ずるいぞ、貴様

壱単位

ずるいぞ、貴様


 チーム・レイガリオンには三分以内にやらなければならないことがあった。

 

 話は、簡単だ。

 次元境界を突破した魔王の現世結像を阻止する。

 それだけだ。


 魂魄が魔界から現世に越境したとしても、結像、すなわち現世に実在するオブジェクトを破砕し集塵し、それを用いてみずからの身体を構成して虚から真に移行するためには、いかな最悪最恐の魔王といえど時間を要する。

 猶予は、三分間。

 

 人類の希望であった第九十九師団、史上最強の異能者集団は、十四秒前に消滅した。

 だからいま、師団のミソっかす、馬鹿にされ足蹴にされて、最終決戦に呼ばれなかったわたしたち、チーム・レイガリオンこそが、本当の、世界の最後の希望。


 指先で空中に神導演算しんどうえんざんを記述する。指が震える。訓練では一度も成功したことのない高度魔式。成功すれば、一撃で魔王の魂魄の六十パーセントを凍結することができる。

 あとわずか、というところまで記述したところで、右手ががくんと下がった。


 「むりむりむりむりむり、ねえたいちょお、こわいこわい、うそでしょ、なんで僕たち最前線に立ってるの……ていうか、ここ、ここ……!」

 

 わたし、エミリ・レイガリオンの右腕にぶら下がるように、短く刈り込んだ茶髪の男がしがみついている。

 色白の、優しげな顔立ち。最低限ながら師団の訓練についてきていたのだから、それなりの体格。しかし、肉体の発達が精神の成長を促すという説に特大のアンチテーゼをかましてくるのが、この男、ニア・レジオスだった。


 地上五千メートル。魔式の発動がなければ呼吸が困難なこの場所で、チーム・レイガリオンの副長、ニアは全力で周囲の酸素を泣き声に変換し続けている。


 「ちょっ、掴まないで、自分で飛べ……ああああっ、魔式演算、消えちゃっただろうが、ばか、こら、離せ」

 「えっ、うう、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 ニアは師団訓練所の落ちこぼれ。それでも魔式の発現の際の発色が美しかったことに目をとめて、二年前にわたしは彼を拾った。

 ダメなリーダーが率いる、ダメなチームに、ダメな男が加わった。


 わたしの魔式、特別な異能はとても強い。おそらく世界を書き換えることも可能だろうと評価され、嘱望されて師団に入った。が、どうしても力のすべてを発動することはできなかった。原因も理由もわからない。生まれてすぐに魔式を見出されて訓練に明け暮れたわたしは、絶望した。

 ひとりだけのチームとなったわたしは、暗い小部屋で毎日を過ごした。

 それでも、ニアが加わってからは、小部屋にぼそぼそとした会話が生まれた。

 

 学者による計算では、確率は九千億の自乗ぶんの一、と言われた、魔王、別次元の意思体の、この次元への侵食。それは、二十五年前に現実となった。

 長い時間をかけて次元を超越しようとするその存在に対抗するため組織された、第九十九師団。あらゆる異能者が集められ、あらゆる手段による強化が実践された。


 総数七千を数えたその精鋭たちは、十四秒……いや、十八秒まえに、魔王の魂魄の越境の阻止に失敗し、その存在を永遠にこの宇宙領域から失うこととなった。


 残る時間は、二分と四十秒ほど。

 七千有余と、二人の師団の、最後の二人。

 わたしたちがやらなければならない。


 「いいか、息を吸え、深くだ、そうだそうだ、そうして、わたしの手を離せ」

 「ひいいいいん」

 「よし離したな……ってその手で胴体を掴むなばか、どこ握ってるんだこら、離せ、いやもうそんなこと言ってる場合じゃない、せめて動くな」

 「……」

 「掴んだまま止まるな! 離せ! それはあたしの……ああもう、いい! それでいい! 一緒に唱えろ詠唱を! そら、えりすとる、れいぜりおん、せいおん、ぞるで……」

 「ふにゃふふふふな……」

 「あああもうせめて言葉にしてみせろこのぽんこつ! もういい、黙って見てろ……よし、あと、少し……」


 改めて記述した神導演算の文字列が空中で発光しはじめた。訓練でも光を帯びたことはない。その現象は、魔式の成功を意味しているのだ。


 「……光った」

 「ああいぃうう」

 「おい、ニア、見てみろ、成功しかけてるぞ」

 

 魔式を最後の一文字まで記述する。息を呑んで見守る。光は増し、煌めきはじめ、そうしてやがて……消えた。


 「……え」


 見慣れた光景。

 宙に描画した魔式は、わたしの意思に反するように、いつも失せた。

 誰が描いた魔式よりも強く色を帯びつつ、それでも、すぐに失せた。

 なにかが、足りないのだ。

 

 今日だけは、今だけは。

 奇跡を望むことは誤りだ。

 でも、でも……!


 わたしはなんども魔式をなぞりなおし、祈り、詠唱し、そうして光が消えるのをなんども見送った。

 指を、手を下ろし、うなだれる。

 高い空の上で、ニアにしがみつかれながら、わたしは、小さく笑った。


 「……ごめん、ダメ、みたいだ。不甲斐ない隊長で、すまん……」

 「……隊長……」


 はるか上空に、暗い穴が開いた。

 魔王の現出だ。

 周辺のあらゆるものを取り込みながら、空の半分を占める大きさに、すぐに成長した。


 光を失った上空で、わたしはニアを抱きしめた。

 いのちの最期は、だれかの温もりを感じていたかったからだ。

 ニアははじめ驚き、それでもゆっくりと、両手をわたしの背に回してきた。


 「……なあ、いま、なにが欲しい」

 「……えっ……なん、にも」

 「ふふ。貴様はいつもそうだったな。まあいい。ゆるりと、過ごそうか」

 「……あ、う……あの、ひとつ、だけ……」

 「なんだ、なにが」


 わたしの言葉は、途切れた。

 ニアの唇は、あたたかかった。

 見開いた目を、わたしは、ゆっくりと閉じた。


 閉じているから、なにも見えない。

 それでも、きん、という音とともに全天を覆ったわたしの魔式が、ゆらりと揺れながら、強く、強く輝いて、世界のことわりを書き換えていっていることは容易に感じ取れた。

 魔王の絶叫は、数秒で途切れた。


 目を、開く。

 青い空。

 雲はない。


 上空でふうわりと抱き合いながら、わたしは、ちいさく呟いた。


 「……ずるいぞ、貴様」




 



 

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