とある、ナイケン。

壱単位

とある、ナイケン。


 「本日は、お住まいの内見ナイケンでいらっしゃいますね」


 ケイはできるだけゆっくり、丁寧に発音したつもりだった。

 が、やはり、訪問者のひとりは訝しげな表情をつくり、首を傾げてみせた。


 「ナイ、ケン……?」

 「ちょっと、あなた……説明したばっかりじゃない、ついさっき」


 もうひとりが、小さな遠慮がちな声を出し、隣の男を肘で小突いた。


 首を傾げたのは、背の高い男性。丁寧に剃刀をあてた頬に、引き締まった体格。埃ひとつ落ちていない純白の制服を身につけている。まだ若いようだが、おそらくは軍のエリートなのであろう。

 もうひとりは、女性。隣の男性との釣り合い、という観点でいえば、非のうちどころはなかった。男の制服に合わせたのだろうか、たおやかでありながら主張のはっきりとした体躯を包む、上品な白の装い。ケイが微笑をうかべて見ていることに気がついたのか、長い髪を照れたようにかきあげた。


 「ごめんなさいね、主人、この関係には疎くて……」

 「いいえ、とんでもないことでございます」


 ケイは肩までの髪を揺らしながら、上司になんども叩き込まれた、腰と背の角度をしっかりと意識した礼をとってみせた。


 「ご主人さま、お仕事もお忙しいことと拝察いたします。隣国との関係、報道でも伺っておりますので。そんななか、ご新居のご確認にご夫婦そろっておいでいただく。羨ましい、と申し上げれば失礼にあたるのでしょうが……」


 すこし冗談を含ませて、ちらりと顧客を見上げる。妻は頬に手をあて、まあ、と声を出し、かたちのよい目を半月にたわめてみせた。


 「これで苦労も多いのですよ。家を空けるのはお役目ですからしかたないにしても、戻りが遅くなる日にもなんにも連絡を寄越さないのですから」

 「おい、こんなところで、そんなこと」

 「ほんとうのことじゃないの」


 言葉の内容と裏腹に、夫婦はそれぞれ柔らかな笑顔を浮かべ、互いの顔を見ている。先ほどの世辞は世辞として、こんちくしょう、と、ケイは心の底でつぶやいた。


 「それでは、ご案内いたします。清掃はしっかり行なっておりますが、よろしければこちらの室内履きをご利用くださいませ」


 ケイが差し出した履き物に、ふたりとも足先をとおす。長い爪がひっかかることのないように工夫されたものだ。

 段差をあがり、細長い廊下を進む。木材を貼った床、白く柔らかな素材で覆われた壁。天井にはちいさく光る照明。できるだけ往時の様子を再現しているが、失われた部材も多い。

 あくまで雰囲気の再現にとどまるが、夫婦が感嘆の息を漏らしたのを確認して、ケイは安堵した。


 「こちらが、リビングでございます。右手の奥がキッチンとなっております。フロートスタイルですので、お料理の際にもご家族との語らいを楽しんでいただけるかと。作り付けの家具類は、そのままお使いいただけます」


 妻は目を輝かせ、夫を置いてキッチンに向かった。この家は妻が家事を担当するらしい。これまで関わった夫婦のうちでは珍しい暮らし方だが、この住宅への入居を希望するのだから、古式ゆかしい、というところなのだろうかと、ケイは微笑を顔に貼り付けたまま考えていた。


 「窓をあけて、外を眺めてもよろしいか」


 夫のほうがケイに振り向いた。


 「はい、もちろんでございます。こちらの住宅、高台にありますから、眺望も抜群とのご評判をいただいております」


 ケイが応えると、夫は頷いて窓に歩み寄り、手をかざして鍵を開錠した。ケイが説明するまでもなかった。さすがの軍人、ふだんの暮らしでも神力を使っているのだなと、ケイは表情をかえずに感嘆した。


 「……おお」


 開け放たれた窓の、外。

 ぶわりと流れ込む風を受けて、夫の蒼いたてがみが揺れた。


 見渡す限りの、緑。

 この地域一帯に眠っていた古代文明が発掘されたのは、いまから三十年ほどまえ。取り除かれた土砂のかわりに、何千年も眠っていた草花の種子が芽吹き、みるまに成長して地域全体を覆ったのだ。

 その風景、そうして、発掘された古代の住居のありように、数千年にわたる平穏に飽いた市民たちは魅了されたのだ。


 猿の子孫であるという滅びた先人類のあとを継ぎ、地を支配した竜人族。固定された住居という概念をもたなかった彼らにとって、先人類の残した家のありようは心の惹かれるものであった。

 多様な家屋が砂の下から発掘された。先人類が滅びた理由に由来するのか、驚くほどに保存状態の優れたそれらは、修繕ののちに神殿の管理のもと、竜人族にとっては馴染みの薄い、定住可能な巣穴として提供されることとなった。


 一方、学者たちの研究により、かつて家を求める際には、さまざまな儀式が行われていたことが明らかになった。全容は判明しなかったが、それでも、一部の手順を再現することは叶った。

 その手順のひとつが、ナイケン、である。

 ケイは、古代の住居群を管理する神殿の、ナイケン担当の高位神官としてこの場に立っている。


 「……いかがでしょうか、奥さま、ご主人」

 「うん、気に入ったよ。ここにする」


 儀式の結末を宣言する、古語での詠唱を相互に完了したことを確認し、ケイは安堵のため息を漏らして、長い尾をゆっくりと振ってみせた。


  

 

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