幼虫の夢

蒼井 狐

幼虫の夢

 私やっと見られたのよ。何をって……貴女が前に話していたでしょう。ほら、ウワサの夢を見たって話していたじゃない。夢占いが流行ってるって。……そうそう、アノ夢。よく当たるって聞くから、早くにその夢を見たくてタマラナクなっちゃって。

 でも、やっと見られたと思ってウレシクなったけれど、私、自分が見た夢の結果がどんな意味かわからなくって。それで今日ケイコさんとお話ししたかったのよ。その件、詳しいのでしょう……?

 マァ、最近身に起こったことで大体の予想はついているのだけれど。

 ……えぇ、旦那が急に倒れて入院中なの。脳卒中で昏睡状態ですって。それにしては落ち着いてるのねって、実感が湧かないからよ。まだ心の底ではただ眠っているだけだとしか思えないもの。

 本当に急な事だったの。

 私が夢を見ることになる当日は旦那が休みの日で、陽が沈み始めた頃にリビングの大テーブルに片肘乗せて、頬杖つきながらこう言ったの。

「ヨウコ、今日の夕食はなんだ……そうか、じゃあそれと一緒に酒も用意しといてくれ。ウイスキー、まだ残ってるだろう」って。

 お酒を飲むなんて久しぶりだったから、良いことがあったのか悪いことがあったのかわからないけれど、晩酌に付き合うことになったの。旦那にお酌をしながら、私も少しずつ飲んでいたのだけれど、すぐにほろ酔いになったのよ。そうして、貴女から聞いたアノ夢の話を旦那にしてみたの。

「私が仲良くしてもらっている、ケイコさんいるじゃない。少し前に流行りを聞いてね。お食事中にはあまり向かない話なのだけれど、いいでしょう……? えぇ、それがね、夢占いが流行ってるらしいのよ。

 ……それを食事中に話すのに何が良くないのかって……今に話すわよ。

 ソノ夢占いっていうのが、巷では幼虫の夢、なんて呼ばれているらしいの…… ふふ、そうでしょう。奇妙な名前に則してか、反してか、よく当たるらしいわよ。

 ケイコさんは『蛾になる夢を見た』っていうの。あぁ……蛾になる夢の意味、なんて言っていたかしら、思い出せないわ……。けれどあまり良い意味ではなかった様よ。

 他に話していた事は覚えているわ。かぶとむしになる夢を見た人は仕事が実るっていうし、蜂になる夢を見た人は巡り巡って良い人間関係に恵まれるらしいの。あとは、蝶々なんかで言えば翅の色によって意味がそれぞれ変わる様で、青い翅や黄色い翅に、白や黒、橙と茶色も。

 意味は、自由を手に入れられるだの、心身ともに最高潮になるとか……正しい選択肢を選べるなんていうのもあったかしら。どれがドンナ翅の色の占い結果だったかなんて覚えきれないわ……。ホントウにたくさんの占い結果があるらしいのよ。

 ……かぶとむしのメスになるのにも意味があるのかって言われると、ハテ……ドウなんでしょう。なんとなアく良い母親になれるとか、そういう風に感じちゃうわね。ふふ。

 それなら幼虫の夢なんて名前じゃなくても良いって?……言われてみればそうね。昆虫の夢とか色々呼び様もありそうなものだけれど……イヤっ、思い出したわ。

 そもそもあまり成虫になれる人が少ないって話らしいのよ。

 例えばカマキリなんて、一度にたくさんの子供が生まれるでしょう。けれどその中で大人になれる子なんて結構限られるじゃない。そんな風に幼虫の夢を見た人でも、成虫になりきれなかった人はかなり多いみたい。だから多数派の結果を取って幼虫の夢なんて呼ばれているのよ。

 幼虫や蛹の状態で死んじゃったり、成虫になる前に夢から覚めちゃう様な時は、直近であまり大きな変化が訪れないって意味があるの。マァ、それはそれで安心感があるから良いわよね。

 アラ……貴方も少し興味が出てきたのかしら。ふふ。

 貴方、明日もお休みの日でしょう……ですから、幼虫の夢が見られるように、今日はへべれけになるまで飲んでしまってグッスリ眠りましょうか……」

 こんな風に旦那とお酒を飲んで、フラフラの千鳥足で寝室に向かってベッドに横たわると、すぐに眠りについたの。そうしてホントウに幼虫の夢を見ることができたのよ。

 夢の中で目が覚めたと思うと、視界が真っ白で……今思うと卵の中にいたのが分かるけれど、その時は、ただプニプニブヨブヨの中にいたとしか思えなかったわ。窮屈で苦しかったから、たくさん動いて、力いっぱいにモゾモゾとしていたらやがてにプニプニブヨブヨが破れて、陽の光が飛び込んできたの。眩しくてまた視界が真っ白になったのだけれど、だんだん目が慣れてきて数回目をパチクリさせて右に左に動かすと、モウびっくり。私の周りでたくさんの幼虫が蠢いているのよ……。

 周りの幼虫たちも生まれてきたばかりのようで、その体の周りには、私が破り出たプニプニブヨブヨの膜と同じ様なのが萎れていたから、周りを見た時に私自身が幼虫なのもイヨイヨ分かってきたの。

 最初は冷静サなんてないものだから気付かなかったのだけれど、よくよく見ると幼虫の顔が旦那の顔になっていたの。他にも、私の好きな役者さんとか、行きつけの喫茶店にいる店員さんなんかも居たわ……。

 マァ、夢には突拍子もないところで知り合いの顔が出てきたりすることがあるものね。流石に幼虫の夢にまでそれが出てくるとは思わなかったけれど……。

 そんなことを考えていると、みんなテンデンバラバラ、どこかへ行ってしまったの。まだ頭の整理がついていないものだから、旦那に置いて行かれた事に機嫌を損ねる余裕もなかったわ。

 急に場面が切り替わったと思うと、いつの間にか私、蛹化していた様で……植物の名前はわからないけれど、青々とした細い幹にしがみついていたの。その幹の先には桃色と白色の絵の具を二、三回混ぜたような綺麗なマーブル模様の花が咲いていたわ。そこで、あぁ……やっと私は成虫になれるんだって思ったその矢先のこと……。

 五メートルと離れていない、私と同じ植物の幹で蛹化していた旦那が小さな鳥に啄まれていたの。

 ウン……それは、モウ……ひどい有様で……。

 体の所々に穴を開けられていて、その穴から、粘り気のある体液が少ウしずつ、漏れ出ていたの……。そうして何度も突かれているうちに上半身がポトり、となんのためらいもなく地面に落ちてしまって、幹には旦那の下半身だけが強くくっついていたわ。

 あぁ……なんて恐ろしい状態になってしまったのかしら……。

 蛹化したせいで、このまま動けずにいる様では、私もやがてに鳥にやられてしまうわ……と思い思いながらも、ジイッと……ジイッと、ただ、ジイッとすることしかできなくて……。

 まるで、殺人鬼がうろつく部屋のクローゼットに隠れている映画のワンシーンのような緊張感で、見つかるか見つからないか……自分の力ではどうしようにも逃れられない、相手次第の命だったの。そんな緊張に飲まれていると、暗転してしまって、時間が少し経過していたようなの。さっきと同じ植物の幹にしがみついていたのは変わらなかったわ。けれど私、スッカリ「黒い翅を持った蝶」として羽化していた様なの。そこからの夢の記憶は詳細にはモウ覚えていないわ。覚えているのはクモの巣に絡め取られてしまったことくらいのものよ。次の瞬間には目が覚めてしまったから。

 ……やっぱり、黒い翅の蝶になる夢なんて縁起の良い占い結果ではないのでしょう?

「黒い翅の蝶になる夢を見た人は人不幸に遭う」

 そうなのね、そうなのね……。

 旦那が入院したのはそういうことなのかしら……。

 そうして夢から覚めて、私はいつも通り旦那が起きてくるまでの間に朝食を用意していたの。すると旦那が起きて来て「昨日言ってた幼虫の夢は見られたのか」って。

 私は「えぇ、見たわよ。ちょっとばかり怖い思いをしたけれど……貴方はどうなの」って聞き返すと、旦那も見たっていうからびっくりよ。だから私、まだドンナ結果だったかは言わないでって口止めしておいたわ。朝食の支度中に台所で話すにはモッタイナク面白い話だもの……。

 私は朝食をサッサと大テーブルに並べてしまって、夢の話を旦那としたの。私が見た夢の内容を話して、それを聞いた旦那が「そりゃア少し不吉な様子だな、ヨウコの身に何もなければ良いがなぁ」なんて私の身を案じてくれたのよ。旦那の夢はというと、アラ……なんて奇遇なのか知らん。ケイコさんと同じで「蛾になる夢を見た」って言うの。それを聞くと、やっぱり蛾の夢の意味を思い出さなくちゃと思ったのだけれど、ズット思い出せないままでいるのよ。

 旦那との朝食と、夢の話を終えた私は食器を洗って、旦那はリビングを出て行ったの。サ、洗い物も済んだ事だし……と思っていると、バタンと大きな音が聞こえたから、何事かしら……と、音の鳴った廊下を見ると旦那が倒れていたの。声をかけても返事が返ってこないものだから、シドロモドロしながらも救急車を呼んだの。搬送先の病院で脳卒中と診断を受けて、いつ亡くなってもオカシクないって……目を覚ますこともないから入院を余儀なくされてね。

 そんなこんなで今に至るワケなのよ……ホント、夢も現実もオソロシイ事この上ないわね。

 ……イヤ、旦那が倒れたから、この現実が夢なら良かったのに……なんて言いかけたのだけれど、旦那が夢の中で啄まれていたことを思い出すと、どちらの世界の住人にしても、苦労や悲しみは変わらないわ、と思ってね。

 チョットばかり話が脱線したけれど、蛾の夢の意味をモウ一度聞きたいのよ。

 エッ。

「頑張って自分で思い出して欲しい」だなんて、意地悪なのね。ズット思い出せずにいるから聞いているのに、それはムチャよ……。「私の口からヨウコさんに言うなんてトンデモナイ」……? アラ、そんなに大層なことだったかしら。それに、何よ「トンデモナイ」だなんて。私、大ごとを忘れるような質じゃないのだけれど……。

「前、ヨウコさんに言った時は大ごとではなかったけれど、今は大ごとになったの」……って? なによそれ……奇妙が深く落ち込んでくるようなこと言わないでちょうだい……。

 私、旦那が目を覚ました時には、蛾の夢の意味を……。

 アッ……。

 ……あぁ、そういうことなのね。わかったわ、わかってしまったわ……。私が見た黒い翅の蝶の夢も、旦那のことだけではないのね。キット今に私が話すことを表しているのだわ。そうすると私、貴女をこの手に掛けてしまうかもしれない。

「誤解しないで」なんて言われてもアナタたちのカンケイに誤解もなにもないでしょう。いえ、貴女が誤解だって言う理由はモウとっくにわかっているの。こういうことでしょう。

 今日私が、旦那の夢を貴女に話したから、貴女は私の旦那とカンケイは持っていなかったけれど、両想いだってわかってしまったのでしょう。だけど、貴女が前に蛾の夢を見たって話してくれた時には片想いだって思っていたから、さっき「前に言った時は大ごとではなかった」とか「トンデモナイ」なんて言ったのね。マァ、人の旦那に目をつける時点で誤解も何もないでしょう。どれだけ言い訳しても、モウダメよ。だって、火を見るよりも明らかじゃない……私、シッカリとこの頭に思い出したもの。蛾の夢の意味が、想い人の喪失だってことをサァ……。しかも、よく当たる夢占いなんでしょう? なら、あとは私が辻褄を合わせて上げるだけのコト。

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