第2話 はじまり

 私、沢井さわい穂乃ほのが真城杜兄弟に出会ったのは、入学式のこと。


「新入生代表挨拶。一年一組、真城杜律希!」


「はい」


 まだ肌寒い四月の講堂。真新しい制服に身を包み、期待と不安で体を強張らせた新一年生の群れをくぐり抜け、堂々と壇上に上がったのは背の高い男子生徒。

 切れ長の目に銀縁眼鏡、サラサラの前髪をセンター分けにした彼は、怜悧という言葉がぴったりな印象だった。シワ一つないブレザーに第一ボタンまで留めたワイシャツ、ウィンザーノットで結んだネクタイの真城杜律希君は、原稿用紙も見ずに落ち着いた声で完璧なスピーチをした。

 後で知ったけど、新入生代表挨拶は入試で一番だった生徒が務めるのが慣例だとか。

 そして、式が終わって教室に移動してきた私は、もう一人の真城杜君を知った。


「……真城杜奏斗」


 名簿の順番で始まった自己紹介。担任に「名前と抱負を」と言われたのに、立ち上がりもせずそれだけ吐き捨てた彼。サラサラであろう髪をワックスで無造作に遊ばせ、ブレザーのボタンは留めず、ワイシャツも第三ボタンまではだけている。ネクタイに至っては最初から結んでいない。……真城杜奏斗君は、お兄さんとは別の意味でクラスに強烈なインパクトを与えた。

 五十音順なので真後ろの席だった律希君が、「こら」と弟を窘めてから丁寧な自己紹介を始める。

 真面目で優等生の兄・律希と、無気力でだらしない弟・奏斗。

 真城杜兄弟のイメージは、入学初日にしてクラスメイト……いや、学校全体に広がって固まったと思う。

 簡単なオリエンテーションが終わり終業になると、奏斗君は真っ先に教室を出ていった。残された律希君の席には人だかり。本当に絵に描いたように真逆な印象の二人だ。

 私は足りない学用品を買い足す予定があったので、その日は新しい同級生達と交友を深めることなく早めに帰った。


 そして次の日の朝。

 教室に入った私は不思議な光景を目撃する。

 窓際の列の前から四番目の席に、奏斗君が座って文庫本を読んでいたのだ。あの席は律希君の場所なのに。


「ねえ。あの席に座ってるのって……」


 まだ人も疎らな教室で自分の近くの席の女子に声を潜めて訊いてみると、


「真城杜君だよ。昨日の代表挨拶格好良かったよね!」


 同じクラスで嬉しいなと笑顔で語られて、私は混乱する。

 確かに律希君の席に座っている彼は、サラサラのセンター分けで銀縁眼鏡掛けてて首元が苦しいくらいピシッとネクタイしてるけど……。

 あの人は昨日壇上でスピーチした彼とは違う。だらしなくワイシャツをはだけさせていた君の方だ。ただ兄と同じ身なりをしているだけ。

 呆然と見つめる私の視線に気づいたのか、律希君の格好をした奏斗君が顔を上げる。


「ええと、沢井さんだよね。おはよう」


「……おはようございます、真城杜君」


 入学二日目にして同級生モブの名前を覚えてるなんて偉いな。でも、


 ……いきなりのイメチェンですか?


 内心首を捻りながら、私は椅子に腰を落とした。

 それからすぐに次々とクラスメイトが登校してきて、あっという間に机が埋まる。


「はーい、みんなホームルーム始めるわよー!」


 始業のチャイムが鳴って担任の大野先生が出欠を取り始めた頃、


「あぶねぇ、セーフ!」


 勢いよくドアを開けて教室に飛び込んできたのは、昨日と同じように制服を着崩した奏斗君……の格好をした律希君だった。


「セーフじゃないわ、完全アウトよ!」


 呆れた声を出す大野先生の前を、憮然とした顔の律希君が通り過ぎ、窓際の前から三番目の席に座った。


「真城杜奏斗君、入学二日目だから今日は大目に見るけど、明日からは予鈴には席に着いておくこと!」


「へいへい」


「返事は『はい』だろ、奏斗」


 面倒臭そうに背もたれに寄りかかる彼を、後ろの兄弟が身を乗り出して注意する。そのやり取りに、クラスがクスクス笑いに湧く。


「ほーんと、正反対だよな。律希と奏斗は」


「双子には思えないよねー」


 周りの囁きを聞きながら、不可解な思いが頭をぐるぐる回る。

 何? 何なの? ドッキリ? どっかでカメラ回ってる? クラス全員で私を嵌めてるの?

 何故、みんな律希君を奏斗君と呼んでいるの? 奏斗君が律希君って?

 私の目に映る彼らは、昨日と逆なのに。

 なんでみんな普通に過ごしているの? 昨日、私が帰った後に、みんなでドッキリの相談でもしたの?

 でも、私を悪戯のターゲットにしても誰も得しないし。


 ……私だけ異世界に迷い込んじゃったの?


 入学二日目。まだ自分の立ち位置も確立できず、極力目立ちたくない私はこの珍妙な状況にツッコミを入れられず、膝の上で拳を握って口を噤むことしかできなかった。


 そして……その日、いくら待っても誰もネタバラシをしてくれることはなかった。

 

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