箱の色
尾八原ジュージ
箱の色
どんぐりが駄目なのよ、あたし。ははは、アレルギーとかじゃないよ。ただテンション下がるだけ。
前住んでたとこは公園が近くて、公園に椎の木がいっぱいあってさ。秋になると子供がいっぱい拾いに来るの。だからしんどくなって、その街は引っ越しちゃった。
昔実家があったとこがさ、田舎で。
家の裏手がもう山なのね。秋になるとどんぐりがそりゃもう落ちててさ、子供の頃弟と一緒によく拾ったよ。一年に一度は弟が口にどんぐり入れて、まずいって騒ぐんだ。
そう、弟がいたの。
お母さんと弟とあたしの、三人で暮らしてたの。ほんと貧乏でさ、むかしの漫画みたいにおかずがイワシ一匹だけとか、まじでそういう家。三人で一匹だよ、ははは。
でも時々懐かしいよ。どうなってるのかな、あの家。もうどこにあったかもわかんないんだ。
ちょっと変な話しようか。
うち、知らない人のへその緒があってさ。
よくあるじゃない。このくらいの箱に綿がつまってて、その中に黒くてしなびた干物みたいなものが入ってるの。あたしのでも、弟のでも、お母さんのでも、どっか行っちゃったお父さんのでもないんだって。
だから誰のかホント全然わかんないんだけど、お母さんはそれをすごく大事にしててたのね。通帳とか大事なもの入れる引き出しに入れて、朝と夜に毎日拝んでんの。神棚とかも置かない家なのに、その箱だけはもう超真面目に拝むわけ。
時々一緒に拝めって言われて、やんないと怒られるから、仕方なく弟と正座して形だけ手を合わせてた。
その箱の色がさ、たまに変わるの。
白木の箱が、中から血が滲んでるみたいに赤くなるの。
そうなるとお母さんは、あたしと弟と一緒に押入れに入るのね。それで「ふたりとも静かにしてな」って凄く厳しい声で言うから、あたしと弟は怖くなってじっとしてる。そのうちに暗くて静かだから眠くなって、寝ちゃって……起きたら押入れの襖が開いてて、お母さんが「もう出てもいいよ」って言うの。で、箱の色は元通りに戻ってる。
そういうことが何度かあったの。
その日は秋だったんだよね。あたしは十歳で、弟は七歳だった。
あたしが風邪ひいて寝込んでて、お母さんは台所で何かやってて、弟は暇だったんだろうね、一人で裏山に行ってた。ドングリの時期だったから。
そういうときにさ、箱が真っ赤になったの。
びっくりしたよ。だってこないだ色が変わったばっかだったから、いくらなんでも早すぎるって思った。
お母さんはあたしを押入れに入れて、弟を探しに行くって部屋を出てった。あたしはいつもみたいにじっとしてて、そのうち熱もあるからぼーっとして眠くなってきて――そしたらバタバタッて足音がして、襖が開いた。
お母さんが立ってたの。お母さんだけ。
真っ青な顔で、息を切らしてさ、押入れの中に入って来て、ぱっと襖を閉めて。
弟は? って聞こうとしたら、シッて言われた。
それでもう何も聞けなくなっちゃって、黙ってるしかなかった。
そしたら少ししてさ、音が聞こえてきたんだよね。
ズッ、ズッて、重たいものを引きずるような音。
板張りの廊下を近づいてきて、畳の部屋に入って、あたしたちが隠れてる押入れの前を、何か探してるみたいに移動するの。ズッ、ズッ、て。
何がそこにいるのかわからなくて、でも見つかったら怖いことになるって直感でわかった。眠気なんかどこかに吹き飛んじゃって、自分の手で口を押えながらなるべく静かに息をしようとしてたのを覚えてる。たぶんお母さんも同じことしてた。
何か引きずる音が押入れの前を右に行って、左に行って――何度繰り返したかわかんない。急にぴたっと止まって――でも押入れの前にはいるんだ。必死で呼吸の音を殺そうとしてた。そしたら襖の向こうで声がしたの。弟の声で「かあちゃん」って言った。
それ聞いたらあたし、うっかり押入れの外に飛び出しそうになってさ、でもお母さんにぎゅって抱きしめられて、止められたの。声は出さずに済んだけど、心臓の音がすごくうるさかったな。襖の向こうまで聞こえてるんじゃないかってくらい。
黙ってるとそのうちまた、ズッ、ズッって音がし始めた。部屋を出て、廊下を遠ざかっていって、そのうちスッと静かになった。
それであたしは――どうしたんだっけ。そこで緊張の糸が切れて、眠ってしまったんだと思う。
起きたら押入れの襖が開いてて、部屋の電気が点いてて、部屋の真ん中でお母さんが泣いてた。
それから弟、いなくなっちゃってさ。
警察に通報とかもちろんしたけど、結局見つからないまま死んだことになっちゃった。
お母さんはそれから毎年、秋になると弟の話してたな。「間に合わなかった」って。だからあのとき、弟がどんぐり拾いに行ってなきゃなぁって、小さい子供がどんぐり拾ってるの見たりするとさ、どうしても思うわけ。
なにが弟を連れてったのか知らないけど。
なにせ、お母さんももう死んじゃって。たぶんお母さんも、よく知らなかったんだよね。いなくなったお父さんから、よくわかんないうちに引き継いじゃったんだ。
今はあたしが持ってるよ、その箱。へその緒もちゃんと入ってる。毎日ちゃんと拝んでるよ。
だって今でもたまに変わるからさ、箱の色。
箱の色 尾八原ジュージ @zi-yon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます