドが神聖魔法を使うことを許しているのは、闇の神々の中でも特に凶悪なものだけだと言われています。
私は、レーシアさんの記憶から、彼女達が信じていた神が、実は闇の神々の一柱だと知っていました。それは暗黒神アーリファと呼ばれる神です。しかし、アーリファはアンデッドを認める神ではありませんでした。
「ありえない事ではない。
きっと、レーシアという者が仕えていた神は、ここに暮らしていた者達が、自ら望んでアンデッドになったわけではないということを知っていたのだろう。
だから、神聖魔法を使うことを許した。神々は、その程度の融通はつけてくれるものだ」
「そうなのですね……」
治療師さんの言葉を聞き、少し気が楽になりました。
この街に住んでいた方々が、信じていた神に見捨てられてはいなかったと分かったからです。
「ところで、剣士殿」
治療師さんが改めて声をかけてきます。その口調は厳しさを帯びています。
「はい」
私も居住まいを正して答えました。
「剣士殿は、今回大変な幸運に恵まれていたということを自覚しているか?
ゴーストに憑依されたことが、今回に関してはよい結果に結びついたのは事実だ。しかし、それは正に結果論というものだ。普通なら、ゴーストに憑依されるということは害でしかない。
それから、剣士殿自身の強さは、今回の件を解決するのに足りなかった。これが最も重大なことだ。剣士殿は他者の力を借りて、どうにか解決できた。
結果として他者の力を借りて事を成せたとしても、今後も他者の力を借りる事を期待するべきではない。最後に頼りになるのは、己1人の強さだけなのだから。
そして、たとえ正しかろうと、善なる者だろうと、どれほど気高く強固な意思を持って戦おうと、強くなければ負ける。それが真理だ。
剣士殿は、その事を自覚して、己1人の強さを高めるべく修練に励むべきだ」
「……分かりました」
私はそう答えました。
他人に期待してはならない、頼りになるのは自分だけ、という言葉には賛同しがたい気持ちもありましたが、私の行いの為に治療師さんに迷惑をかけてしまったのは事実ですし、強くなければ負けてしまうということも、少し前に痛いほど実感したばかりでした。
そして、修練に励むべきだという結論は、全くそのとおりだったからです。
「ふむ。まあ、とはいっても、当然ながら結果というものも大切だ」
治療師さんは、声の調子を緩めてそう言いました。そして、言葉を続けます。
「実際、私も剣士殿の働きのお陰で助かったわけだしな。それについても感謝している。その印に、預けた首飾りと指輪を剣士殿に贈ろう」
「そんな! こんな高価なものをいただけません」
私は慌てて答えました。
これらの魔道具が相当の値打ちものだということくらいは、私にも推測できます。
「なに、依頼の報酬も兼ねている。受け取っておいてくれ」
「報酬ですか?」
「調査に協力してくれれば、それなりの報酬を用意すると言っただろう。
実は、剣士殿が術式を壊して亡霊たちが解放された後、魂が召されるまでの短い時間だったが、理性を取り戻した亡霊たちと話すことが出来た。
結果、私は望んでいた情報を得られた。剣士殿のお陰だ」
「私の行いは治療師さんに協力したと言えるようなものではありません。むしろご迷惑をかけてしまって、私の方こそ助けていただきました。それに、仮に報酬をいただくとしても、これはもらいすぎです」
私はそう言って、重ねて固辞しました。
「若い者が遠慮などするものではない。
それにな、剣士殿は結果としては、たいそうな事を成し遂げている。もしも、この廃墟の亡霊の群れが人里に侵出してしまったなら、何千人が死んだか分からない。それを阻止した事は大きな功績だ。
そして、それ以上に1000年を超える永きに渡って、呪いに囚われ苦しめられていた数百もの魂を救った事も偉大な行いだ。その功績に比べれば、このくらいの見返りでは足りないほどだ」
「それは、私が治療師さんから貴重な品をいただく理由にはなりません」
「そう言うな。私は本当に剣士殿に感謝している。感謝の品を是非渡したい。その魔道具は、きっと剣士殿の役に立つ。持っていて損はないはずだ」
「……」
私の心は動いてしまいました。確かにこの魔道具はとても有益なものです。
私も一人旅を続ける中で、何度か危うい目にあった事があります。そして、今後も会うでしょう。
そんな時に、このような魔道具があればどれほど役に立つかわかりません。
「……お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
私は結局そう答えました。
「うむ、それでよい。ところで、剣士殿はもう動けそうか?」
「はい、もう大丈夫です」
「そうか、私は目的を果たした事だし、もうここを立ち去るつもりだが、剣士殿はどうする?」
治療師さんに問いかけられて、私は少し悩みました。
私も冒険者の端くれとして、古代魔法帝国時代の街を探索するという事に少なからず興味を持ったからです。ひょっとすると貴重な品物が見つかるかも知れません。
しかし、レーシアさんの住んでいた街を漁るようなことはしたくないという気持ちもありました。
それに、たった一人で廃墟を探索するというのは、相当に危険な行為でもあります。
これ以上欲をかくべきではないでしょう。
私はそう結論づけて治療師さんに告げました。
「私も、ホーヘンの街まで戻ろうと思います。良ければご一緒させてください」
「そうか。それは私も心強い。では、早速行くとしよう」
「はい」
そう答えると、私は治療師さんと連れ立って、呪印が施されていた家から出ました。
外はもうすっかり明るくなっています。早くも暑くなりそうな様子です。昨日感じた異様な寒気はもはやありません。
呪いは解かれたのだと実感できます。
「私はしばらくホーヘンの街に滞在するつもりだ。何か機会があったらまたよろしくな」
治療師さんがそう声をかけてきます。
「すみません。私は逆に、そろそろホーヘンの街を発つつもりでした。私も旅の途中なんです」
「そうか。それは残念だな。まあ、縁があればまた会おう」
「そうですね。ご縁があれば」
私達はそんな会話をしながら、正面の門から防壁の外に出ました。
少し歩いてから、私は一度だけ振り返って、その廃墟を見返しました。
そこから、声が聞こえて来ることはもうありません。
――― 完 ―――
惨劇の廃墟の死者の声 ギルマン @giruman
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