一夜の茸、ささくれの心
五色ひいらぎ
一夜で溶け落ちる儚き茸
話を聞いた瞬間、俺の頭を過ったのは先日のクラーケンだった。
「ササクレヒトヨタケ。『コプリーヌ』の名であれば、聞いたことがあるかもしれません。美味なれども日持ちせず、一晩で傘が黒く溶け落ちてしまう、幻の茸」
「……で? そいつを手早く調理して、王都へ持って帰れってのかレナート殿?」
「今度はそこまでは言いませんよ、ラウル。ずいぶんと心がささくれているようですが」
「そりゃまあな。あれだけ苦労して、食味はただのイカでしたとか、心が腐るぜ」
海での死闘とその後のオチ、思い返せば棘が混じりもする。
「今度はその心配は無用かと。ササクレヒトヨタケは、既に珍味として名高い茸ですから。王都に持ち帰れとも言いません。王太子殿下が狐狩りにお出かけになる、その山の麓で茸が採れるそうですので、新鮮なうちに夕食として供してほしい……との仰せです」
「わかった。狐狩りに随行して、その日のうちに料理すればいいんだな。それならまあ、楽ではあるが――」
そこまで話して、俺はかすかな違和感に気付いた。
話を持ってきたレナートの様子が、いつになく冷淡だ。いつもなら皮肉めいた微笑みの奥に、期待とも欲ともつかないかすかな熱を感じるんだが。
「どうかしましたか、ラウル?」
「レナート、あんたは来ねえのか?」
「……行きませんよ。私は国王陛下付きの毒見人ですので。王太子殿下は、別の毒見人を同伴することになるでしょう」
なるほど、自分じゃ食えないわけか。
そう聞けば少し気が楽になる。王宮に入って以来、料理を作るたび、こいつの仔細を極めるダメ出しに付き合わされてきた。たまには自由に羽を伸ばす一皿も、あっていい。
諸々承知したと伝え、俺は随行の旅の準備に頭を巡らせ始めた。
◆
求める茸は、意外にも簡単に見つかった。
ササクレヒトヨタケが好むのは、山や森の奥深くではなく、よく肥えた土地だそうだ。畑や庭園にさえ生えることがあるらしい。旅先の山麓では、広い草地のあちこちにぽつぽつと生えているのが見つかった。
「ま、こんなもんか、な」
白く細長い傘が、名前通りのささくれた鱗片に覆われている。特徴的な見た目の茸を、俺は端から籠へ放り込んだ。あとはこいつを調理するだけ。新鮮なまま炒め物にすれば、素材の旨味は引き出せるだろう。
今だけは煩い相手もいない。自由に腕を揮って、好きなように料理を作ればいい。
だが、厨房へ戻った俺の身には、予想外の事態が降りかかった。
山盛りの茸を前に、手が動かねえ。
自由に作ればいいはずの料理だ。だのに案がひとつも出て来ねえ。
ごく単純な炒め物……のはずだった。なのに手が止まる。
ベーコンとニンニクと合わせ、あとは好きに味を調えればいい……はずだ。だのに俺の手が、動くことを拒む。それでいいのか、と、問う。
相手が驚くような仕掛けは、なくていいのか。
繊細な包丁は、精密なバランス調整は、不要か。
頭の端に、よく知った影がちらつく。いやいや、今はあいつのことは考えなくていいはずだ。なんで、ここまでつきまとってきやがる。
俺はひとつ息を吐いた。
俺はよほど、あいつに呪われているらしい。美味いものを美味いままに出して、美味いと褒め言葉をもらうだけでは、飽き足りない体になってしまったらしい。
「……はは」
自嘲の笑いしか出て来ねえ。
細かなダメ出しが、お小言が、なによりの褒美だっていうのか。本当に、俺はどうしちまったのか。
ふたたび、目の前の茸の山に視線を落とす。ぐずぐずしていたら、鮮度はすぐに落ちちまう。黒いドロドロになって溶けちまう。手早くなにかを作らなきゃならねえ、が――
厨房で突っ伏しかけた俺の脳裏に、ひとつの案がひらめいた。
◆
城へ戻り、俺はレナートに諸々の首尾を報告した。鮮度を活かしたベーコン炒めが、王太子殿下および随行の貴族たちに大いに好評だったことも含めて。
「皆、幸せそうに食ってくれたぜ。……あんたがいたら、いつもどおりのダメ出しが飛んできたんだろうけどな」
「否定はしませんよ。ところで、その箱は?」
携えてきた小箱を、俺は開いた。
中を浸していたのは、黒いドロドロの液体だった。レナートが露骨に顔をしかめた。
「なんですか、これは」
「ヒントはこいつだ」
ドロドロに埋まった、一筋の白い軸を示してやると、レナートはなにごとかを察したようだった。
「ササクレヒトヨタケ……ですか? 傘が黒く溶け落ちた後の」
「御名答。ちょいと国王陛下に相談したいんだが、中庭の隅っこあたり、借りても問題ねえか?」
ササクレヒトヨタケは肥えた土に育つ。草地や畑、時には人家の庭にも。
王宮の栄養豊富な土は、茸にとってさぞかしいい栄養になるだろう。胞子を含む残骸を撒いてやれば、もしかすると生えてくるかもしれねえ。
「だめです。王宮を茸畑にする気ですか」
「ちょっとくらいいいじゃねえかよ。あんたとしても、新鮮で美味い茸を陛下に提供できるのは、悪い話じゃねえだろ?」
そう。それを夢見て、俺は自分をごまかしたんだ。
新鮮な茸を持ち帰って、至上の料理を作って、この小煩い毒見役様を黙らせてやる――そう想像すれば、腐った心は浮き立った。
難儀なもんだ。
一緒に居れば、細かすぎる小言や注文が飛んでくる。心はそのたびささくれる。
一緒に居なければ、まるで物足りねえ。心はどんどんしおれていく。
俺の魂は、すっかりこいつに繋ぎ止められちまったのか。
その当人は、目の前で顎に手を当て、いかにも深刻そうに考え込んでいる。
「景観等々考えれば、中庭での茸栽培など認めるわけにはいかないでしょうが……すべては陛下の御心次第。話だけは通しておきましょう」
「おう、助かる」
溶けた茸入りの箱を閉めながら、俺は礼を言った。
いつかあんたにも作ってやるぜ。一夜で溶けちまう、儚い珍味で仕立てた皿を。
そう考えれば、心は浮き立つ。やはり俺の魂は、こいつに捕らえられちまったらしい。
俺の心を知ってか知らずか、レナートはいつもどおり、皮肉の混じった薄い笑いを浮かべていた。
【了】
一夜の茸、ささくれの心 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki
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