綱渡り

「墓荒らしってことですか?」


 便所の出入口で寄せ集まったまま、話は進む。椋伍が問いを重ねると、家教は頷き、


「ええ。それまでも些細ないざこざはあったようで、本家も警戒していたそうです。仮にも当時は天龍家の血が流れていましたからね。お家騒動にスミレ様の遺骨を使われてはかないませんから。しかしどこで嗅ぎつけたのか安置場所が知られ、あわやと言ったところで取り押さえられました。――お二人共、水呼箱ミズコバコをご存知ですよね? ダイゴさんが配って回っている箱の原点である、災いを呼ぶ代物です。内田一族はそれを作ろうとした。それもあって彼らは村を追放されたのです」

「それがなァんで帰って来るんだよ。そのまま追い出しとけや」

「思惑は掴めませんでしたが、年月による血の薄さを理由に、先々代が許してしまったのですよ」

「納得いかねェ」


 直弥が口を突き出して苛立ち、椋伍も眉間にシワを刻んで頷けば「ごもっともです」と、家教は決まり悪そうに苦笑する。


「件の内田の者がこの屋敷に入り込んで、的確に椋伍さんの紙を狙ったのは、魂の破壊もしくは戦力を削ぐためでしょう。直弥さんも報告されていましたが、ダイゴさんは現在村ぐるみで動いている。現在の宮司や内田も、その一派と見るのが自然です」

「どこまで自分が憎いんだよ。そこまでやるか?」

「あー……ねえ?」


 歯切れ悪く椋伍が同意してみせると、直弥はしばし固まり、傷ついたような目をした。その空気に家教も、痛ましげに椋伍を見遣り頭を下げる。


「私が生きてさえいれば、あちらの邪魔が出来たのですが。本当に面目ないことです」

「もしかして、神主さんが亡くなったのも家とかオレ絡みだったり……?」

「いえいえ! 単に脚立から足を滑らせただけですよ」


 焦ったように家教は手を振ると、片手を袖に仕舞い、人差し指を立てて見せる。


「ほら、神社の本殿横に赤い鳥居があるでしょう? 私が塗ったんですよ。その時につるっと」

「え……えっアレ!?」

「カッパのケツ見ながらくぐったアレか……」


 井戸神の一件と葉送祭ハオクリサイを終えた椋伍とその一行が、神隠市カクリシから村へ帰ろうとしたあの時。

 鳥居は元々は白く、赤に塗り替えられたのだと語られた場面があった。

 椋伍も直弥もそれを頭によぎらせ、目を丸くしていると、家教は「まあそれはそれとして」と話を戻す。


「内田一族も本家へ長年の恨みを募らせていることでしょう。あのまま村に分家としてあれば、ある程度は好き勝手に暮らせたはずですから。スミレ様の遺骨を求めたのも、菖蒲様の事件から百年ほど経った後のはず。今さら一族のひとりの命を使ったところで、恐れも何もありはしないのでしょう」

「それでアレか」


 内田かのじょの人ではない蠢き方と常軌を逸した奇声を思い出したのだろう。椋伍は深くため息をつく。


「早いうちに骨取られてたらどうなってたか、想像したくないです。絶対村終わってた」

「アァ? 天龍テンリュウセンパイは大丈夫だろ」

「いえいえいえ」

「いやいやいやいや」

「何だよ」


 椋伍だけでなく家教まで首をブンブン振る。直弥が両手を広げて促せば、


「二人とも村を祟ってもおかしくない死に方してんの。まず、ユリカさんは儀式のために舌噛み切ってる」

「ハ?」

「その儀式が成功して、役目果たそうとした矢先、祠燃やされてるし」

「ハ?」

「あと菖蒲アヤメさんはユリカさんに間違えられて、刀で全身斬られて、しかも崖から落とされてる」

「ハァアー? よく村の奴ら子孫残せたな」

「その子孫も漏れなく、死んだら神隠市カクリシ行きだけどね」

「最高で最悪な仕組みじゃねーか」


 やがて胸糞の悪さをイマイチ吐き出しきれない顔で、直弥はため息をついた。

 

「そんなバケモンを、お前のお母さんといい内田のババアといい気軽に降ろそうとしすぎだろ。もうちょっと平凡に生きろよ」

「いやいや、母さんはまだ分かんないし。そうだ……ちょうどいいや。神主さん」


 椋伍は改まったように家教に向き直ると、


時任トキトウ家の依代ツグヨが、代々神様や霊を降ろす役割をしてるって知ってましたか?」


 と尋ねた。一瞬だけ家教の目の奥が揺らぎ、また平素の通りの微笑みに戻る。


「参りましたね。その様な話を何処でお聞きになったのやら」

「ひまわりのワンピースが似合う女の子が教えてくれましたよ。ツグヨはひとりじゃないって」

「……あまり良い風習ではないので、このまま廃れて欲しかったのですが。私にその話をしたということは、やはり降ろしますか? ツグヨさんはこの村に、神を」

「神様かどうかはわからないです」

「というと?」

「ダイゴは菖蒲さんを降ろして殺して、ユリカさんを堕とすと思います。そのために母さんを利用はするけど、母さんもそのまま言われた通りに降ろすとは限らない」

「はあ、なるほど」


 すんなりと受け入れた後、家教は訳知り顔で笑った。


「それはまた面白いことになりそうですね」

「面白い? 最悪人死ぬんですけど?」

「ああ、申し訳ありません。今代の依代ツグヨさんは少々変わったお人なので。状況を顧みず楽しくなってしまいました」

「少々じゃない気が」


 バタタタ、と屋根裏をネズミが走り抜けるような音がして、椋伍と直弥の顎が上向いた。


「まあそれはまたの機会に。何やら案じていらっしゃるようですが、お母様なら大丈夫ですよ。村はどうかは分かりませんが」

「何か知ってるんですか?」

「何を降ろすかは分かったつもりです」


 かくん、と家教の頭が不自然に揺れた。

 その違和感に椋伍が目を凝らし、直弥が訝る息を漏らした時「時間ですね」と家教は頬を掻く。


「直弥さんはお疲れなのではありませんか? よろしければ、私の本体のある場所へとご案内しますが」

「本体?」

「今の私は式神なのです。間もなく紙切れへと変化が解けます。会話も難しくなるでしょうが、動きに支障はありません。紙片が誘う方へお進み下さい」

「俺はいい。ストッパーがいねえとダメなのがここに居るからな」

「これ以上屋敷を巡るのですか?」


 案じるような眼差しに、椋伍は直弥へ「オレは平気でーす」とアピールしていたのをやめ、


「ダイゴが絡んでるなら、降霊術いっぱいしてるはずなんですよ。前にオレのダチが曰くになっちゃったヤツかもしれなくて、だからあの部屋からここまで来たんです」

「それは一体どのような……?」

「肉を飾る儀式と、こっくりさんと、ひとりかくれんぼの同時進行です。肉はオレが今塩かけました」

「そうですか。生憎私も手が離せませんし……おや。近くに菖蒲アヤメ様が居ます。情報を共有して、該当する儀式の痕跡がないか探した上で、椋伍さんの元へ届けてもらいましょう。式が一度巡り会えたのであれば、またすぐにお会いできるはずです」

「ありがとうございます!」

「いえいえ。どうかおふたりとも」


 もう一言を紡ぐには限界だったのだろう。どろん、と煙を出して人形の紙になった家教は、そのまま吹きもしない風に乗ってひらひらと何処かへ飛んで行ってしまった。


「天井の隙間に入っていきやがった」


 そりゃ音も何もしないわけだ、と直弥も感心したように呟く。


「マジで良かったの?」

「励みになるだろ? で、どうする。来た道戻るか? それとももう一方の便所開けるか?」


 椋伍はううん、と唸り、


「ウン、開けとこう。もし肉があったら放っとくのも悪いし」


 言いつつ今の今まで入り浸っていた便所の扉を閉め、もう一方の扉を開くとそこには、左側に障子がずらりと並んだ狭く短い廊下が伸びていた。


「おお、怖ぁ。これ通らなきゃダメ?」

「アア? 行くしかねェんだろ?」

「バリバリバリィッて腕が伸びてきたら怖くない?」

「そン時は腱鞘炎になるまでテメェが塩振っときゃいいだろうが」

「ああーッしょうがねーなァー!」


 いちにっさん、と元気よく椋伍は一歩踏み出した。塩を握る手がキュッと鳴る。

 直弥も椋伍が三歩進んだ辺りで廊下へ踏み込み、支えていたドアノブから手を離せば、軽い金属音とともに扉は締まり、暗闇が色濃くなった。

 障子と向かい合うようにして、左手側にはカーテンがかかっている。束ねられたベージュのカーテンを繋ぐように、白いレースカーテンがあり、細々とした隙間から闇が覗く。今にもそのレースのひとつに手を差し込んで、誰かの顔がぬうっと現れてきそうな不気味さがあった。

 障子は一区切りづつの小部屋なのか、この全てをまとめてひとつの部屋なのかは、開けてみなければ分からない。


「カーテン全部閉めてェ」

「分かる」

「障子は破りてェ」

「腕抜いた時、穴に誰かの顔があったら怖くない?」

「気色悪ィこと言ってんじゃねーよ」

「かもしれない運転が大事なんだって」


 一拍、会話が止まる。足は止まったままだ。


「この障子全部開けるンかよ?」

「儀式の跡探すには開けて行った方がいいんだろうけど、わっと来られたらヤなんだよなあ」

「ンなベタなやり方で来るわけ――」


――バン、バン、バン!!


「来た来た来た!!」


 手前から順に障子が開き、塗り込められた闇が口を開けた。咄嗟に椋伍は直弥を背に庇って塩を構える。

 ぎぎ、ぎぎぎ、とゆかが軋む音がする。

 嫌な予感が胃からせり上ってくる感覚に、椋伍は叫び出したくなるのを耐えて、瓶の赤いキャップを外し、キャップの中へ塩を注ぐ。


 ぽ、ぽぽ、ぽぽぽぽ


 不思議な音がそこかしこから聞こえ始めた。鼓のような、梟のような、水滴がシンクに落ちるような、なんとも言い難い音で、耳元や左肩、背中の裏、天井裏、足元どこからでも聞こえてそのいずれかでもない。

 そこへ視線を走らせても意味が無いと、早々に椋伍は見切りをつけて視線を真っ直ぐに固定したが、直弥は落ち着きなく周囲を見回していた。


「塩握って。大丈夫。姉ちゃんがついてる」


 椋伍の強ばった声に、直弥は小瓶を握りしめてキャップを外す。肩にも手にも力がこもり、指先は白い。


 かた、ん


 十歩先の廊下の突き当たり。天井の一部が僅かに浮いて、滑るようにずれた。

 するり、ま白くしなやかな腕が一本下ろされて、それは長く長く下ろされて。とうとう床に指先が着く。肩が出て、ずるん、と長い髪がすだれのように滑り落ち、それと共に白いつば広の帽子が廊下に落ちた。ずるり、ずるりともう片方の腕が、体が降りてきて、ずしゃり。

 とうとう、この場の二人どちらも肩がつかえそうな狭さの穴から、長大な女が落ちてきた。


 ぽ、ぽ、ぽぽ、ぽ


 不気味な音はやまない。

 女が出てきたことでむしろ、増している。そこで椋伍は総毛立った。


――コイツ知ってる。まずい、オレも直弥も今はガキだから相性が悪い!


 かつてオカルトマニアな友人がいた椋伍は、コレを前に冷や汗をかく。直弥の方を振り返らないまま腕を掴むと「塩で円描いてそこから出るな」と短く言いつけた。

 返事がない。

 女が立ち上がろうとしている。


「おい」

「……」

「オイ、しっかりしろ!!」


 振り返れば直弥の焦点が合っていなかった。う、う、と不穏な音に共鳴するように呻いている。


――魅入られてる!!


 咄嗟に判断し、椋伍は直弥の膝裏を蹴ってその場に跪かせると、塩の円で取り囲んで小瓶をしっかりと両手で握らせ、


「……何もこんな辺鄙な所に来なくても良かったんじゃないですかねェ、八尺様」


 そう焦りを隠すように鼻で笑い、曰くに向き直る。

 帽子を被り直し、足を大きく折りたたんで獣のように四足になったソレもまた、すだれのような前髪の隙間から、粘着質な眼差しを椋伍に向けていた。

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カクリシへ―神々隠南部泉伝説― 小宮雪末 @nukanikugi

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