第7話 イリスは文字が読めない
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「……というわけで、だ。お前は、上手く奴らに誘拐されてくれ。その後正当防衛として、俺がボコボコにする。OK?」
「誘拐されろ、と言われても……誘拐される方法なんて、知らない」
困惑するアオレオーレに、「戸惑うとこそっちかよ」とイリスが突っ込む。
「大丈夫だ。やつらは絶対に動く。お前は、あの街の中をだらーっと歩けばいい」
だが、とイリスは付け加えた。
「何があっても、お前は手を出すな」
アオレオーレが目を見開く。
「相手の油断を誘いたい。
もちろんお前の安全が脅かされたら、一発殴るくらいはいい。けど、相手を打ち負かすのは俺の役割だ」
「……わかった」
アオレオーレの返事に、うし、とイリスは頷いた。
「じゃ、俺はこっそりお前を追いかけるから――」
「いや、一つお願いがある」
「なんだ」
「俺は、買い物をしたことがないんだ」
その言葉に、イリスは固まった。
「……そーいやお前、箱入りだったな」
おまけに、1000年前から一般常識が止まっている。
「イリス、あれはなんだ?」
何度目かの質問に、イリスは「ありゃ屋台だっつの」と返す。
「違う。あそこで売ってるもの」
「看板に書いてるだろうが、料理名」
「どんな料理かを聞いてるんだ。名前だけ見てもわからない」
自分より背の高いアオレオーレに肩を揺すられ、イリスはあー、と答えた。
屋台に近づき、屋台の主に話しかける。
「おっさん、これ何入ってんの?」
「エビだよー。美味しいよー」
「だってさ、食べるか」
イリスの言葉に、アオレオーレは目を輝かせた。
支払った後、ベンチになりそうな柵を見つけ、二人は腰掛ける。イリスが腰をかけられる場所は、アオレオーレにとっては窮屈そうだった。
エビサンド――こぼれるぐらいエビを挟んだサンドイッチを、大きな一口で食べる。
「一口がデカい。よく噛めよ」
「ふぁっへふぉんなひひっぱひふぁとへびがほぼれふ」
「食べながら喋るな。喉に詰まらせんぞ」
恐らく、具材の量が多いから、一口で食べないとこぼれてしまうのだろう。イリスもその気持ちがわかった。
アオレオーレは素直に、黙ってエビサンドを食べた。
「イリスは、ひょっとして字が読めないのか?」
汚した口元をハンカチで拭って、アオレオーレが尋ねた。イリスは「おう、よくわかったな」と言う。
「あの屋台の看板には、『エビサンド』と書かれていた。なのに、わざわざ店主に聞いていた」
「あれ、俺を試したのか?」
「いや、サンドイッチにトマトが入っていないかを確かめたくて……」
そこまで言って、ふい、とアオレオーレは顔を背けた。
イリスは最初わからなかったが、やがてハッと気づく。
「お前、トマト嫌いなのが恥ずかしいの?」
「質問に答えてもらおうかイリス」
とてつもない早口で、アオレオーレは返す。
まあいいや、とイリスは思った。
「昔からってわけじゃねえ。ただ、戦争の後遺症でそうなったんだとよ」
「後遺症……脳に損傷を与えられたのか?」
「いや。精神的なものだそうだ」
イリスは下を向いた。
「詳しいことは俺にはわからんが、おかげで字を読もうとしても、右から左に流れちまう。一文字前に読んだことを覚えられない、ってとこか。
書くのも同様だ。何を書こうとしたか、忘れちまうんだ」
「……そう、なのか」
アオレオーレは、そこで黙った。長い沈黙が流れる。
イリスは、重苦しい空気を壊すために、あえて明るい声を出した。
「ま、こんな俺の代わりに、文書を作成してくれたら……って……」
隣を見ると、アオレオーレはいなかった。
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