はなさない

メイルストロム

Don't You.


──どうして、はなしてくれなかったの?


 いつか耳にしたこの言葉だけが、頭の中に残っていた。

 金魚鉢の中で揺蕩う金魚のように、言葉にならない想いだけが思考の中を泳ぐのだ。

 あの言葉に対して、私はなんと答えるべきだったのだろう? 

 どんな答えを返してあげれば傷つけずに済んだというのだ。

 ……いいや。きっと答えは、結末は変わらないのだ。

 私がそういう存在である以上──こうなる事はわかっていた筈なのに。

 私はそれでもどうにかなると思い込んでいたのだ。そうなって欲しいという願いにばかり気を取られて、目を向けるべき現実を見ようとしなかった私が悪い。

 離れてしまう事を恐れ、言い出せなかった私が悪いと言われればその通りだ。ぐうの音も出ない、ガード不能なド正論パンチ。そんなモノを喰らいたくないから、私はこの事実を伏せていた。どちらも手離したくないと欲張るから、何もかもを喪う事になったのだ。

 ────……すまない、扇。不甲斐ない父を赦してくれ。





「──さん、……ラさん」

「ん……?…………あぁ、少年ですか」

 どうやら眠っていたようである。揺られる感覚に目を開くと、心配そうな面持ちで私の肩に手を置く少年の姿が見えた。

 反応があったのが余程の事だったのでしょう。少年は「よかった」という言葉と共に安堵の声を口にしていました。

「リヴラさん、やっぱり疲れてる?」

「んー……まぁほんの少し疲れていますね」

 少年が抱える不安のなかに見え隠れする自責の念は、日増しに強くなっている様でした。正直言って、こんな予定ではなかったのです。年の離れた少年に心配させまいと、色々な所に手を出したのが裏目に出たといいますか……

 まぁ一つ言えるとしたら、私は自身の性能を過大評価していたという事です。キャパシティオーバーを起こした、なんて他の私に知られたら何を言われるかわかったものではありません。この記憶だけは同期しないようにしないと。

「ごめんなさい……僕、何もできなくて」

「あらあら、今日の少年はネガティブモードですねぇ」

「ネガティブにもなるよ。僕はリヴラさんにしてもらってばっかりだもん」

「それは大人の務めと言う奴ですから、気になさらず」

 しょげている少年を抱き寄せ、優しく背中を擦りながら頭を撫でる。始めこそ「子供扱いしないでくれ」といった言動をしていましたが、無理にでもそうしているとすぐに大人しくなった。


「…………ねぇリヴラさん。あの洪水はなんだったのかな」

「私にもよくわかりません」

 胸の中、思い出したように少年が口にしたのはあの日の洪水について。

 区内を流れる羅蛇伽川ラダンカワ──通称ヘビ川と呼ばれ親しまれてきたソレが氾濫し、全てを飲み込んだのである。連日の豪雨によるダムの決壊が氾濫の原因とされているが、行政の計算上では耐えられるはずのものであったと言う。

 しかし計算は計算でしかなく、事実ダムは完膚無き迄に破壊され一つの区が壊滅してしまったのだ。被災から1週間程立っているのだが、未だ復旧の目処は立っていない。

 どういう理由なのかは不明だが、氾濫区域内から非常に毒性の高い病原菌が検出されたとの事。ご存じの方はある程度の予測が立つだろうが、洪水において気をつけるべき病は多々ある。破傷風やレプトスピラ症と呼ばれるそれらには、対処法が確立しているが──今回検出されたソレは未知のものであるとの事であった。

 それ故か公の発表では生存者ナシとされているが──実際は二人の生存者がいた。一人はこの少年『出雲郷アダカエ オウギ』であり、もう一人は区境にある書店『機械人形Automata』の店主リヴラ。

 救難信号すら送れない状態で、二人はどうにかしてその命を繋いでいた。


「少年?」

 返事はない。どうやら私に抱きついたまま深い眠りに落ちているようだ。まぁそれならそれで良いというか、正直な話ありがたいのである。もうそろそろ、彼女が訪ねてくる頃合いでしょうから。

「──久方ぶりだなぁ観測機よ」

「その名で呼ばれたのは久し振りです、巫陀羅カンナギダラ

 雨音が絶たれ生温い風が頬を撫でた瞬間、嗄れた声が耳に届いた。目前に立つのは古めかしい様相の巫女。長く艶のある黒髪には幾つもの札が編み込まれ、神職者と言われたところで信じるのは難しい雰囲気を醸し出している。妖怪の類だと言われたほうがまだ納得出来る風体だと言えば、ある程度のイメージを掴めることだろうか。

 そんな事を考えつつ彼女を見やると、明らかに不服そうな顔つきになっていた。

「……お前、失礼な事を考えているな? 不敬者め」

「さぁ、なんのことやら──それよりも巫陀羅カンナギダラ、何故今になってこのような事を?」

 ため息を漏らし「知れた事を」と不満たっぷりな言葉を吐き出す姿は、そこいらの子供の様ではあるが忘れてはいけない。こう見えても巫陀羅カンナギダラは神の一柱であり人の理の外に在る。

 尤も──人に恵みを与えるようなモノではなく、禍を齎す厄災の一柱でありその名を知る者は殆ど居ない。隠匿され鎮める為に崇め奉られたソレは、表舞台には上がらない禍津の神なのだ。関わることすらも禁忌とされ、ある法則によって封印場所住処を遷され続けた異質の荒神様。

「────では質問を変えましょうか、巫牟儺かむな。貴女はこのような真似をしたのですか?」

「でなければあの様な真似などせぬわ。そもそも──悪戯に命を費やすなどが許すと思うか?」

 後半、嗄れ声は鳴りを潜めうら若き乙女の声となっていた。見た目こそ大した変化はないが、纏う雰囲気は全く異なるものになっている。

「いえ、全く──だからこそ疑問に思うのです。私の正体も、少年の事も知りながら願いを受け入れた理由は何処に?」

「…………放って置くには些か危険過ぎた。たとえ記録の一部分だとしても遺してはいけないと判断せざるをえなかったのだ」

 この言い方には違和感がある。彼女は正しい産まれ方ではなかったとはいえ、下手な神など歯牙にもかけない実力者なのだ。そんな存在がと言うのだから相当なものなのだろう。

「出雲郷の業は存じているな?」

 短い返事を返すと、彼女は諦観した冷たい声で続ける。

「要はそういう事だ。よく勘違いされるが、吾らとて何も無い所から何かを産み出す事は出来ぬ。必ず元手となる何かしらが在るものだ────そしてソレは単純で分かり易いモノである程に純度の高いものになる。出雲郷の者はソレを識っていたから、現代に在っても斯様な生き方を選び続けているのだろう」

 そう言って彼女は一つため息をつくと、私の胸で眠る少年へと視線を向ける。時間にしてほんの数秒、彼女は何を思い考えていたのだろう。



「────吾に願いを託したのは、此奴の実父である」

 尤も、ソレを知る者はほんの僅かしか居らんがな──と付け加える彼女の顔はやるせなさに曇っていた。これは巫陀羅カンナギダラとしてではなく、巫牟儺かむな個人として思うところがあるのだろう。

「こういったモノに関わった一族は皆、不幸になると言うのに……両親が話さずに居たからこそ、此奴は出雲郷から離れることが出来たのであろうな」

「離れることが出来た? どういう事でしょう」

「──……出雲郷の者が建てた神の一柱は、願いを叶える道具だったのだ。真の万能には届かずとも、奇跡と呼ぶに等しい権能を得るに至ったモノ。故にこそ支払うべき代償は大きなモノとなる」

 不足分を支払う為に、より多くのリソースを注がなければならないという事か。人が立てた神にしてはまだ良心的というべきなのでしょう。

「とは言え、供物を必要としているわけではない。アレが望んでいたのはこと……ただコレだけを守れば良いのだ」

「話さずにいる? 随分と簡単なんですね」

「お前にとってはそうかも知れんが、ヒトからすれば酷く難しい」

 鼻で笑った後──そしてこれはある種の言葉遊びだと彼女は口にした。

「先程お前はに居ると解釈しておったが、それは正解の一つでしかない。肌身離さずに願いを抱き続けること……これもまた満たすべき条件の一つ、払うべき代価にあたるのだ。口にせず、忘れずに居続けるのは簡単な事ではない」

「なるほど。ちなみにもし、その代償を破ればどうなるのですか?」

瞬間、きょとんとした表情を浮かべた彼女であったが──直後、腹を抱えて笑い始めた。

「冗談にしては稚拙だなぁ、りゔらよ! 知らぬお前ではあるまい?」

「いえいえ、冗談ではありませんよ。なにせ私は二代目ですから」

 途端、彼女は私の首をぐいと引き寄せ瞳を覗き込んでくる。黄色く濁った眼球に見つめられるのは、どうやったって慣れそうにない。

「…………ほう」

「疑っておられますね」

「当然。だが……うむ、嘘はついておらぬようだな」

 納得した表情を見せると、彼女はつまらなそうにペナルティについて語ってくれた。

 ──その願いを耳にした者は体が裏返り、口にした者は口蓋を縦に割かれ死ぬとの事。忘れてしまった場合は御神体を肌身離さずに持ち歩く様になり、それを手放した途端に発狂してしまうのだとか。

 流石に残酷ではないかと考えたが、願いが叶うのなら易いものなのかもしれないと思う部分もある。


「……斯様なモノは不要であると、扇の父は考えていたのだろう。だから口外せず、妻にも打ち明けず過ごしていた」

「となると、少年の父──尊盈様はその神を殺そうとされたのですか?」

「…………何故にその結論に至ったのかはよく判らぬが、概ね正解といったところだのぅ」

 彼女にとってこの話題はそこまで退屈だったのだろうか。まさか目前で耳を穿られるとは考えもしなかった。小指でコリコリとかいた後、爪に詰まった耳糞を吹いて飛ばされるのはあまり気分が良くない。

「だがのぅりゔら。自らを殺そうという願いを叶える程、神も馬鹿ではない……出雲郷の神はあの手この手で秘密を伝えようとしていたのだろう」

「誰に伝えようとしていたのでしょうか?」

「まぁ、妻であろうな。あの女は中々に欲の深い者であったし、それは尊盈の小僧も気づいておったろう。苦労も多かったろうに、離れずに居たのは扇がおるからだと愚痴を溢しておったわ」

 出雲郷の神からすれば土壌として悪くなかった、という事なのだろう。火種となるものは確かにそこにあるのだから。

「神の事を知った女は──あろう事かそれを吹聴してしまってな。これはもうどうにもならぬからと、秘匿していた神格ごとこの区を消し去ってくれと尊盈が吾に願ったのだ」

「……ではもう、件の神にまつわるモノは何も無いと?」

「あぁ。綺麗さっぱり呑み込んでやったわ」

 そう言って彼女はカラカラと笑うが、その目はじっと少年を捉えていた。彼女は──巫陀羅カンナギダラは嘘をついている。まつわるモノを全て呑み込んだとは言っていない。


「──……りゔらよ、身寄りのないその子をどうするつもりだ?」

「私が育てます。何もはなさず……貴女の目に止まることの無いよう、私は

「…………その言葉、忘れるなよ」


 にぃ、と嗤った直後。彼女は溶けるようにして消えてしまった。それこそ初めから居なかったかのような錯覚すら覚える程のモノだが──彼女が、巫陀羅カンナギダラが居たことを証明するものはある。床に残る蛇腹の濡れ後と、散らばった幾らかの黒い長髪。

 それらの痕跡を掃除したリヴラは安堵の息をついた後、何気なく天井を見上げ息を呑んだ。


 ──部屋の天井に貼られていた札が、黒く焼け爛れていたのである。


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はなさない メイルストロム @siranui999

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