絶対、最後まで。

壱単位

絶対、最後まで。


 「……じゃ、じゃア」


 お腹にちからをこめて。

 なんとか、声を絞り出した。


 「ゆ、雪、降ってキチャッたし、と、トリあえず……はいっチャ、い、ますか」


 午後十時をまわる街に、ちらりと雪が落ちてきていた。

 今朝からずいぶん冷えると思っていたけれど、まだ十一月上旬。いかに北国とはいえ、さすがに早い。早いけれど、あたしは今日ばかりは、今ばかりは、わがままな天気の神さまに全力で感謝している。


 「……も、モウ、ほら、今から地下鉄の最終乗れても、そこからバス、ないし。タクシー代、もったいナイ、ですし、へへ」


 声がうわずっている。

 掠れている。

 へんな抑揚。

 自分でもわかってる。


 さっきまでの飲み会でも、ずいぶん呑んだ。

 だけどそれ以上に、潰れそうな心臓が、からからに乾いた喉が、ふいに訪れた機会を絶対に逃せないという焦りが、あたしの声をかすれさせている。


 まったく予期していなかった。

 四半期にいちどの、部署の飲み会。

 その帰り道、別々に店を出たあたしと彼は、街で再会したのだ。

 裏道。

 ちょうど、休憩も可能な派手な外観の宿泊施設がある、そのあたりで。


 官公庁から元請けとしてシステム開発を請け負っているあたしの会社には、役所を定年退職したいわゆるオービーさんが多い。営業のひとも、落ち着いた感じのそれなりの年齢層のひとが主体で、若手は少ない。新卒採用どころか、そもそも採用自体をあまりしない。

 あたしの部署は、ウェブデザイン、ユーザインタフェースの設計が担当だったから、会社のなかでも若手が多いほうだ。

 その若手のなかで、いちばん若いのが、ことし三十歳になる、あたし。

 客先で、うちの若手、って紹介されるたびに、罪悪感を感じる日々。どうしてあたしが罪の意識を得なければならないのか、納得いかないけれど。

 とにかく、そんななかで同年代の友人すらほとんど作れず、ましてや、未婚の異性の知り合いなど期待できるはずもなかった。

 仕事も忙しかったから、社外で誰かと知り合うという機会もない。休日はずっと寝ている。学生時代の知り合いはみな、もう子供がいる。

 あたしはずうっと、ひとりで生きていくんだ、と思っていた。


 だけど、二週間ほど前。

 機材管理課の部屋を訪れたとき、あたしは硬直した。

 なんか表現があれだけど、たしかにその時、あたしはかみなりに打たれたのだ。

 

 サーバラックの隣、いままで空き机だったところに、ひとりの男性。

 若い。あたしと同じか、少し年下かもしれない。

 そしてなにより、すこし暗さを感じる表情も、さらさらの色素の薄い髪も、ほこりひとつない身体にぴったりのスーツの風合いも、そうして考えごとをするときに頬のあたりに指をもってゆくしぐさも、すべてが。

 もう、完璧に、どストライクだったのだ。


 機材管理課に友人がいなかったから、うちの部署の同僚に尋ねた。ああ、あそこは外注さんとか派遣さんとか、しょっちゅう来てるからね。名前はわからないけど、たぶんそういうひとじゃないかな。


 それからあたしは、できるだけ頻繁に機材管理課に顔を出すようにした。いることもあったし、いないこともあった。でも、三日前かな、部屋に二人きりになる機会があって、あたしは勇気を出して話しかけてみたんだ。

 あの、お名前……教えていただいて、いいです、か。


 彼はこちらを見て、少し困ったような顔をした。またその顔が胸に刺さって、あたしは内心が大変なことになっていたんだけれど、そのときに別のひとが戻ってきちゃったから、あたしはぴょこんと頭を下げて、出てきてしまった。


 そうして、今日。

 部署の飲み会、ちょっと憂鬱だったけど、参加した。彼が来るわけでもないし、たいして楽しいはずもないけれど、これも付き合いだと思って。

 ところが。

 後半、お開きの間際。

 ふと見ると、反対側の席、いちばん奥に、彼がいた。

 心臓が飛び跳ねた。

 

 それでも、話しかける前に、お開きになってしまった。

 あたしは当番で幹事だったから、お会計を済ませて急いで戻ってきたけれど、そのときにはもう、彼の姿はなかった。

 あああ、と、おもわずしゃがみ込んでしまった。

 彼はなぜ、うちの部署の飲み会に参加したんだろう。

 同僚に訊いても、みんな首を捻るばかりだった。


 肩を落として外に出る。

 気温はプラスのはずだけど、雪がない時期の寒さは、積雪のときとちがって、なんだかじんわり沁みてくる。こころにも、身体の芯にも。


 近道しよう、と、裏道を急いだ。

 飲み屋街の裏道、ちょっとあやしげなお店がならぶあたりで、角を曲がると。

 彼が、目の前に立っていた。


 呼吸が止まった。


 「あ、ど、どうしたんですか、こんなところで……」


 彼も驚いたような表情をして、あたしの顔をじっと見てる。


 「ど、どこかで飲み直し、する、つもりだったんですか」


 うっすらと微笑を浮かべて、首をふった。どこか寂しげな表情。もう、その目の、頬のうごきぜんぶが、あたしの心臓を貫いてくる。なんだか辛くなってきた。


 「……あ、えと……なにか、おうち帰りたくない、感じ、ですか」


 これには、こくんと、頷いてみせた。

 

 そのとき、あたしは気がついた。

 目の前に、ある。

 お泊まりも、休憩することも可能な、きらびやかな施設が。


 しかもちょうどそのとき、雪がちらついてきたのだ。

 あたしは、ひゅっと、息を飲み込んだ。

 腹にちからを込めた。


 「……じゃ、じゃア……ゆ、雪、降ってキチャッたし、と、トリあえず……はいっチャ、い、ますか、こ、ココ……」




 ***




 「機材管理課の元の課長さん、二週間くらい前に亡くなったんだって」

 「ああ、しばらく入院されてたって聞いたよ。でもその直前まで仕事、されてたんだろ。もう七十歳くらいだったのに。すごいよな、伝説の技術者」

 「亡くなる直前まで、自分が管理してたサーバのこと、気にしてたんだって」

 「いまごろ会社に出てきてるんじゃないのか」

 「あはは、そうかもな。昔みたいに、仕事終わりには行きつけの店、寄ってな」



 

 

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