【KAC20243】箱入り黒竜の純情

貴葵 音々子

その黒竜、宝箱育ち

 テンガン領極東地方で発生した原因不明の疫病からシデ村を救いに向かう道中。旅を率いる黒竜テンガンの末息子イズモは、これまで生きた十八年という歳月の中で最大の困難に見舞われていた。――安宿のベッドの上で。


「いじゅもぉ、きいてりゅの?」


 テンガン領の誰もが恐れ敬う黒竜家の男子に馬乗りになる世界最後の一角獣ユニコーンである可憐な美少女、ユニファ。熱に浮かれた青空の瞳を据わらせ、赤らんだ瑞々しい頬を膨らませる。普段の裁ちばさみのように鋭い態度からは考えられないほど甘く舌ったらずな声に名前を呼ばれて、イズモはめまいがした。思わず茹だった自分の顔を両手で覆って、指先の隙間から様子のおかしなユニファを見上げる。


 端的に言うと、ユニファは泥酔していた。

 原因は食事を提供してくれた宿の主人が好意で淹れてくれた食後の飲み物。村で取れた茶葉に乾燥させた果物と隠し味を入れた自慢の一杯だと語っていた。その隠し味というのが、香りづけ用のわずかな蒸留酒である。

 当然酔っぱらうための飲み物ではないので、同じものを飲んだイズモは「深みのある良い香りだな」くらいにしか思わなかったのだが。まさか賢く凛々しい天才美少女薬師(自称)がここまで酒に弱いなんて。はわわ、クソかわいい……じゃなくて、大変だ。自分を押し倒すユニファのたっぷりとした藤色の三つ編みの毛先に首元をくすぐられながらも、イズモは持ち前の純真さで理性を凝固させる。


「き、聞いてるよユニファ。だから一回落ち着こう。な?」

「じゃあさっきのお願い、きいてくれる?」

「それはぁ……」


 せっかく固めたはずの理性が弱々しく溶けていく気がした。

 イズモはユニファのことが好きだ。叶えられることなら何でも叶えてあげたい。だが押し倒された時に聞いた彼女のお願いは、いろいろとキャパオーバーすぎるのだ。

 イズモは一縷いちるの望みをかけ、隣のベッドでニッチャリデュフフフしている三匹に小声で叫んだ。


「キン、ギン、オキサキ! 何とかしてくれ!」


 イズモの従者であるガーゴイルのキンとギン。諸事情により首だけの状態になっているが、特に不自由もない様子で主人のラブハプニングをニチャニチャ見守っている。もう一匹の旅の仲間であるカーバンクルのオキサキも同様だ。


「ユニファは昔から酒に弱くてのぅ。タマモベーカリーのラムレーズンパンで酔っぱらって、よくトルジカの村人に絡んでいたものじゃ」

「微笑ましいですなぁ。愛らしすぎてどうにかなってしまって良いのですよ、イズモ様」

「我らは石の門番ガーゴイル。小道に添えられた小石とでも思って、さささ、お気になさらず……」


 ニッチャリした石がガン見してたら気にするに決まってるだろうが。いや何もしないけど!! そんな文句を言いかけた刹那、小さな手に両頬を思いきり挟まれ、強制的に正面を向かされた。


「ごちゃごちゃうるさいわよ」

「ひょぇぇええ」


 真っ赤な顔でぼろい天井を仰ぐイズモの腰あたりで、ショートパンツからすらりと伸びた素足の膝が動いた。安い宿の安いベッドがちゃんと軋んで、緊張感がドッと押し寄せる。


「ちゅーして、いますぐ」

「だから、なんで!?」


 酔って目が据わったユニファからのお願いとは、まさかの「ちゅー」だった。

 いくら純情初物黒竜のイズモでもちゅーは知っている。唇と唇を合わせるアレだ。知っているからこそ困惑しているのだ。


(酔った勢いでしていいものじゃないし、そもそも俺たちってまだそういう関係じゃないし!)


 もし将来的にそういう関係になれたらまずユニファの親代わりであるトルジカの魔女に挨拶し、首都モリオンに戻りテンガン領を治める父へお伺いを立て、領民に周知し、必要なあらゆる儀式を済ませてからその日のために丁重に整えられた神聖な寝室でするようなものなんじゃないだろうか、ちゅーってやつは。領内一身持ちの堅いピュアボーイは本気でそう思っている。


「ユニファは酔うとキス魔になるのじゃ。何人もの村人が犠牲になってのぅ……。ああじゃが、全員紙袋越しじゃからノーカンゆえ、安心せい」

「それは良かった! 本当に良かった!!」


 オキサキの説明に、イズモは出会ってから初めて防御力ゼロで隠密効果もむしろマイナスな悪目立ちするだけのあの奇天烈な紙袋目出し帽に、心から感謝した。ユニファの可憐な唇を今日まで守ってくれてありがとう。でもできれば今日も守ってほしかった。

 一方、馬乗りになったままの酔っぱらいは痺れを切らしてしまったらしい。


「もういいわ。イズモがしてくれなくても、私がするもの」


 少し拗ねたような口調でそう言うと、桜色の唇がゆっくりと迫ってくるではないか。何てことだ……何てことだ!! 絶体絶命の事態に、竜の金目が『カッ!!』と見開かれる。


「だめだ!」

「んぶっ」


 イズモはとっさに二つ並んでいた枕の一つを手に取り、柔らかそうな唇へ押し付けた。思わぬ反撃を食らって相手がたじろいだ隙にくるりとポジションを変え、駄々をこねる酔っぱらいを無理やり寝かしつける。


「やだやだぁなんでぇええ!?」

「だめったらだめだ! だって、ちゅーなんかしたら……」


 耳まで真っ赤になった主人を見て、キンギンが「我慢できなくなっちゃいます?」「お若いですなぁ」と茶化す。後で絶対にシメると心に誓って、イズモは大きく息を吸い込んだ。


「あ、赤ちゃんができちゃうだろ!!!!!」


 安宿の薄い壁を伝い、真夜中の村全体に響き渡るような竜の怒号。

『ピピーーーーッ!』とタイムアウトを要請する笛の音が脳内に響き渡り、オーディエンスの三匹は思わずヒソヒソと顔を見合わせた。


「これ、黒竜家の教育はどうなっとるんじゃ! 箱入りにもほどがあるじゃろう!」


 オキサキが目をつり上げてフンスフンスと息巻く。

 黒竜の兄姉たちに異常なほど愛されて育った深窓令息(?)のファンタジーなピュアっぷりにキンギンは頭を抱えたくなったが、残念ながら抱えるための腕がない。


「め、面目ない……! 御兄姉の過保護っぷりを侮っておりました、ねぇギン?」

「ええ、キン。ですが今思えば、あの方たちに囲まれて育てばこうなるのも止む無しかと……」


 石の門番ガーゴイルが固く守っていたイズモの居住区は、末っ子をあらゆる外敵から永遠に守るために用意された、いわば宝箱。そして竜とは宝の番人。イズモを守るは七匹の黒竜。つまり、あそこはテンガン領で最も高貴で最も危険で最も過保護な箱なのだ。

 守られ過ぎて逆に歪なほどピュアピュアに育った箱入りイズモの天然純真っぷりに、さすがのユニファも酔いが醒めた……――かと思いきや。


「……そ、そうなの……? 私そういうのに疎くて、その……ごめんなさい」


 赤らんだ顔を隠すように鼻先まで布団を引き寄せて、恥ずかしそうに視線をさまよわせる。「「「おぬし(貴女)もか!!!」」」と盛大なツッコミを浴びた黒竜と一角獣のモダモダした関係性が進展する日は、近いように思えてめちゃくちゃ遠い。


 ちなみにこれは余談だが、二つ隣の部屋を取っていた吟遊詩人がばっちり聞いていた「あ、赤ちゃんができちゃうだろ!!!!!」のフレーズは翌朝には盛りに盛られた歌となり、「黒竜と紙袋姫、禁断の婚前交渉!」の誤報と共にテンガン領全域へ知れ渡るはめになった。それを首都モリオンで聞いた過保護な兄姉たちの阿鼻叫喚は怒髪天を衝き、暴風大雨吹雪雷とあらゆる天災となって各地に降り注いだとか。

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