第4話 発端

「沢井」


 肌寒さに夏服にカーディガンを羽織った梅雨の放課後。掃除当番でゴミを集積場まで捨てに行った帰りの廊下で、私は数学の村田先生に呼び止められた。


「これ、真城杜弟に再提出だって渡しておいてくれ」


 突き出されたのは、昨日の授業で回収された課題ノート。どうやら演習問題を解いてなかったらしい。


「はい、分かりました」


 面倒な気持ちをおくびにも出さず、従順に引き受ける。どうせ教室に戻るのだし、奏斗君がもう帰宅していたら付箋メモでも貼って机に置いておけばいい。

 足元に溜まったひんやりと湿った空気を振り払うように進んでいく。雨は嫌いじゃないけど、長く続くと気が滅入ってくるよね。

 廊下の角を曲がると一年一組の教室が見えてくる。ドアを開けようとした、瞬間。


「きゃ!」


「わっ!」


 急に反対側からドアが開き、私と内側の人は同時に声を上げた。


「ああ、驚いた。ごめんね、沢井さん。どこかぶつけなかった?」


「平気。かすってもいないよ」


 中から現れたのは眼鏡の真城杜君で、気遣わしげに見下ろしてくる彼に私は愛想笑いを返した。『律希』の時はどっちでも紳士的なんだよね。

 でも、ここで会えたのはラッキーだ。


「真城杜君、これ、村田先生から。再提出だって」


 私が差し出した数学のノートを彼は受け取る。それから表紙に乱暴に書かれた【真城杜奏斗】の文字を見て白い歯を零した。


「まったく、あいつはしょうがないな。分かった。奏斗に渡しておく」


 それを聞いた私は、思わず――


「あれ? 昨日、そのノートを提出したのは君じゃ……」


 ――言いかけて、ハッと口をつぐむ。ヤバい、油断した!!

 慌てて見上げると、驚愕に目を見開いた『彼』が私を凝視している。


「沢井さん、昨日って……」


「わ、わー! 大変、早く帰らなきゃ!」


 私は真城杜君を押しのけて教室に入って通学バッグを取ると、彼のいるドアの反対から飛び出して生徒玄関へ猛ダッシュした。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 追いかけてくる気配はないけど、怖くて振り向けない。

 ……どうしよう。バレたらどうしよう?

 私が『昨日の奏斗君』が『今日の律希君』だと思ってるって……彼らが入れ替わってるって妄想に取り憑かれてるってバレたらどうしよう!?

 絶対変な奴だと思われる。

 あんな目立つ人を敵に回したら、私の高校生活は終わる。

 これからは、地味に平穏に暮らしていこうと決めていたのに……!

 家についた私は、速攻布団を被って丸くなった。


「大丈夫、大丈夫。きっと真城杜君は気にしてない。私の発言なんて気にしない」


 呪文のように繰り返し、暗黒に沈んでいく自分をひたすら励まして引っ張り上げて眠りに着いたけど……。

 翌日の放課後、私に絶体絶命のピンチが訪れる。


「沢井さん、僕達を見分けてるよね?」

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