後編
妻の里香が家を出て行ってひと月。俺は幸せな日々を過ごしている。あんな、不器量で強欲なヒステリー女と結婚したのは、全く以て俺の人生の黒歴史と言わざるを得ない。あの女は自分が浮気したなどとほざいていたが、とんでもない思い違いだ。あいつに近づいて来た男は俺が雇った便利屋で、俺は自分の浮気がバレても離婚時にこちらの損害が少なくて済むように、相手にも非があるように手を打っておいたのだから。
インターホンが鳴る。俺はいそいそと玄関を開けた。そこにいたのは、長い黒髪の、儚げな若い美女。それと。
「ねえ、ぱぱぁ! このまえ、へんなひとがきたよ。うちに、たおるのおとしものしたっていってた。めつきがわるくてぇ、いじわるそうなひと。こえもぴりぴりしてこわかったんだよ! ねえ? ままぁ」
2歳になる俺達の息子の声に、
「そうか。でも大丈夫だよ。もうその人、二度と来ることは無いから」
俺は引越し段ボールが積み上がった部屋に彼らを招き入れ、走り回って遊ぶ息子を微笑ましく見ながら、冴子を抱きしめた。
「冴子。お前の案は最高に良かったよ。本当にありがとう。よく思いついたな、あんな作戦」
んぽぽん様。俺はこのアイデアを、冴子から伝授されたのだ。俺が狂気に陥ったように見せかけて、あの女を家から追い出す秘策。案の定、里香は持病のヒステリーを起こして家を飛び出し、翌日には離婚届を突き付けてきた。俺は精神鑑定をされたところで、当然引っかかるわけなど無い。冴子との関係もばれず、慰謝料も払わず、俺は里香と離婚した。作戦は大成功だ。俺は言った。
「これでやっと、お前達と家族として幸せに暮らせる。待たせたな、冴子。ほとぼりが冷めたら、俺達の婚姻届を出そう」
新居への引っ越しはもう間もなく。冴子も俺もこのマンションを売り払い、新しく家族としての一歩を踏み出すのだ。上機嫌で冷蔵庫から缶ビールを取り出す俺に、冴子は微笑んだ。感情の読めない、不思議な笑みだ。
「ふふ。これも、んぽぽん様のおかげね」
「お前は賢い女だ。俺達の作戦は大成功に終わったな」
冴子は再び不思議な笑みを浮かべ、俺の傍を離れた。そして真っすぐ部屋の隅に進み、床に腰を下ろす。その脇に、息子がぴったりと寄り沿った。俺は微笑ましくその様子を眺めながら、ビールを飲む。冴子はおもむろに床に向かって手を合わせ、はっきりとこう言った。
「んぽぽん様、んぽぽん様。この度は、ご加護をありがとうございました。おかげさまで、やっと私にも運が巡って参りました。新しい住まいでも、どうか私達をお守り下さい」
冴子の隣で、幼い息子が「んぽぽんさま、わらってるね」と笑顔で言った。
Fin
妄言。 愛崎アリサ @arisa_aisaki
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