死ぬ前に、なんとかこの男を驚かせたい!

佐々木 凛

第1話

 地縛霊となった私には三分以内にやらなければならないことがあった。命日から一年が経過する今日の午前零時までに、自分の力で誰かに驚いてもらう。これができなければ、成仏しないといけない。それが、死後最初に出会った、やけにいかがわしい目で私のことを見定めてきた、神様を名乗るクソジジイから突き付けられた条件だった。正直、地縛霊でマンションの一室から身動きの取れない私には、あまりに不利すぎる話だ。

でも、もう時間がない。四の五の言っていられる期間はとうの昔に終わった。生前、何故お化けというものはわざわざ怖い雰囲気の所に立って人々を驚かせるのだろうと思っていたけど、今はその理由が痛いほど分かる。


「さて、お湯が沸騰したから、後は温度が九十度になるまで待つだけだな」

 そう言ってターゲットは、キッチンでお湯を沸かした電気ポッドを持ったままリビングに移動してきた。お湯を冷ますためか、電気ポッドの蓋は開いたままになっている。マンションの一室から動けない私にとっては、自分の成仏を防ぐためにターゲットにできるのはこの男しかいない。

 でも、この男はとにかく予想外の行動を取ってくる面倒な奴なのだ。今だってそうだ。なぜこんな深夜に、覚醒作用のあるコーヒーを飲もうとするのか。コーヒーを淹れるのに適した温度は確かに九十度だけど、電気ポッドからデキャンタに注ぐまでにもお湯の温度は下がるからそれより少し高めの温度で注ぎ始めないといけないのに、どうして電気ポッドに温度計を突っ込んで九十度になるのを待っているのか。

 そしてなにより、電気ポッドの蓋を開けたままにして手を離さないのは何故か。あれでは、私が驚かした拍子にお湯を被って火傷してしまうかもしれない。私は男に驚いてほしいだけで、危害を加えたいわけじゃない。何とかして、怪我しないように安全に驚いてもらう必要がある。

 ――そうだ。ベランダに出て、窓の外に立っていよう。窓の映り込みなら男が気付いた後に私が消えれば、見間違いだったと思い直して冷静になれる。それに私との距離が離れている分、驚いた時もそこまで体を動かすことは無いと思うし……我ながら、完璧な作戦だ。

 善は急げということで、早速ベランダに出る。三月ということもあって、外に出ると寒い。どうして幽霊になった挙句に凍えなければいけないんだという思いが頭をよぎるけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。

 さあ、気付け。私に気付いて、驚け。

「……あれ? そんなところにいたんだ。今は外は寒いでしょ、中に入っておいでよ」

 男はこちらに気付くと、優しい口調でそう言いながら窓を開けた。男の視線は、明らかに私を見ている。

 ああ、またこれだ。この一年間幾度となく男を驚かそうとしてきたけど、何故か男は驚かない。私の方を見て、優しい言葉をかけてくる。最初は私に気付いているのかと思ったけど、そうじゃないことはすぐに分かった。

「ほら、中においでよ、沙織」

 ほら見ろ! あいつは私の後ろにあった、背丈の大して変わらない観葉植物を部屋の中に入れただけだ。いつもこうだ。あいつは物を擬人化して話す癖があるから、観葉植物にも優しく話しかけるんだ。これのせいで私はいつも調子を崩して男を驚かせることができず、こうして一年も経ってしまったのだ。

 しかし、もう一刻の猶予も無い。なんとしても、驚かせないといけない。正直生前の記憶なんて全くないし、どうしてこんなにも成仏したくないのか分からない。でも、このままこの男に弄ばれたまま成仏するなんて、死んでも嫌だ。なんとしても、驚かせる。

 というわけで、次の作戦だ。題して、洗濯機の中からこんにちわ作戦。洗濯機からエラー音を鳴らし、男が異変を感じて洗濯槽を覗いたところで、中に潜んでいる私のことを見つけてしまうという寸法だ。洗濯槽の中に人が入っているなんて明らかに異常だし、ドラム式のこの洗濯機中から這い出せば、某有名なお化けを彷彿とさせることもできるかもしれない。今度こそ、完璧な作戦だ。

 さあ、早く来い。そう、洗濯槽のドアに手をかけて、ゆっくり開けて――。

「……かくれんぼでもしてるの?」

 洗濯槽の中の私と目があったであろう男は開口一番にそう言い、こちらに手を伸ばしてきた。といっても、私に触れようとしたわけではない。私の足元に転がっていた、靴下の片方を摘まみ上げたのだ。

「靴下の片方って、すぐどっかにかくれんぼしちゃうよね」

 違う、私が聞きたいのはそんなあるあるじゃない、悲鳴だ。もう時間がない。矢継ぎ早に仕掛けないと、この男に弄ばれたまま生涯が終わる。なんとかしないといけない。

 そうだ、テレビだ。テレビを勝手につけ、それを男が消して画面が暗転したところで、すかさず画面に写りこむ。突如として自分の背後に現れた、この世のものとは思えない私の姿を見て、震えあがることは間違いない。

「あれ、テレビが勝手についた」

 私がテレビをつけると、男は一秒で気付いた。まあ、偶々つけたチャンネルが、笑い声のうるさいいバラエティー番組だったから尚更気付きやすいんだろうけど。

 それじゃあ、あいつがテレビを消すまでのんびりと待とうかな。でも、この番組面白いな。もうちょっと見てたいかも……って、駄目駄目。そんなことしてたら、バラエティー番組を見てて成仏した間抜けになっちゃう。それは、あいつに弄ばれて生涯を終えることより辛い。

「……! バ、バカな」

 なんて考えていると、男がテレビを消した。この反応は、画面に映った私を見て驚いたのかな。それなら、これで目標達成!

「俺、鼻毛出てんじゃん。最悪、恥ずかし。鼻毛出てるなら言ってよー」

 うん。知ってた、だめだこりゃ。

 じゃあ、もう最後の手段。家の中でお化けが現れるスポット第一位の洗面所で、鏡に映りこむ。これが最後のチャンス。まずは、洗面所でドライヤーを落とす。すると、まんまと音におびき寄せられたあいつが、のこのこと洗面所にやってくる。

「……なんで落としたの。本当に、何がしたいんだか」

 よし、後は鏡の横にある棚にドライヤーを直そうとしたところで、鏡に映りこんだ私を発見する。べた過ぎる展開だけど、もうそんなことを言ってる暇はない。なんとしても、これで悲鳴を上げさせる。

「あれ、なんか老けた?」

 あ、終わった。全然驚いてないわ。自分の顔見て、老いを実感してるだけだわ。もう駄目だ。あ、なんか体が薄くなってる。これあれだ、成仏するやつだ。時計無いから分かんないけど、多分もう零時になったんだ。

「あーあ、せめてこいつ驚かせてから成仏したかったな」

「え、今日はやけに積極的だと思ってたけど、驚いてほしかったの。それならそうと、早く言ってよ。ていうか、喋れたんだね」

「……え、私の声聞こえるの?」

「うん。声だけじゃなくて、姿もばっちり見えるよ。一年位前から」

「……平然としすぎでしょ」

「うん。でも、驚きより嬉しさの方が勝るよね。死んだ恋人が、幽霊になっても会いに来てくれたんだから」

 ……全部、思い出した。

「妙に独り言が多いと思ってたけど……ごめんね、最後まで思い出せなくて」

「最後って……待ってよ沙織。沙織が事故に遭った日、俺も死のうと思った。ベランダから肩足まで出したんだ。でも、沙織が会いに来てくれた。だから俺は、今日まで――」

「裕也。多分もう私のことは見えなくなると思うけど、私はずっとそばにいるから。明るくて、周りの皆を楽しませてくれる、私の大好きな裕也が幸せになるところ、見せてね」

「駄目だって、沙織。沙織ー!」


「今日からは、そこから見ててくれよ」

 俺は、一年間押し入れの中に仕舞いこんでいた、沙織の遺影と遺骨をリビングに置いた。沙織は、微笑んでいる。そんな沙織に見守られながら、九十度からほど遠い温度にまで下がったお湯で、コーヒーを淹れる。部屋中にコーヒーの香り。

「……不味い。こんなんじゃ、怒られちゃうな」

 そのコーヒーは嫌悪感を抱いてしまうほどにぬるく、まどろっこしい複雑な味わいを口いっぱいに広げた。

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