第7話 運命の日(2)

「では、今日はこれでおしまい。みんな気をつけて帰ってね!」


 大野先生の締めの挨拶で帰りのホームルームが終わる。

 今週、私は掃除当番なので教室の床を手早く箒で掃く。ワックスがけとか大掛かりな掃除は長期休みの時に業者が入るから、日々の清掃は簡単な作業だけだ。ものの十五分ほどで掃除が終わり、当番の班は解散する。


「私、最後に施錠確認しとくね」


「おー、沢井サンキュー! おつかれ」


 掃除仲間を見送って、窓の鍵が閉まっているかを一箇所ずつ確認していく。校庭に面した教室の窓の鍵は全部で四つ。

 西側の窓からは眩しい夕日が差し込み、教室を金色に染めている。ガラスの向こうからは野球部の練習の声が微かに響いている。

 穏やかな黄昏時。

 私が解けていたカーテンをタッセルで束ねていると、


「沢井さん」


 不意に名前を呼ばれて振り返る。そこには――


「真城杜君」


 ――クラスメイトが立っていた。黄昏の光に輪郭を朧げにした彼は眼鏡を掛けていて……自称『律希君』の方だと知る。


「掃除終わった? 一緒に帰ろうよ」


 学年一の優等生に笑顔で誘われる。本来ならば喜ぶところだろうけど……。

 私の警戒心は一瞬にして限界値を突破する。

 怪しい、怪しすぎる!!

 同じクラスという接点しかないモブキャラに急に主人公キャラが近づいてくるなんて、罠があるにちがいない。

 私は彼と向き合ったまま、極力平静を装いじりじりと移動する。


「今日は用事があるから」


「それなら校門まででも」


「えっと……この後、職員室に寄らなきゃだし」


「待ってるよ」


 うぅ、しつこいなぁ。

 私はカニのように横歩きして自分の席まで行くと、


「ごめん、急ぐから!」


 カバンを引っ掴んで逃げ出した!

 しかし、


「よお、沢井」


 廊下には奏斗君伏兵がいた!


「くっ」


 教室に戻ろうと振り向くと、すぐ後ろには律希君。完全に挟み撃ちにされた。


「どうしたの? 沢井さん。そんなに慌てて」


「どうしたんだ、沢井。顔色悪いぞ?」


 前後から同じ声で同じ背格好の彼らが言う。

 どうしよう? どうしよう? どうしよう?

 脳が麻痺して思考が止まりそうになる。私は大きく息を吸って、


「……なんともないよ」


 吐くと同時ににっこり微笑んでみせた。

 よく考えたら、私が脅える必要はないんだよね。だって私の入れ替わり妄想を真城杜君達は知らない筈だし。逆に取り乱した方が怪しまれる。

 ここは冷静に、相手を煙に巻く。

 大丈夫、上手くいく。そうやって今まで生きてきたんだから。


「そんなとこに突っ立ってないで、通してくれる? 私、急いでるんだけど」


 怯まず堂々と落ち着いて。ごく普通の同級生の会話のように。

 背の高い彼らは、余裕な態度の私の頭越しにアイコンタクトする。それから『奏斗君』の方が一つ頷いて、少しだけ腰を折って私と目を合わせた。


「驚いた。本当だったんだね」


 『奏斗君』の唇から紡がれたのは、柔らかな『律希君』の口調。


「沢井さん、僕達を見分けてるよね?」


 その台詞を聞いた私の返事は――


「ネタバラシ遅くない?」


 ――だった。

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