めぐり逢い
ひとりかくれんぼとは。
手足のあるぬいぐるみを切り裂き、綿を全て取り出し、生米と髪もしくは爪を入れ、赤い糸で縫合し、余った糸はぐるぐると本体へ巻き付けた物を使用する降霊術だ。
ぬいぐるみには名前をつけ、塩、刃物を用意する。
時刻は丑三つ時。隠れ場所を予め決め「最初は𓏸𓏸が鬼だから」と三回唱えて風呂へ行き、水を張った湯船へぬいぐるみを沈める。
その後明かりを全て消し、テレビは砂嵐の状態にして目をつぶって十秒かぞえると、刃物を持ってぬいぐるみの元へ行き――
「𓏸𓏸見つけた」
そう言ってぬいぐるみへ刃物を突き刺す。
「次は𓏸𓏸が鬼だから」
三回唱えて、次に自分自身が塩水を隠し場所へ隠れに行き、しばし待つと――霊障が起こる。
制限時間は二時間以内。塩水を少し含み、何が起こっても吐き出さないようにして移動し、ぬいぐるみを探す。
そしてぬいぐるみに、コップの塩水、口に含んだ塩水の順にかけて言うのだ。
――私の勝ち、私の勝ち、私の勝ち
「最終的にそのぬいぐるみは燃やさなきゃなんだけどさー、湿ってるし、キャンプファイヤーくらいの火力じゃなきゃすぐに処理できなくね? とオレは思ってる」
「俺に言うなッ!! 前来てンぞッ!!」
現在、
遡ること出発の時。引き戸を勢いよく開けた二人の目の前には、岩壁を削り木枠をはめ込んだ階段が上へ向かって伸びていた。
あれほど廊下で化け物が闊歩している物音がしていたのにだ。
「なるほどね」と軽い調子で言って登り始めたのが椋伍で、それにひょいひょいついて行ったのが直弥。この時、二人とも何も「なるほど」と思っていなかった。ノープランである。
階段を上がり切ると何故か大広間へたどり着き、そこから現在に至るまで、人ならざるものからずっと逃げ回っていた。今は障子に挟まれた狭い廊下をひたすら前へ前へと進んでいる。
「天龍家ってお金持ちだよなぁ。家の中にあんなに広い部屋があったら、梅雨の時期も走り放題――あれ? ねえ直弥、ここ襖がさぁ」
「開けンじゃねーぞ訳もなく!! テメーさっきそれで五体くらい一気に来られたの忘れたンかよ、アァ!?」
直弥に凄まれ、渋々椋伍は襖に掛けていた手を離し、ついでに直弥が「髪と腕の長い女」に掴まれそうになっているのを、直弥は椋伍の横腹を掴もうとしている「障子から伸びる二つの手」を、ちゃちゃっと塩をかけてジュッと溶かした。ぎいい、と汚い断末魔が上がる。
「応接間もハズレだったもんなァー。場所は合ってたのに誰もいなかったし」
「意外と一回入ってもう一回開けたら、違う場所に繋がったりしてなァ」
チクショウが、と悪態をつき直弥は崩れ落ちる化け物を掻い潜ると、椋伍と共に廊下を駆けた。
「それスタートの時にやれば良かった」
「まだ後ろから来てンのを撒かねーと、呑気にパタパタ出来ねーわな」
「あ! ここ行ける。廊下長ーい」
「だから!! 勝手に開けンなッ!!」
椋伍が嬉々として呼び止めると、数歩行き過ぎた直弥が急カーブで戻った。巨大な顔面の化け物、体がつづら折りになっている男のような化け物が二メートルに迫り、やむなく二人は引き戸の中へ飛び込む。
砕けんばかりにバンッと閉じ、咄嗟に椋伍は戸の左右下方へ塩で小さく山を作る。
かたかた、かたかた。
微かに風に煽られるような物音と振動が続き、やがて通り過ぎていき、ふう、とどちらともなく息を着いた。
直弥は疲労からか、その場に尻をつかずにしゃがみこむ。
椋伍が背後を振り返るとそこは、所々間接照明にぼんやりと照らされた白い壁と、艶のある板張りの廊下が黒々と一本、長く伸びていた。
「流石にこの辺で息整えなきゃヤバかったっしょ?」
「前から来られたらオシマイだけどな」
「いや、塩あるんで。困るのあっちなんで」
「……強気なのがクソ腹立つなァ」
引き戸の盛り塩はびくともしない。
椋伍はそれを確認すると、苛立つ直弥へ向き直った。
「それより、ここ行ったら何があると思う?」
「知らねェよ。アテがあるから入ったんじゃねーンか?」
「全然」
「……行くしかねーか」
何度目かの行き当たりばったりに怒る気力もなくしたのか、直弥はため息をついて椋伍へ手を伸ばし、掴まれたと同時に反動をつけて立ち上がった。
「あー、ぬいぐるみが歩いてたら良いんだけどなぁー」
「アァ? 刃物持って襲いかかってきたらどうすン――アァ、分かった分かった。塩は分かったから。刃物刺さなきゃ儀式終わらねーンじゃねェの? って思った俺が馬鹿だったわ」
「いや確かに正規のルールはソレなんだけどさ、もうこれだけぐちゃぐちゃなら塩のが早い」
「なんっなんだよソレマジで……」
「姉ちゃん直伝やっつけ塩」
「分かったけど分からねーし納得できねェ」
市販の塩そのままでも、椋伍がいけると思えばいける。そう聞いたら直弥はどんな顔をするのだろうか。
椋伍はこれ以上は面倒くさくなりそうで、言うのをやめた。代わりとばかりにへらへらしていると、その尻を強めに直弥が叩く。
「痛ァ!!」
「キリキリ歩けや」
「分かったって。てかトイレっぽいドア二個ない? どっちがトイレ?」
「どっちも便所だとまた来た道戻らなきゃなンねーぞ」
「その時は窓から出よ」
「ふっ……肩幅が合わねーだろ」
直弥が僅かに笑いながら反論する間に、件の扉の前に二人はたどり着いた。
菊の彫刻がされたドアノブの扉が、左右に二つ。どちらも木のプレートが上部の真ん中にあり、黒字で「御手洗」と書かれている。
「なんか、ヤな感じがする」
ぽつりと椋伍はつぶやき、
「どっちが」
直弥が横目で表情を伺う。ぎい、と家鳴りがして一瞬視線が逸れたが、椋伍は傍らの様子には目もくれず左右のドアノブを指さしてどちらかを選ぼうとしていた。
「わかんない。順番に開けよう」
「マジかよ。どっちから」
「直弥、手、何利き?」
「右」
「だよね。右で」
「テメーも右だろ」と言われながら、椋伍は右側の扉へ手をかけ――勢いよく開いた。
「……。肉、あったわ」
「……マジじゃねーか」
外の闇が透けて見える磨りガラスの小さな窓辺。そこに白い陶器の皿に乗せられ、てらてらと光る赤い肉の塊があった。
手探りで電気のスイッチを直弥が探すがどこにもなく、諦めて廊下の明かりの差し込みを邪魔しないよう体を傾けることとなった。
「何の肉だよ」
椋伍が皿にぐっと近づくと、背中から直弥が問いかける。
「牛、かなあ」
「勿体ねェ。つーかこんなンが降霊術? になんのか?」
「なんか色んな工程があったはずだけど、忘れた。これ名前もない儀式なんだよね」
「気色悪ィ」
小声で話しながらちゃちゃっと塩が振られる。肉は塩の粒で僅かに煌めき、ごくり、椋伍の喉仏が上下した。
「……オイ」
「やめて」
「なんかコレ下拵えみたいじゃ――」
「やめてマジで」
淀んだ空気があったような、なかったような。澄んだような、澄んでいないような。
それらが分からなくなりそうなところで、椋伍が「やっつけ塩ッ!!」と叫び、最後の一振をして強引に終了とした。
「ッし! サクサク行こう」
「もうなんでもアリだよテメーはよォ……」
「その分心強いのも確かですね」
男の声が直弥の耳元でそう言った。
ヒュッと二人とも息を吸い損なって飛び上がる。二人で塞いでいた狭い手洗いの個室の出入口――つまり、息もかかるほどの近くに男はおり、振り返ると
「……びっ、くりした。神主さん、いつの間に!?」
「ああ、申し訳ありません」
間違いなく、この屋敷の主・
宮司の装いはそのままに、僅かに額に汗を滲ませた彼は、青くなっている直弥の背後からそっと離れると、常のように静かに微笑んでみせた。
「予想より早く合流出来て良かったです。客間にいらっしゃると
「え? めっちゃ元気ですよ」
「おう、神主さん。ちょっと有難ァい目でちゃんと見てやってくれや。コイツの元気はイマイチ信用ならねェから」
「なんで?」
ぐい、と肩を掴んで前へ立たせる直弥に、椋伍がささやかに反論すると、今度は家教がその肩を掴み「失礼」と断って真正面からじっと椋伍を見つめ始めた。
「……。見た限りではなんとも言えませんね。魂を込めた物を破壊されたとなれば、何らかの影響が出るかと思ったのですが」
「マジかよ。コイツ若干寝苦しそうだったし、ブン殴っても起きなかったんだぜ?」
「そういえば夢、見たわ」
「アァ?」
「それは一体どのような」
聞いてねーぞ、と直弥が青筋を立てるのを抑えるように、家教が食い気味に先を促す。
椋伍は僅かに考え込み「姉ちゃんが死んだ後のことだと思うんですけど」と前置きをして、夢の内容を事細かに口にした。
「それは紙に封じ込められた魂の記憶でしょう」
そうして聞き終えた家教の意見は、椋伍と同じだった。彼は人差し指を立てて言う。
「当初の私の考えでは、ダイゴさんは魂をこ削ぎ落とす事によって、自身の不要な感情を捨て去っているのだと思っていました。しかしそうではなく、感情を捨て去るのに魂も切り離してしまった。その結果が、
「どう違うんだよ?」
「今ここにいる椋伍さんが紙を媒体にしているのはご存知の通りですが、魂が主体であれば紙を破いた瞬間に死ぬか、それと同等の痛みが走るはずです」
「なっ……!?」
「えっ」
「しかしです。記憶や感情が主体になると話は変わります。それらが元の体へ帰っていく。魂はほんの道しるべです」
「あ、もしかしてあの夢が」
椋伍がそう漏らすと、こく、と家教は頷いた。
「記憶が帰ってきたのでしょう」
「肉体じゃないのに?」
「
「それがオレ……?」
「恐らくは」
「でもよォ」
トイレの壁に寄りかかりながら、直弥は眉を寄せてさらに疑問をなげかける。
「内田とかいうババアは、なんで紙破いたんだよ。明らかに危害加える顔面してたぞ」
「内田……?」
家教は怪訝そうに顎に手をやる。椋伍もこれには「おや?」という顔になって、
「
「爪……いえ、しばし。あー……ああー」
家教は補足された情報に僅かに唸ると「あの家ですか」と今度は片手で顔を覆ってしまう。椋伍は直弥と目を見合せた。
「まあ、紙に関しては全てが結果論です。内田という人物は、私が危惧していたことを成そうとして、失敗したのでしょう。おっしゃる通り、ダイゴさんと組んでいる可能性も十分にあります」
「……結局、どういう奴なんだよ。内田って」
家教の様子に、直弥も自ずと声を潜めて尋ねれば、また少し家教は呻いて続けた。
「私が宮司になった年に、帰村してきました。長らく村にいませんでしたが、確か彼らは天龍家の遠い分家です。もう天龍の血も残っていないような家で、大昔に揉め事を起こして村を出たのだと聞いています」
「揉め事、ですか?」
「はい」
椋伍の問に重く頷き、家教は告げる。
「あれはかつて、
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