【男の娘BL】染まって染められる春
鴻上ヒロ
染められたネイビーブルー
鏡を見て、ため息をひとつ。首ぐらいの長さまで切りそろえられた毛先に、ネイビーブルーのインナーカラーが映る。ふんわりとしたボブの髪の毛が、我ながら今日はよく出来ていた。
ピコン、と通知音が鳴る。なんとなく、そんな気がしていた。
――今日うち来いよ! すげえもん買ったから!
もちろん行くよ、と返信する。
女装も、板に付いてきてしまった。彼の好みに合わせて髪型を変えて、髪色も変えて、服もダボッとしたパーカーにホットパンツ。ちょっとボーイッシュな雰囲気だ。
「いや、男なのにボーイッシュってなんだよ……」
唇のほんのりとした紅も、全部全部、あいつのせいだ。
「さて、行くか」
家を出て彼の元へと向かう。なんとなく、足取りが軽い。桜色に色づいた木々を横切っていくのは、気持ちがいい。
ぼくは、昔から桜色が好きだった。女の子みたいだとからかわれるのが嫌だった。顔も声も、自分のことながらあまり男っぽくはなかったから、どれだけからかわれてきたかわからない。
しかし、彼の家のインターホンを目の前にして、スマホを鏡代わりに髪を整えるぼくの姿は、女の子のようだった。それも、今では不思議と気分がいい。
「おー、ハル! よく来たな!」
高校生ながらに一人暮らしをしている彼のアパートの部屋。その扉を開けて、スウェット姿の彼がにこやかな顔で出てきた。ぼくのこの姿を見せるのは、これで二度目だ。先週の土曜日に試しに女装で出歩いているぼくを見て驚いたくせに、彼はそれでもなお普段通りに接してくれている。
「おう、すげえもんって何?」
内心ドキドキしながらも、平静を装って笑う。引きつっていないだろうか。心配になりながら、「まあまあ見てみろよ」と言って部屋に引っ込む彼に続いて、部屋に入る。
「じゃーん! どうよすげえだろ?」
「お前これ……」
彼の部屋のローテーブルの上に、真っ黒な人の頭があった。ダミーヘッドマイクというやつだ。彼は趣味で配信をしており、試しにASMRをしたところ人気になって、最近では少し際どいASMR配信もしている。
それにしても、これは思い切りが良すぎじゃないだろうか。
「100万するやつだよな、これ」
「おうよ! 動画収益で買ってやったぜ! 次は音声作品だな!」
「音声作品って……お前どこまで行くつもりだよ」
彼が吐息混じりに囁いて、その声に、言葉に見知らぬ女性たちが頬を染めるのかと思うと、心臓を取り出して掻きむしりたくなるような想いに駆られた。彼はぼくのそんな気持ちなど知らないんだろう。悪びれることもなく、笑顔でぼくをダミーヘッドマイクの前に座らせる。
「ちょっと遊んでみようぜ」
「遊ぶって……これで?」
「おう!」
「何すんだよ、スマブラとかでいいじゃん」
モニターの前に置かれたゲーム機を指すと、彼は頭を振ってぼくの肩を掴んだ。
「新しいおもちゃ買ったら遊ぶだろ、普通」
「100万するおもちゃだぞ……何すんだよ」
「ASMRごっこ」
「ごっこってお前なあ」
ため息をつきながらも、彼はダミーヘッドマイクをパソコンに接続していく。そうして二人して色々なセリフを囁いたり、耳かきをしてみたり、本当に新しいおもちゃで遊ぶようにして一通り楽しんだ。彼は興奮した様子でまたぼくの肩を掴んで、口を開く。
「よし、今度は耳舐めとかしてみるか?」
「み、みみみ、耳なめ!?」
甲高い声が、自分の口から飛び出た。ぼくの肩を掴んでいる彼の目は、吸い込まれそうなほどに透き通っている。こうなってはもう、彼は止まらないだろう。それに、ぼくの心にもちょっとした悪戯心が芽生えていた。
「わかったよ、やってみる」
「おー、じゃあ俺モニタリングしてるな!」
彼が右耳にイヤホンを着け、もう片側をぼくに着ける。ぼくは胸の鼓動を必死で抑えようとしながら、だけど抑えることはできず、黒い頭を持ち上げた。シリコンでできた耳が、ゆっくり、ゆっくりとぼくの唇に近づいてくる。これがもし、偽物の頭じゃなければ。
想像すると、自然と吐息が漏れた。
「んっ……はぁ……」
左耳から、水音混じりの音と自分の吐息混じりの声が聞こえる。頭がどうにかなりそうだ。それなのに、どういうわけか、止められない。目を閉じる寸前、視界の端に彼の膨らみが見えた。
「んっ、ぁ……ふぅ」
耳たぶを口に含み、舌先で舐める。シリコンのよくわからない苦みのある味が口中に広がって、顔がどんどん熱くなってくるみたいだ。頭がひどくぼんやりとする。心臓の鼓動がうるさい。呼吸が荒いのか、左耳に返ってくる音に「はぁ、はぁ」という呼吸と喘ぎ声に似た吐息が増えていた。
目を開けて口を離すと、目の前がぼんやりとする。なのに視界の中心だけはハッキリとしていて、その中心には彼の唇があった。いつの間にか、彼の方を向いてやっていたらしい。
「お前……エロすぎんだろ」
「う、うるさい、お前のせいだバカ」
偽物の頭を抱えながら、彼の顔から目が離せない。彼もまた、ぼくのことをまじまじと見つめていた。ああもう、何も考えられない。
「全部、お前のせいなんだからな……」
言った次の瞬間、ぼくの紅い唇と彼の唇が重なった。柔らかく、だけどほんの少しぼくの唇を跳ね返してくるような感覚がして、ぼくの頭に霞がかかる。少しして唇を離し、ぼんやりとしたまま笑顔を作る。
「だから、今だけでもいいから」
ぼくの手が勝手に、彼の膨らみに手を伸ばした。その手を彼の手が止める。いくらなんでも、やり過ぎたかもしれない。
嫌われたかもな……。
そう思って彼の顔を見上げると、そこには照れたように笑う大好きな彼の顔があった。
「今だけじゃなくてもいい」
「……っ!」
また、唇が重なる。彼の腕に抱かれながら、眉間の奥からじわっとした感覚が広がる。それを止められず、ぼくたちはそのまま戻れないところまで行ってしまうような気がした。
だけど、いい。
このまま身も心も彼の色に染められて、ぼくはもう元の色には戻らなくなる。心地いい恍惚のなかで、そう確信した。
【男の娘BL】染まって染められる春 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki
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