二章 災い転じて犬と化す!!

第23話 逃げろ! 逃げろ!!

 誰しも何かに追われる夢を見たことがあるばすだ。顔も知らない誰か、見知った鼻に付く者、恐ろしい獣、追われると言うことは、恐れをいだき逃走していると言うこと、自ずとそれは主観者からみた恐怖の対象であり、嫌悪の対象である、しかしそれは、夢でなくとも、現実でも起こりうる——。


 六月某日十九時十九分


 長く艶めく髪を何度も翻し、街灯がどこまでも整列した夜道を息も絶え絶えで駆ける十代の少女が一人と——膝下まで黄土色の外套で覆った如何にもな、無精髭を生やした頭髪の薄い男が少女の後を追いかけている。


 少女は、ジャンパースカートの制服、白シャツ、襟元には赤色のリボンタイをつけた、女子高生。お嬢様学校と名高い女子校に通う彼女は、ミスコンに推薦される程の女子高生離れした大人びた美貌に、学績優秀で、容姿端麗を搭載した完璧とも思われる少女、しかし自らに課せられた美貌は、時に危険を孕むものだが、美貌とは裏腹に少女は自己肯定感が低く、なぜ自分が祭り上げられているのかわかっていない。故に、自己防衛への概念が乏しく防犯ブザーといった初歩的な自己防衛すら備えていない。


 故に少女は、今まさに変質者であろう中年男に追われている構図になっているのだ。


 が


 少女は変質者男に追われているつもりなど、一切ない。


 街灯が永遠に続くのではと、感じらる道に、少女は痺れを切らしたのか、脇道を見つけ、すぐさま左折し追走者を煙に撒こうと試みる。


 外套で身を包んだ不審者もその跡を追い、同じく脇道に入る。程なく走った先は、冷たくそびえ立つコンクリートの壁が行手を阻む。少女は壁に背を向け、外套男に向き直る。外套男はようやく追い込んだと、安堵しニタリと笑う、唇が渇きひび割れ、隙間から唾液が糸をひき、少女とは真逆の不気味と気色の悪さを前面に出し、口を開く。


 「はあはあはあはあはあはあはあ、ぐっふぐふふふふ、ひどいひどいよぉ日色ひいろちゃん、ななんで逃げるのさぁ……ぐふふでもでも日色ちゃんとのおいかっけっこも楽しかったよ。あの時以来だよ日色ちゃんをこんな近くで見れるのはさ、恥辱にまみれた僕を君が助けてくれたんだ……あああああの時の君は後光がさしていたんだ! 神! 天使! 女神!! ひふっひふっ」


 日色は壁にもたれかかっていたが、恐怖に満ちた青ざめた表情で、力なく膝から崩れ、ガチガチと歯を鳴らし、震えながら、小声で何かを呟く。その姿に男はますます気勢が上がる。

 

 「あははははははっそうそうだよ! 日色ちゃん!! その表情が見たかったんだ!! はあはあはあはあはあいい、いいすごくくるよぉ、んぐ。神にすべてを与えてもらった日色ちゃんの歪んだ表情が見たかったんだよボクわぁっ!!!! もう、もうっ僕我慢できないよぉ僕のエクス◯リバーの鼓動が聞こえるかい? トゥクントゥクンってねいひ、ひひひひひひひひひひ……」


 しかし男はそこで違和感に気づく……日色の恐慌に落ちた顔は、まさに男の望んだ表情であり、流るる涙は男の欲情を急き立てるものだが、何かが違う、と男は思う。その正体は、目線であったことにすぐに気づいた。少女はこの危機的状況の元凶である男を見ていないのだ。


 恐怖に視線を逸らしているとか、俯いているとかではない、少女の目線はまっすぐに、男の背後を揺れ動く瞳でしっかりと見据えているのだ。

 

 男は、はっと我に返り、後ろを振り返る。一番初めに想像したのは警察だ、男は一瞬走馬灯のように、捕まった事を想像したが、男には失うものなど何もなく、また恐れるものなどない、強いて言えば日色を暴漢しさらなる恥辱に歪む顔を見られずに捕まることを憂いていた。


 だが、背後には誰もおらず気配すらしない。その事に一瞬安堵するが、紛らわしい視線に激怒する。

 

 「ぼ、僕を謀ろうとしたな!! 誰もいないじゃないか!! いけない子だ、いけない子だ! 君は! お仕置きされても文句言えないからね!!」


 しかし男の怒号にも、日色の視線は変わらず、男の背後を見据えガタガタと震えている。日色は消え入りそうな声で男に言う。


 「ちが……違う……お願い……や、やめて……早く、にげて」


 逃げて、その言葉に男は動揺を見せる。何を言っているのだこの女は? かける言葉がおかしいのではないか、逃げるべくなのは自分自身であるはずなのに、そう思った瞬間、男にえも言えぬ恐怖が背筋の悪寒とともに訪れる――





 チリン――――


 鈴の音


 男の背後から鈴の音が夜の静寂に響く。


 間違いなく鈴の音を聞き取った男は、勢いよく背後に振り向く。


 いない何も、何物も形を成す物はおらず、チリン――と鈴の音だけが、空虚に響く。


 「誰! 誰だよぉぉ!!」


 男は、辺りを見渡すが、いない、首を三六〇度回せど、いない、人型も影も……


 チリン


 近い、鈴の音は、まるで自分自身の内部からなっているのではと思わせる距離で、チリン、チリンとなる。


 「にげ……て」


 日色の言葉に男は、彼女に向き直る。


 「だから、何から逃げるってんだよっ!!?? ふぎゃあっ!!」


 「いやぁーーーーーっ!!!!」


 突然だ、突然、叫んだ男の視界が消えた。直後に、生々しくも豪快で下品な咀嚼音が少女の鼓膜に纏わりつく。


 ゴリッゴシャッグシャグチャグチャグチョグチャグチャゴクリ、と。


 飛び散る鮮血が付着し、震える日色にはすべて見えていた。男の視界を奪った鈴の音の正体を……彼女には見えていたのだ——姿

 

 男はまるで意識がブラックアウトしたように、世界が闇に包まれ、そのまま何が起きたかも分からず、意識を失っていたことだろう。良かった、もし、意識のある状態であったのなら、気が触れ自ら舌を噛み切っていたに違いない、耐えられるはずがないのだ、自分が異形の何かになんて、良かった、頭をひと齧りで一気に喰われ即死だったことは、罪を犯す前の罪人であったからこそ、認められたのかもしれない。


 少女は頭を抱え、咽び泣き、叫ぶ、私が何をしたのだ、なぜ付き纏うのだ、と。だが届かない、俯く視界には血の海が広がり人の血液がこんなに咽せ返るものなのか、こんなにも血生臭いのかと恐怖と思考が巡る。視界の片隅には佇む何かがいる。それの足元は、人の形であった、咽せ返る血溜まりの上に、真紅の着物に身を包み草履を履いた人らしき何かが立っている。


 顔を見るには、恐れ多く顔が上がらない。だがその必要はない。だらりと垂れ下がった腕が、物語る人外性、手は骨ばみ指は人間とは思えない異常な長さで、虫などの足を想起させ、爪は鋭利に磨がれた刃物のようにギラリと艶めく。


 日色は強く想う。お願い消えて、と強く瞼を閉じ蹲る。


 チリン————。


 鈴の音が鳴り、再び瞼を開口させると、そこには、血溜まりに浮かぶ首なし死体が一体、仰向けの状態で転がっているだけ、消えさった後には、おどろおどろしい気配も消え、少女は安堵で涙がさらに溢れて止まらない。


 夜の静寂に、死体の鮮血が彩る少女の泣き面は、さぞ死骸になった男が喜び、歓喜するものだっただろう。過去形ではあるがね————。




    第二章 災い転じて犬と化す!!


          開幕



 

 

 

 

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パラノーマルDAYS!〜青春怪異譚〜(シリアスホラーコメディー) 駆動綾介 @kokusitu

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