桜麓庵に咲く桜
天川
第1話 桜に抱かれて・咲
僕が中学に上がり、最初の大型連休……。
その年に僕……
窓月を育ててくれた家でもあるお寺……芙蓉寺に着くとお寺のみんなも住職も、揃って彼を歓迎してくれた。
それから、近所の人たちや檀家の人たちの家々を回って、挨拶をしたりお茶を頂いたり……。
窓月が育ったこの村は、彼のことを良く知ってくれている人たちばかりであった。
道で出会えば、必ず挨拶を交わす。世間話も決まって長引く。
そんな、隔たりのない土地柄だった。
今でこそ、普通の暮らしができているのだが、かつてはここら一帯は貧しい山村で、ろくな稼ぎぶちも無いような有様だったらしい。
そんなこの地に、ある時……僧侶が寺を開き、土地のものを生かした暮らしを目指そうと言って、生きる糧を作るすべを、村の人々に伝えていった。それが、この地に扶養寺が開かれた由来でもあった。
厳しい土地柄ではあったが、この地で修行を積んだ僧侶には優秀な人が多く、またその考え方も独特で、多くの僧を輩出しているということで、その点からも地域に貢献していたのだ。
その甲斐あって、今でも──減り続けてはいても……この村はこうして人が住み続けることができている。
………………
そんなこの地が、まだ貧しさから抜け出せずにいた時代、この地に嫁いで来た女性がいた。
働き者の夫と、自身も献身的な性格で、この地に根を下ろし畑を耕し山で糧を得て、暮らしてきた。
夫は、本家の三男で碌な財産も分け与えられず、山の上の不便な土地だけを受け継いでいた。そのため、村に来たばかりのときは「よりにもよって、こんな男のところに嫁いでくるとは、不運な女だ」と嘲られ蔑まれていたそうだ。
それでも、穏やかで辛抱強い夫と、それを献身的に支える妻は、この不便な土地を少しずつ開墾し、畑へと変えていった。しかし、元々痩せた土地でありまた斜面で乾燥した土壌のため、せっかく作った畑でも作物は上手く育たなかったという。
山仕事で収入は得られていたが、日々食べる野菜を畑から得られないという事は、夫婦の悩みの種でもあった。
ここに住み始めて何年か経った頃。
あるとき夫は、
「野菜がだめなら、花を植えてみようか」
と、考えた。
それを聞いた村の人達は、こぞって馬鹿にしたという。
「食べられないものを植えても、役に立たないだろう。無駄なものに精を出して、本当に馬鹿なやつだ」
と……。
しかし、妻のまねは……それに賛成した。
「花を見て、腹を立てる人はいませんよ」
と言って笑ったという。
───腹を立てる、つまり怒るということであるが。
同時に、この土地では方言として、「腹を立てる」を、「腹を満たす」「空腹を満たす」という意味でも使っていたのである。
2つの意味を同時に満たす、うまい意味の言い回しを得て、まねは村の人に馬鹿にされた時、追従の意味を兼ねて、
「花を見ても腹は立ちませんものね……」
と、微笑み交じりに答えていたそうだ。
まねの夫は、山仕事の合間に素性の良い山桜の小木を見つけては、根回しをして掘り上げ、畑の周りに植えていった。浮いたお金があれば、隣町の
何年かそうして続けていくと、徐々にこの夫婦のしていることを見る村人の目が変わっていったという。
季節ごとに、違った花を咲かせてくれるこの夫婦の畑は、山の中腹にあることも手伝って、村のどの場所からも見ることができる。
桜の花が咲けば、その花によって季節の到来を知ることにもなり、花の咲く時期がずれれば、その年の天候を占う材料にもなっていった。
やがて、時代がかわり世間が豊かになりだすと、行楽というものが一般化してくる。その時に、のどかな土地で花のきれいな場所があると人々に知られ始め、村は観光客の訪れる、隠れた名所となっていった。
村の人間も、それに合わせて花を植え桜を植えて、観光客相手の商売などもはじめ、村は活気に湧き始めた。
───しかし、それも一過性のもの。
やがて景気が悪くなると、観光客の数も減りそれらを相手にしていた商売も下火となっていった。
村人が植えた、多く咲き誇っていた桜のほとんどは、ソメイヨシノであった。
花見の時期に、一斉に咲き花も見事なこの桜ではあるが、一方では病気に弱いという面も持ち合わせている。きれいな花を咲かせるには、甲斐甲斐しく熱心な「
しかし、客のこなくなった村では、やがてそれらは放置され、病気になったり花をつけなくなったソメイヨシノが多くなっていった。当然ながらそれらはやがて伐採され、今では往時の姿を思わせるものは何一つ無いほど、桜は見られなくなっていた。
だが、まねと夫の畑の桜だけは、そんな時代が変わっても変わらずにここに咲き続けていた。まねの夫は、それらすべてを理解していて、最初からソメイヨシノを植えようとは思わなかったのだ。手をかけずとも、この山桜たちはきちんと毎年花を咲かせてくれる。そんな、自立した強い桜だと知っていたのだ。
それも、華やかに人の集まる時期ではなく、忘れた頃にひっそりと咲くこれら桜たちを、ずっと慈しんで育てていたのだ。
そして、夫が病気で亡くなってからも、桜たちは変わらずにそこに咲いていた。時代が変わっても、村人の目を楽しませてくれたこの畑と桜を、そしてその畑を守っていてくれた夫婦を、今では軽んじる者は一人もいなかった。
最近では、華やかだった時代を知る者も少なくなったが、数少ない当時を知る者たちは、一人で暮らす……まねの元を訪ねては、
「───あんたらは、ほんとうにえらかった……。あたしらは、何も知らず……馬鹿だったのはあたしらの方だったんじゃよ……」
と、詫びたり恥じたりしながら。
人々は、今も時々この畑を訪れ……花を見せてもらっていたという。
そんな、地域の人達に愛された畑と桜だったが───。
……やがて、その時が訪れようとしていた。
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