現実世界の、アンビギュイティ

これは「誰か」から齎された話なのだ。

故に、短編の集合体であり其々の語り手に何ら繋がりはない。


日常の『不可解な出来事』に対して。

「もしかしたら」「或いは」という《曖昧な心当たり》は、誰にでもある。
人は何かにつけ物事に『意味』を持たせたがるが、それは理解可能な範疇に落とし込み 安堵 を得たいが為だろう。

 だが、もし《それ》が複数あったとしたら。しかも 不穏当なモノ も含めて。

題名や紹介文は、一見 ニ擬性 を想わせるが、疑問や嫌疑の アンビギュイティ は指数関数的に膨れ上がる。
「偶々あんな場所に行ったから」「不可解な客が来たから」「犯罪めいた痕跡を見たから」

 結局は、何もなかったのかも知れない。

           だが。


この不確かな現実世界の中で『それ』を否が応でも想像させられるのだ。

そんな話が今後も増えて行くのは、恐ろしくもあり又、とても愉しみでもある。