ヘデラと勇者
苦悶のうちに絶命した魂がどうなるか、知っているか?
「物語を聴かせて」
領主ニバリス・ガランサスの一人娘、スノウドロップ・ガランサスは、年上の少年アイヴィにお話をせがんでいた。
「アイヴィ。一つお話してくれたら、夢の中よ」
子どもたちが仲良くしている様子を見て、ニバリスは書斎へ戻る。王宮からの使者、親善大使として寄越された王族の末弟は、未来の婿養子。ガランサス地方を治めるニバリスにとって、王宮との縁故を
「スノウ」
右手にはランタンを、左手は少女に差し伸べて、載せられた手を握る。
「アイヴィ」
名を呼ばれた。
夜のガランサス城。
しんと静まり返った廊下には、軽い足音が二つ。高い天井にも夜は居て、小さな足音は掻き消える。
「明日は私がお話してあげる」
ここ最近の僕たちの流行り。語り手を交代して、物語を愉しむ。一日の終わりに、二人ですること。スノウは、ずっとガランサス城に居る割には、色々なお話を持っている。
「それは……お城にある、秘密の通路と階段のお話?」
僕も日々、お話を集めている。
「アイヴィは探検のお話が好きね!」
「秘密は誰でも好きさ」
「そうかしら」
薄闇の長い廊下と、夜が入り込んだ高い天井も、スノウとなら、ただ楽しいだけ。
「スノウが今気になっている秘密は、ニバリス様の侍女だろう?」
「それは私じゃなくて、お母様が気になっているお話ね」
「そうでしたか」
「そうでしてよ」
こんな子どもの話に聞き耳を立てる者は居ない。でも僕たちは、大人を気取ってヒソヒソ囁き合う。
「もう寝た?」
「寝たわよ」
スノウが、僕の物語で眠りに落ちることはほとんどない。僕は靴を脱ぎ捨てて、スノウのベッドへ飛び込む。
「スノウがお話してよ」
「アイヴィの枕を取って来たらね」
「取って来る!」
僕はもう一度、靴を履く。
「アイヴィが戻るまでに考えてる」
「そうしてて…………待って」
「なぁに?」
僕はスノウに、お気に入りをおねだりすることにした。
「今宵はヘデラの物語を」
スノウは笑った。
「何度も話したわ」
「長い物語の少しだけね」
僕は扉を閉める前に、スノウに言った。
「僕が戻るまで歌ってて。一人で行くのは怖いから」
「いいわよ」
歌声を連れて、廊下を行く。
スノウが歌ってる。城の子どもたちが歌うのと、同じところ。僕も口ずさみながら廊下を走る。
♪風になって戻ろう
水に流れいこう
黒い森を越えて
緑深き城へ
♪どうか見つけて
私の名前を
連れて帰って
緑深き城へ
♫ヘデラになって
城をまもるよ
ヘデラになって
あなたと居るよ
♪どうぞ王様
とこしえに
どうぞ姫様
緑の騎士と
「ヘデラが何か、知りたい?」
ガランサス城へ初めて来た時、僕はまるで、可哀相な子どもだった。
「ヘデラ……って、何?」
王宮で存在感の薄かった僕は、ガランサス城へ親善大使として無期限に放り出され、辺境先でも
スノウは僕がなんとなく覚えてしまった歌を聴いていたらしい。気まずい。
「ねぇ、ちょっと、あなた。来て」
「??」
「あなたよ」
「…………アイヴィだ」
「しーーーー!」
知っているわよと言わんばかりに、コッソリを強要され、手招きされる。何なんだ、いったい……
「あなたはアイヴィ」
「そうだよ」
スノウは勝手知ったるガランサス城の廊下を足早に歩き、僕の知らない部屋の、僕が知らない扉を開けて、使用人が使うような狭苦しい通路へ来た。
「何ここ? 入って怒られない?」
「もし見つかったら、スノウドロップに連れて来られたって言いなさい」
年下の少女に上からな物言いをされて、カチンと来る。
「…………」
どんな嫌味な返しをしようか考えたのに、何も浮かんでこない。
「怖い? 手を繋いであげる」
差し出された手に、僕は手を置いてみる。
「こっちよ」
スノウは僕の手を引いた。スノウと僕が行ったのは、装飾のない物置き部屋。奥には
「秘密の話をするには、良い場所でしょう? 来て」
「蜘蛛や鼠が盗み聞きするんじゃない?」
「人間の言葉を喋らないものなら構わないわ」
スノウはそう言って、スルスル身軽に梯子を登っていく。スノウのスカート、レースの裾がヒラヒラ揺れて見える。スノウの脚を掴んでみたい。(そんなことはしないけど)
「アイヴィ」
「はいはい」
梯子の上には、小さな居場所。狭くて暗い。いちばん奥から光が少しだけ差して見える。壁が外に面している部屋なのかもしれない。
「さ、ここなら何でも話せるわよ」
「スノウドロップ嬢、僕は」
「スノウ」
スノウドロップ・ガランサスと話すのは、あの時以来だ。つまり僕が、王宮から放り出されて、領主ニバリス様の面前で挨拶した時。すましたご令嬢に城を案内された時。それくらい。
「……スノウ。どうして僕をここへ?」
「私、あなたと結婚するみたいよ」
「ふぅん」
政略結婚か……そんなことだろうとは思っていた。考えないようにはしていたけど、僕はコマにされたんだ。解るさ、それくらい。
「あなたにずっと話しかける機会を伺っていたの」
「アイヴィ」
あなたなんて、やめてくれ。
「……アイヴィ」
「残念ながら、僕は物語の王子様じゃない。辺境に飛ばされた末っ子で……いちばん上の兄様は王子様かもしれないけど……でも、僕は、この身一つだけ」
言ってて自分で
「私は辺境の子ども……領主の一人娘よ? ふふっ」
「これはこれは失礼を、スノウ姫」
辺境呼ばわりしてしまったのに、スノウは笑ってくれた。
「やっと笑顔を見たわ、アイヴィ」
「僕と話してみたかった? スノウ」
「えぇ。勿論」
スノウは笑ってる。僕も笑ってる。
僕は良いコマだよ、お父様。辺境の姫君と友好関係を築けそうなんだから。
「♪風になって戻ろう
水に流れいーこう
黒い森を越ーえて
緑深き城へ♪」
歌いながら廊下を駆けている。スノウの歌声が僕の耳に届いている。真夜中の城も怖くない。
「スノウ!」
僕はスノウのベッドに枕を置いて、スノウの横に倒れ込む。
「さぁ、始めて。今宵は二幕。僕は観客だよ」
「寝る気ないわね? アイヴィ」
「そんなことない」
僕はスノウと頭まで毛布を被った。
「僕にだけ聞こえる声で」
「いいわよ、アイヴィ。あなたを夢の中へ、連れて行ってあげる」
スノウはヘデラの物語を、お話を始めてくれた。
ヘデラは、お城の蔦よ。常緑の葉と
ヘデラは、お城に住んでいて……ヘデラは、お城に現れて……ヘデラは、お城の子どもたちが大好きで……ヘデラは、とりわけ王妃様がいちばん大好きなの。
「ヘデラ」
王妃様はヘデラを呼びました。
「焼き菓子とお茶よ。これはあなたの分」
「…………クッキー」
王妃様のクッキーには宝石が
「母上、いらっしゃいますか?」
王妃様の部屋を訪ねた王子様は、誰も居ない部屋の、開いている窓を閉めました。窓辺の席に置かれた空のカップはまだあたたかいまま。
「ヘデラ」
王子様は呼びかけます。
「どうして最近は、出てきてくれないんだい?」
「だって君はもう」
か細い声が聞こえました。
「うん」
王子様は応えて、続きを待ちます。
「僕はもう?」
「もう大人さ」
「大人になったら会えないの?」
「そういうものだよ」
声だけの相手と喋るのは、不思議な気分です。
「きっと本当の君は、毛むくじゃらで、金と紫の瞳で、口の中に鋭い牙を隠し持っているのだろう?」
「そんな化け物じゃない!」
ヘデラは王子様の前に出て来て言いました。
「…………ひどいよ、アイヴァーン」
少し長いだけの黒い髪、緑色の瞳、唇が隠している歯は白く、鋭い牙なんてありません。
「姿の見えない友だちは寂しいよ、ヘデラ」
王子様は
「僕もおやつが欲しかったな」
「王妃様が君の分を用意しない訳ないだろう? アイヴィ」
「僕と同じ名前だ!!」
「そうよ。王子様はアイヴィなの」
僕はお話を中断してしまったけど、直ぐ様スノウに続きをねだった。僕は寝物語どころか、スノウのお話に夢中になって、夜中なのに今度はスノウといっしょにベッドを抜け出した。
「こんな時間におやつが欲しい人なんて居ないんだからね」
「ここに居るよ」
「甘いお茶を一杯、半分こしたら寝ましょう」
「…………うん」
僕よりお話の旨いスノウと、ずっといっしょに起きていたい。スノウと、いつまでも居られたらいいのに。
「勇者のお話をまだカケラしか聴いていない」
僕はゴチた。スノウに聞こえるように。
「今度は怖くて眠れなくなるんだから」
そんなの、聴きたいに決まってる。
「寝よう、スノウ」
そうしたら朝が来る。昼になれば、再び夜がやって来る。
「次はアイヴィの番よ?」
「僕のお話なんて、聴きたいの?」
「当然。なぁに? その顔。私は私のお話を知っているから、あなたが知っている、私の知らないお話が聴きたいの」
そうか。そうなんだ。僕の下手くそなお話でも、スノウには……スノウが知らないお話なんだ。
それでもやっぱり……僕は、まだスノウから一文しか聴いていない、物語のカケラが気になっていた。
【終】
【短編小説】 連休 @ho1idays
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