第2話 桜に抱かれて・還
最近では、華やかだった時代を知る者も少なくなったが、数少ない当時を知る者たちは、一人で暮らす……まねの元を訪ねては、
「───あんたらは、ほんとうにえらかった……。あたしらは、何も知らず……馬鹿だったのはあたしらの方だったんじゃよ……」
と、詫びたり恥じたりしながら。
人々は、今も時々この畑を訪れ……花を見せてもらっていたという。
そんな、地域の人達に愛された畑と桜だったが───。
……やがて、その時が訪れようとしていた。
夫亡きあとも、この畑と桜を大切にしていたまねであったが、寄る年波には逆らえず、いよいよ輪廻に還るときを迎えようとしていた。
ちょうど、窓月が……、里帰りをした日のことであった。
窓月は、小さい頃からこの畑を訪れており、畑の主であるまねとも仲良して、本当の祖母と孫のようであった。
時間があればここを訪れ、畑仕事を手伝い……お茶を頂いて、話を弾ませる毎日であったのだ。
久しぶりに帰ったふるさと、そして訪れたまねの家で……。
窓月は、倒れているまねを発見した。
そして窓月は、救急車を呼んでしまったのだ。
もちろん善意であり当然の行動ではあったのだが、まね自身は自分の死期を察していたのだ。死ぬときは、自分の家で……畑を見ながら逝きたい、と。
まねの心に気づき、窓月はすぐに行き先を隣町の大きな総合病院ではなく、村の診療所にしてもらった。
村の診療所の医師は、それらの事情もよく知っている。できることなら、まねの家で最後を看取ってあげたいと、窓月は医師に頼んだのだった。
もちろん、診療所の医師も心得ていた。
連絡を受け事情を聞いた、窓月の育ての親である住職の栄蔵師も駆けつけ、最後の時を一緒に見守ることにした。
窓月は、
ぼくが、余計なことしたばかりに……、ばっちゃん、ごめんなさい……と。
すると、泣いている窓月に栄蔵住職は言った。
「まだ……お前の務めがあるぞ、窓月。……泣いていてはいかん。そこに立ち会ったのは、そなたの縁であるからの」
顔を上げて見ると、住職は診療所の医師と、何か話している。そして、医師も静かにうなずいていた。
そして、住職は、
「窓月……、お前が背負ってやりなさい」
そう言った。
───栄蔵住職は、
まねが生きたこの村の景色を、最後に見せてあげよう。
そして、村のみんなにお別れをさせてあげよう……
そう言ったのだ───。
少しでも苦しくないように、点滴と酸素吸入を施し、
厚手のタオルを背に掛け、弱々しい呼吸をするまねを、
窓月は背に負って、診療所を出た。
五月のうららかな陽気の下、
診療所の外には、何人もの人が待っていた。
小さな村のため、救急車が来れば……誰もが気にかける。
そして、背負われているのが、あの花畑のまねと知り……、
隣に、住職と医師が付き添っているのを見て───
村人たちは、理解した。
傍に駆け寄ってくる人はいない、
ただ、頭を下げ……手を合わせてくる。
口元を覆って、涙をこらえる姿もあった。
窓月は、まねを背負って、ゆっくりと村を歩いて
山の上のまねの家と畑を目指した。
はじめのうちは、全く動かなかったまねであったが、
柔らかな日差しと、かすかな風を感じて、顔を少し上げた。
「………あぁ…、
窓月は、頷いた。
「………あり……がとうねぇ」
軽く咳き込むような、笑い声を出して、
「会い……に来て……くれてねぇ」
その、つぶやきを聞いて、窓月は首を横に振った。
「ぼくが……、車呼ばなきゃ……、ばっちゃんはお家に居られたのに……」
涙を流しながら、窓月はまた詫びた。
「いやぁ……おかげで……みんなに…おわかれさせて……もらえたんだよぉ……」
まねの震える手が、窓月の涙を拭っていた。
そして、耳元をそっと撫でていた。
後ろには、点滴袋を持った医師と酸素を持った住職が続き……
更にその後ろを、少し離れて、村人たちが続々と列を成して後をついていった。
控えめに付いてきていた、若い主婦がそばに駆け寄り、日傘を差し出してまねに掛けてあげていた。
ゆっくりと時間を掛けて、窓月とまねは、お山の上の家と畑のある場所まで戻ってきた。
窓月は、桜と畑と……村の景色がよく見える草原の上に、まねをそっと下ろした。
後から駆け寄ってきた人たちが、自分の着ている服やタオルなどを敷いて、即席の寝台を拵えていたのだ。
窓月はその上に、まねを座るように横たえさせ、自分により掛からせて身体を支えた。……桜の花が、よく見えるように。
親交の深かった知り合いたちが、そっと近寄ってきては、まねの手を握って手を合わせていく……。
「ぁあ……さくら……きれいに……咲いてるねぇ」
「うん……、ばっちゃん……見える?」
まねは瞬きだけで、頷いた。
「家で……あの…まま……寝てたら、見られん………かったねぇ……」
そう言って、また……か細く咳き込むように笑っていた。
絶え間なく涙を流す窓月を見て、まねはそうっと手を撫でた。
「泣かんで……いぃよ……。あたしは……、ずっ……と…ここに居るから………」
それでも、涙を流しながら窓月は頷いた。
「桜……は、また咲くよ……。毎年……ずっと……ここでなぁ……」
ふっ……ふっ……という息が、
やがて聞こえないほど細くなり───。
あんた……ようやく逝けるよ……
あんたの桜……ことしもきれいだよ……
そう…ちゃんに……おぶってもら……った…よぉ……
永きにわたり、桜と畑を守ってきた、李沢まね……
彼女は、大勢の村人と、愛する夫の残した桜に抱かれながら
その旅を終え、このうららかな陽気の日に
天へと還っていった───
※ベテロヘトラ~ぼくとせんせいの秘密の研究所
第58・59話より───
桜麓庵に咲く桜 天川 @amakawa808
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