事実は小説よりも奇なり、と申します。
ここに集められたのは、作者によると、実話とのこと。その内容は……
未遂、と銘打たれているように、はっきりと心霊事件として結末がつくのでなく、かなり変なのだけれど、何が起きたか悩んでしまうもので。
奇なり、と言えば「奇」であることが分かっています。しかし本作に紹介される話は「奇」なのかどうかも分かりません。実に不可解です。
この風合いは小説としては賛否が分かれるところでしょう。明確に納得させてこそ小説というのが一般論です。
実世界の出来事は何が真実だったのか明かされることが珍しいです。それを誠実に文章にすると読者が迷うものになります。事実は小説よりも不可解なり。
小説自身としてはいろいろあるのですが……
読後に、街を歩いたとき、山道に入ったとき、この小説を思い出したならば? だって、有り得るシチュエーションの物語が並んでいるのですから。
あなたの現実がこの小説に侵食されたら、この小説の勝ちです。
これは「誰か」から齎された話なのだ。
故に、短編の集合体であり其々の語り手に何ら繋がりはない。
日常の『不可解な出来事』に対して。
「もしかしたら」「或いは」という《曖昧な心当たり》は、誰にでもある。
人は何かにつけ物事に『意味』を持たせたがるが、それは理解可能な範疇に落とし込み 安堵 を得たいが為だろう。
だが、もし《それ》が複数あったとしたら。しかも 不穏当なモノ も含めて。
題名や紹介文は、一見 ニ擬性 を想わせるが、疑問や嫌疑の アンビギュイティ は指数関数的に膨れ上がる。
「偶々あんな場所に行ったから」「不可解な客が来たから」「犯罪めいた痕跡を見たから」
結局は、何もなかったのかも知れない。
だが。
この不確かな現実世界の中で『それ』を否が応でも想像させられるのだ。
そんな話が今後も増えて行くのは、恐ろしくもあり又、とても愉しみでもある。