第8話 いなくなったアオレオーレ
イリスは全速力で、露天通りを走る。
――くそ! これは誘拐されたのか!? それとも目を離した隙に、アオが離れたのか!?
少なくとも、アオが自分の意思でイリスに離れたのだろう、というのは確定だった。
イリスは、追手や暗殺者などの気配に鋭い。戦場で育つと、殺意に敏感にならざるを得なかった。だから、いつ狙われても対処できると考えていた。
だが、それ以外の気配にはかなり鈍感だ。特に、他人が自分から離れる気配には。
イリスの脳裏に、ある出来事が頭をよぎる。
イリスの息子の右手が、水中に吸い込まれる瞬間だった。
――違う、
読めない看板が、ものすごい速度で流れていく。その視界の中で、イリスはエビサンドを並べている店主を見つけた。
「おっさん! 俺の連れ見なかったか!?」
「あ、あの綺麗な兄ちゃん?」
そういや、と店主は言った。
「さっき、港の方へ行ったよ」
「一人でか!?」
「いや? あんたとは別の男が連れていったけど」
知り合いじゃないのかい? と店主が尋ねる。
ぞわり、と背中の産毛が逆立つのと同時に、再びイリスは走り出していた。
見晴らしのいい丘の上から、港の様子が見えた。船が出ようとしている。
――そこに、アオレオーレがいた。
イリスが柵を飛び越える。
落ちたら怪我をするだろう高さから、イリスは迷わず飛び降りた。彼はそのまま、船に着地する。
船が大きく揺れ、バシャン! と波がたった。透明な雫が辺りに散らばる。その水滴越しに、アオレオーレの顔が映る。
アオレオーレは、目を丸くしていた。
「うおいコラ!! 俺から離れるんだったら、一言声かけろや!」
イリスがそう怒鳴った時、アオレオーレのそばにいた男が殴りかかってくる。
イリスは危うげなく、男の拳をかわした。そしてそのまま差し向けられた腕を掴み、投げ飛ばした。
次に別の男が銃を構えていたが、その前にイリスが間を詰め、蹴り飛ばした。柵にあたった男は、その衝動で意識がなくなったのか、ずるずると倒れた。
「猫みたいだな、あなたは」
「おめーに言われたくねーよ」
パンパンと手を鳴らして、で? とイリスがアオレオーレに問い詰める。
「お前、俺に勝手に離れてから誘拐されただろ。なんで動いたんだ」
「……すまない。『誘拐されろ』と言われていたが、そのようなコマンドが必要だと思わなかった」
あなたがすっかり黙ってしまったから、ここからは一人で行動しろ、という意味だと思った。
その言葉を聞いて、へろへろ、とイリスは崩れ落ちた。
「イリス?」
「……いや、すまん。そうだわ。言ってなかったな、俺……」
『誘拐されろ』『手出はするな』イリスの命令を、アオレオーレはしっかり守った。そもそも、最初はアオレオーレの後ろを着いていくつもりだったのだ。それなのに、ただ隣にいるというだけで、一瞬でも目を離してしまった。
自分のミスに、イリスは頭を抱えた。不安げに、アオレオーレが覗き込む。
「……とりあえず、俺は命令をこなしたのだろうか?」
「ああ、そうだ。お前はよくやった」
ところで、とイリスは尋ねる。
「コイツら、お前を誘拐してる間、何か言ってたか?」
「敵側の情報か。確か、『奇跡調査隊から依頼されている』と言っていたな」
「つーことは、コイツら奇跡調査隊じゃなくて、外注か」
イリスは投げ飛ばした男の懐を探る。なにか身元がわかるようなモノがないかと、探し始めた時。
「――イリス、敵だ!!」
アオレオーレが叫ぶ。
丘の上から、敵がイリスの方へ銃口を向けていた。
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