夢のあとに


  夢のあとに


 底なしの暗闇には底があった。

 ガラガラ、ドッシーン!

 僕はひっくり返った椅子とともに、教室の床に転げていた。

 みんなの哄笑が聞こえた。

 おそるおそる起き上がると、教壇ではカマキリが、細いメガネの顔で仁王立ちになり、みんなと一緒になって笑っていた。

 歴史の授業はいつの間にか数学の授業に変わっていた。僕はかれこれ一時間ほど熟睡していたことになる。

「……ぼんちゃんは毎朝、牛乳配達で疲れてるんです。そっとしといて上げて……」

 タカシが女の子の声色でからかったので、教室はまたどっと笑った。

 いったいあれは夢だったのだろうか―――

 手足はちゃんとある。

 タカシは西郷隆盛ではなく、ケンゾーは土方歳三ではない。ましてマシューは、ペリーなどではない。

 僕はようやく自分の置かれた立場を理解し、そっと歴史の教科書をカバンにしまって、代わりに数学の本を机に開いた。

「……であるからして、落下の速度はその衝撃に比例し、……」

 黒板にむかって授業をすすめるカマキリの背中や、こちらを見ながらクスクス笑う生徒たちの白い歯が、なんとなく安堵すべき風景のように思えた。

 それから下校までの付け足しのような時間を、僕はぼんやりと外を見ながら過ごした。

 イヤミな教師のつまらないジョーク。生徒たちのガヤガヤ声。風にそよぐ校庭の木―――

 どれを取っても、ここが二十一世紀の日本であることはもはや疑うべくもなかった。

 それにしても―――僕が見た夢はあまりにもリアルであった。どちらが夢でどちらが現実か、ちょっと分からなくなるくらいだ。

 ふと僕のお腹がグーと鳴った。思えば昨日のバイトから、ロクなものを口にしていない。夢の中で食べたものはすべて「絵に描いた餅」であった。

 僕はやけに自分の家のそばの味が恋しくなった。

 学校が済んで、飛ぶように家に帰り、開口一番「竜の髭定食!」と注文すると、父は「やっとホンモノの味が分かるようになったか……」と、手際よくそれを作ってくれた。

 目の前に運ばれて来た天そば定食は、いかつい竜の姿をしていた。

「いただきまーす!」

 僕は頭からバリバリとそれを平らげた。

 最高に美味であった。

 それから僕の前に、またあの「退屈な日々」が戻ってきた。

 夢を見る前と見た後とで、何かが変わったかというと、ほとんど何も変わっていないような気がする。ままならない現実は、やはりままならない。

 しかし、周りのみんなはけっこうそんな日々を、楽しんで過ごしているようである。

「If I were a bird, ……」

「イフ、アイ、ワラ、バード!」

「I will fly to you.」

「アイ、ウィル、フライ、トゥ、ユー!」

 英語教師のなめらかな発音のあとで、みんなはわざとらしく、大声で、デタラメな発音を繰り返す。

 マロもはりきって大声を上げている。

「アイ、ウィル、フライ、トゥー、ユー!」

 彼はこのところ、カタカナ英語がとても上手になった。なかなか分かってきたようだ。

 それから数日後、こんどはタカシにある変化が訪れた。

 思いつきで目安箱に投書した案が採用されて、臨時の生徒会役員に選ばれたのである。

「ゴミ拾いキャンペーン」と題されたその案は、街じゅうのゴミを集めて学校に提出すると、点数のついたチケットが渡され、その点数に応じて売店で好きなものが買える、という趣向であった。

 仲間を従えてセッセと街をキレイにする彼の姿は、魔法にかけられたジャイアンのようだと、みんながあざ笑った。

 また一週間が経った。一週間分の時が流れた。

 僕の身の周りにも、それなりの変化があった。

 土曜日、バイトに出てみると、浅黒い肌の見知らぬ青年がレジに立っていた。

「イラッシャイマセ……」

 すこしクセのある日本語は、アジア系の外国人のようだ。

 僕は軽く頭を下げ、バックヤードへ行って店長に挨拶した。

「三日前から入ってもらってる。もうレジ打ちはだいたい出来る。細かいことは、その都度教えてやってくれ」

 僕と店長は並んで「三つのモットー」と「接客五原則」を唱えた。そのバカバカしさは相変わらずであったが、なぜか僕は不思議とあまり抵抗を感じなかった。最後のニコッ、とするところも、わりとスムーズに出来た。

 スイングドアを出て一礼し、交代のためレジへ向かう。

「ハジメマシテ……」

「よろしくお願いします」

 新人の彼と人見知りの僕は、はじめは少しぎこちない感じであったが、彼のフランクな性格のおかげで、二人はすぐに打ち解けた。

「グエンと言います。ベトナムから来ました。大学一年生です」

「レジ覚えるの、早いですね。佐倉といいます」

 サクラさん、cherry blossomですね、と言いかけて、彼はすぐに、ゴメンナサイ、と謝った。名前に関する冗談は非礼だと思ったのだろうか。

 そのやさしい性格に僕は好感を持った。

 それからグエン君は商品の補充をしながら、分からないことを気兼ねなく僕に尋ねた。知っていることを人に教えるのは楽しく、僕は丁寧に教えてあげた。彼はたしかに、驚くほど呑み込みがよかった。

 少し店内がいてきたので、僕らは店長にバレないよう、またレジで立ち話をした。

 聞くところによると、彼は家が貧しく、苦学してようやく手にした奨学金で日本へ留学した。バイトで貯めたお金も、その多くは家への仕送りに回すという。将来は地元の日本企業に就職し、指導者的立場になるのが目標らしい。

「けっこう、勉強したよ」彼は笑った。

 日本の豊かさの上にあぐらをかき、勝手なわがままばかり言っている自分が、僕は急に恥ずかしくなった。

 ふたたびレジを交代し、飲料の品出しのためバックヤードへ行ったとき、店長がなにやら電話口でペコペコ頭を下げているのが見えた。例のごとく、上司からの叱言こごとであろうか。電話を切ったあと、ふう、とため息をつき、言われたことを手帳にメモしている。手帳から一枚の写真がハラリと落ちた。

 店長はそれを拾い上げ、そこに写っている奥さんと子供の顔を見ながら、やがてニンマリとした。

 クリスマスの賑わいも一段落し、正月へ向けての準備に忙しいさくら通りを、僕は家へ向かって歩いた。

「ローンで買ったギターの、半分くらいはもう、自分のものになったかな……」

 そんなことを考えるうち、もうすっかり宵闇に包まれた辺りに、「そば処すずめ」の明かりが見えた。

 ガラガラと引き戸を開けると、店内は満席であった。サラリーマンや家族連れが、あちこちでそばをすすっている。

 厨房では父と母と、そして手拭いを頭にかぶった祖母の清乃が、忙しそうに立ち働いている。

「ただいま……」と言いかけた僕は、邪魔にならないよう静かに階段を上った。

「おかえり!」母が僕よりも大きな声で返事をした。

 父はだまってそばを茹でている。

 祖母は、僕の顔をちらっと見るなり、曲がった腰を延ばしながらニッコリとした。

 そば処すずめは、これから大晦日おおみそかにかけての数日間が、一年で最も忙しい時期である……


 と、ここまでの話は、実は七年前の話なので、今は平成十五年、僕らは高校を卒業して社会人となった。僕らを取り巻く環境も、七年分の変化があった。ごく身近なところから紹介すると……

 まず目ぼしいニュースといえば、母校の立川F校が男女共学になったことだ。これはひとえにリョースケとマロの働きかけによる。僕はこの話を聞いたとき、大袈裟に言えば、世の中はものなんだ、という感慨を深くした。要は動かそうと思うかどうかだ。そんな変貌を遂げた立川F校は、いろいろ不満もあったが、やはり僕にとってなつかしい母校だ。

 それから友人について言えば、リョースケは大学在学中から「起業」した。きたるべき高齢化社会に向けて、彼が着目したのは「介護事業」であった。食事、入浴など、身の周りの世話はもちろん、各種事務の代行、レクリエーションの企画、友人のあっせんから遺産管理に至るまで、総合的に暮らしを支援する会社だそうだ。会社名を「ガボッツ」という。渡されたパンフレットによると、この「GABOTS」というのは「オールド・ボーイズ・アンド・ガールズ・トータル・サポート・サービス」の頭文字を並べ替えたものらしい。が、彼はこっそり僕に耳打ちし、本当は「ジイサン&バアサン・おたすけ隊・参上!」の略だと教えてくれた。そして将来は「ガボット」という介護ロボットも開発予定だという。どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からなかったが、彼のことだから、いつか本当に実現させてしまうかもしれない。

 それからタカシは、なんと「政治家」を志し、武蔵野市の市会議員となった。生徒会でのささやかな成功体験が、彼の潜在能力を目覚めさせたようである。ネクタイもなかなか似合っている。

 ケンゾーは卒業後もしばらくバスケをつづけたが、不運にも怪我に見舞われ、現役を退いたあとは、家業の自転車屋を継いでいる。現在、多摩川でのサイクリング大会を企画中だそうだ。

 信ちゃんは教育学部に進み、晴れて「教師」となった。面白いのは、いつかイジメに加わった一人とその後よきライバル関係を結び、お互い切磋琢磨せっさたくました結果、ともに後進の育成に協力し合っているということだ。もう「信ちゃん」とは呼べない。「真壁」だ。

 僕自身はと言えば、やはり音楽への夢を捨てきれず、いったん入った大学を辞め、小さなライブハウスで演奏活動などして暮らす日々だ。


  吹く風は

   水面みなもに遠くなりぬれど

       胸に荒ぶるいにしえの波


 ライブの休憩中、僕は思いつくままに、ありあわせの紙にそう書きつけた。

 僕らはまがりなりにも大人になり、それぞれの舟をなんとか必死に漕いでいる。

 しかし、僕はときどき、あの真夏の太陽のようにまぶしかった日々のことを、そしてあの日見た、奇妙に長かった夢のことを思い出すことがある。

 年を重ね、僕は少し図太くなり、そして少しだけ社交的になった。それが成長と呼べるかどうかは分からないが、たしかにオールを漕ぐコツだけは、わずかに身につけた気がする。

 そうだ―――

 ここで僕はもう一つ、あの「朝の電車の彼女」と、意外な場所で再会したことに触れておこう。

 あるとき、住民票をとる必要から、僕は市役所に出かけた。タカシが出入りする役所である。呼ばれて窓口へ行くと、受付に座っていたのは、髪型こそ変わっていたが、まさしくあの時の彼女であった。その涼しげな目元ですぐに分かった。

 しかし彼女の方は―――当然といえば当然だが―――僕の顔を見ても、いっこうに気づく様子はない。

「……記載に間違いがないか、ご確認ください……」

 僕は、ちょっと寂しく思うと同時に、一安心する気持ちもあった。

 彼女のこともまた、僕の青春の美しい一ページとしよう。

 僕はお礼を言って、深呼吸をし、また立ち去りかけたが、ふと思い立って彼女のネームバッジをぬすみ見た。「小野さくら」とあった。

 小野さくら……

 S・O……

 そういうことか―――

 小町ちゃんとアダ名されていた彼女の、本名を今さらに知っても、とくにさしたる喜びはなかった。感慨をもよおすには時間が経ち過ぎていた。しかし……ん?

 僕はあることに気がついた。

 小野さくら―――

 もし僕が、あのまま彼女と「うまく」事が運び、あるいは結婚までこぎ着けていたとしたら、彼女の名前は「佐倉さくら」ではないか。

 サクラ、サクラ……

 おめでたい名前だが、ふつうは避けるべき名前だ。

 僕と彼女は、はじめから結ばれる運命にはなかった……

 僕はなぜか妙に納得し、ひとり苦笑した。

 そして、その苦笑を自然な笑みに変えて、彼女への花向けとしたが、彼女の方も、あの日と変わらない笑顔で、僕にニッコリと微笑んでくれた。

 僕はずいぶん笑顔がうまくなった。

 しかし、そんな笑顔と引き換えに、僕は何か大切なものを、あの頃に置き忘れて来てしまったかもしれない。

 ともあれ、そんな日々の中で、明らかに、それまでとは一線を画する、大きな変化があった。

 祖母の死である。

 祖母の清乃は平成十六年一月十三日、誤嚥ごえん性肺炎のために、とつぜん亡くなった。享年七十七才。

 そのころ一人暮らしをしていた僕は、一年半ぶりで帰省した。

 葬儀に集まった縁者の話で、僕は祖母のし方をはじめて知った。

 戦争で兄を亡くし、呉の空襲で身寄りを失った七才の清乃は、和歌山の農村で女学生時代を過ごしたあと、縁故を辿って上京した。そして下宿先で知り合った青年「佐倉弘人ひろと」とささやかな祝言しゅうげんを挙げる。物資が不足する中で手にした、平凡な幸せであった。

 それから佐倉青年との、爪に火をともすようなつつましい生活が始まった。弘人青年はあらゆる職種を転々とし、たくわえた資金を元に、三鷹市のさくら通りで不動産業を始める。そして世の中の景気の上昇とともに商売は軌道に乗り、昭和三十九年、東京オリンピックの年に長男哲人てつとが生まれる。僕の父である。

 弘人・清乃夫妻は、気むずかしい息子哲人の教育に相当手を焼いたようだ。ロマンチックに文学を志す哲人と、なりふり構わず戦後を生き抜いた弘人との確執は、いまだに親戚の人たちの語り草だ。そして祖母の清乃は、なにかにつけてことごとく対立する父子おやこの間に立って、いつも息子の方をかばっていたという。(葬儀の席で、似合わない喪服を着た父は、照れ臭そうに苦笑しながら祭壇にかざられた清乃の遺影を見上げた。)

 しかし結局、飛び出すように家を出た父は、情熱のままに雑誌の仕事をつづけ、そして母真理絵と結婚した。やがて僕が生まれる。その平成三年、僕を抱っこした写真を残して、祖父弘人が他界。僕は小さすぎて祖父の記憶が全くないが、こんなにいい笑顔の祖父の写真は珍しい、とみんなが口をそろえて言う。

 その後、父はいわゆる文学的挫折を経験し、やむなく不動産業を継ぐ決意をする。そしてしばらくは、どうにか平穏で実直な生活を営んでいたが、ある日、僕が雀を拾ってきたのをきっかけに、思い立ってそば屋を開業する。そば処「すずめ」である。

 あとは知っての通りだ。

「……清乃さんは、幸せだったのか、不幸だったのか、分からんね」

 広島時代から祖母を知る叔父さんの一人が、お茶を飲みながら言った。

「みんなに大切に守られて、ようやく育った小鳥のようじゃったね……」

 別の叔父さんが言った。この人はみんなに、榊さん、とか、トシオさん、とか呼ばれていた。

 え?

 まさかあの、洟を垂らした半ズボンのトシオ君?幼なじみの―――

 僕はあぐらをかく小柄な叔父さんの、折り目正しいズボンの裾を見て、なんだか狐につままれたような気がした。

 それから僕は、自分が子供だった頃の祖母の面影に思いを馳せた。そして、―――幼かったとはいえ、可愛がってくれた祖母に対して、迂闊うかつにも吐いてしまった心ない暴言を思い、あらためて祖母のために涙を流した。自分でも可笑しいくらい、大粒の涙がポロポロとこぼれ出た。

 遺影の祖母は、しずかに僕に笑いかける。

 そんなことは、なーんでもないよ―――

 僕は泣きながらまた笑顔になる。

 ふと思い立ち、列席者のために用意された蜜柑みかんを奥の部屋から持って来て、それを、位牌の前に供えた。

 一つは祖母清乃のため、一つは大好きだった兄章太郎のために。

「おばあちゃん。天国で、お兄さんと一緒に食べてね。上手にむけるようになったところを、見せてあげるんだよ」

 宴席が盛り上がる中、僕は遺影の前に一人いつまでも座っていた。

 あいにく、今日中に帰らなければならない用があったので、僕は夕方の法要を辞退し、父と母に挨拶をした。

「まあ、せいぜい挑戦してみることだ。失敗もまた次へのステップになる」

「手がらは後回しよ。困ったらいつでも帰ってらっしゃい。ここがあなたのおうちだから」

 それぞれ好き勝手なことを言って、父と母は僕を表まで見送ってくれた。面映おもはゆい僕は、振り返らずに玄関をあとにした。

 さくら通りを歩く道すがら、路地の隙間から禅林寺の屋根が見えた。

 しばらく立ち止まって、その昔と変わらぬ瓦の色をながめた。そこだけ時が止まったように見えた。屋根の上の空は青かった。

 ふたたび歩き出そうとしたとき、ふと一羽の雀が、冬枯れた柿の木の上を気ぜわしく鳴きながらかすめ飛んだ。

 その声は「ピーチク」とか「パーチク」としか聞こえなかったが、僕にはなぜか「ぼんちゃん、さようなら……」と聞こえた。


                                     


                 (了)

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よみ人しらず ヤマシタ アキヒロ @09063499480

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