最終話 イリスは太陽を導くことにした

 ■


「ちょっと、イリス。アオを励ましてきなさいよ」

「あー?」


 イリスがシャワーを浴びた後、エルザが声をひそめてやって来た。



「さっきから、すごく落ち込んでいるのよ」

「へ、なんで?」

「あんたが撃たれたからでしょーが!」


 ああ、とイリスが納得する。


「けど俺、避けたぞ? 狙撃手がいたことは、最初から気づいてたし」

「そうね。同時に、あの子が結界を張ってアンタを守ろうとした、ってのも聞いたわ」


 間に合わなかったらしいわね、とエルザが言う。


「私はあんたの能力をよく知ってるから、今更撃たれたって聞いても心配しない。けど、何も知らない子が撃たれる瞬間見たら、誰だってビビるでしょ」


「おまけにあの子、1000年前の世界から来てるのよ。1000年前に銃なんてないわよ」というエルザの言葉に、確かに、とイリスは思った。

 だが、エルザの推測は外れているだろうな、とイリスは確信していた。

 イリスはアオレオーレを探す。空っぽの食堂には、俯くアオレオーレの姿があった。


「アオ」


 イリスが呼ぶと、パッとアオレオーレは顔を上げる。

 それはまるで、迷子になった子どもが、親を見つけたような顔だった。








「悪かったな今日は。お前には非がないのに、責めるようなこと言って」


 とぽとぽとスープをコップについで、アオレオーレに渡す。アオレオーレは両手でそれを受け取る。

 二人の頭上には、星空が広がっていた。


「吸い込まれそうだな」

「だろ。ここらへん乾燥してて、よく喉痛むけど、夜空は一等綺麗だ」


 イリスはそう言って、スープを一口含む。

 しばらく、二人は黙っていた。ハッとイリスは今日のことを思い出し、慌てて隣を見る。


「?」


 そこには、階段を椅子替わりにしたアオレオーレが、きょとんとイリスを見ていた。

 はー、とイリスがため息を着く。


「すまんすまん。てっきり、お前がいなくなってるんじゃないかと思ってな」


 そう言うと、アオレオーレは少し傷ついた顔をした。すまない、と、絞り出すような声に、イリスが慌てて否定する。


「いや、悪い。しつこかったな」

「俺には、わからないんだ」


 イリスの言葉に、被せるようにアオレオーレが言った。


「マスターからは、『誰かの許可をとらずに、自分の頭で考えられるようになりなさい』と言われた。だけど俺には、どうすれば言葉の外の意図を汲み取れるかわからない。……命令されなくては、わからない」


 そう言って、アオレオーレは表情を曇らせた。

 昨日よりずっと表情が増えた、とイリスは思った。

 だが、自責の念が少々強い。暗黙の了解なんて、コミュニケーションの失敗を重ねながら身につけるものだ。

 それとも、アオレオーレに失敗は許されていなかったのだろうか。


 完全なる人間。ホムンクルス。

 生まれた時から大人の姿であり、知識と思考能力を備え持つ。三年ほどしか生きられない。

 それは、失敗することを許される子ども時代がない、ということなのかもしれない。


 だが、イリスの目の前にいるのは、完全な存在とは程遠い、迷いある若者の姿だった。


「……俺には、息子がいたんだ」


 気づけばイリスは、自らの過去を口にした。


「俺は、天神教の兵士だった。1000年前、俺たちの領土は地神に奪われたんだ。それを四十年前に、俺たちは自分たちの領土を取り戻して、そこに住んでいた。

 ところが、周りは地神領に囲まれてた。俺たちは常に臨戦態勢だった」


 俺は、とイリスは続けた。


「兵士として、息子を育てようとした。

 安全な場所があると思うな、危険に慣れろと教え続けた。

 いつでも男らしく戦え。子どもとして扱うのではなく一人の男として扱う。恐怖を感じるな、余計なことは考えるな。弱肉強食、国を守れない国民は役立たず。勝利以外の生存は恥だと教え込んだ。俺自身がそう教えられてきたからだ」


 イリスは、普段は奥底でしっかり閉じ込めている後悔を引きずり出した。


「息子は素直だった。俺の言う事を飲み込んで、敵に捕まる前に海へ飛び込んだ。

 まだ五歳の子どもだった……」


 ――イリスの脳裏には、今も沈んでいくカール息子の姿がある。

 自分の言葉が息子を殺したのだ。そう気づいた時、イリスは全てを放棄した。兵士としての使命も、男らしさも、故郷も。

 イリスが文字が読めなくなったのは、息子を亡くしてからだった。何も考えず、感じず、プロパガンダに盲目的に従った自分を、心から恥じ、憎んだ。


 イリスは、自分語りをするような人間では無い。だが、アオレオーレのために話さなければと思った。そうしなければいけないと、強く思った。

 はー、と深い息を吐く。そしてゆっくり、アオレオーレに語った。


「お前のマスターは、多分、そういう意味で言ったんじゃない。誰にも従うな、と言いたかったんだ。

 その証拠に、お前に『強いものに従いなさい』とは、言わなかったんだろ」


 偉大なる魔術師が、アオレオーレに残した最後の言葉。

『ここに強い人が来たら、導いてもらいなさい』。

 つまり、アオレオーレを庇護する大人を待て、と残したのだ。


 そのために、ヴィーセンダコナはアオレオーレにあの城を残した。

 1000年という時をかけて、アオレオーレはあの城で待ち続けたのだ。

 

 ――太陽アオレオーレを導くなんて出来るのか、俺に。


 恐らく、戦闘能力もアオレオーレの方が高い。その上書類仕事も出来たら、イリスは必要ないだろう。

 だが、アオレオーレになくて、イリスにあるものがある。

 イリスは、決意した。


「ま、今日のテストは合格だ。これからよろしく頼むぜ」


 乾杯、とイリスがコップを差し出す。

 イリスに促され、アオレオーレはカチン、とコップをぶつけた。

 ホムンクルスのアオレオーレに、どれぐらい時間が残されているのか、イリスにはわからない。もしかしたら明日死んでしまうかもしれないし、本当に不老不死かもしれない。

 だが、後者は別として、前者は誰だってそうだ。



「しかし、『太陽の輝き』なんて、大層なモンつけてもらったよな」


 その全てに、ヴィーセンダコナの想いが込められている。親だったイリスはしみじみと思った。


「俺なんて、とにかくフツーの、女と間違えられない名前をつけなきゃって思ってたからよお」


 イリスがそう言うと、アオレオーレは「あなたの名前の由来は?」と尋ねた。


「イリスというのは、虹の女神だと思っていたが」

「あー、違う違う! よく間違えられるんだよなあ。俺の故郷、『G』の発音しねーの」


 俺の名前は、とイリスは言った。


「『神に捧げられた子ヤギ』だ。昔の天神教徒は、神に誓う時、子ヤギを差し出していたんだ。

 転じて『誓い』って意味だ」



<完>








 

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【KAC20241】魔術師の遺産 肥前ロンズ @misora2222

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