D 09
窓の外はすっかり知らない景色になっている。
サーモンピンクの大きな屋根の家が見える。
テラコッタタイルが敷かれた庭。
丸く剪定された低木。
そんな物が、近づいたかと思うと、すぐに過ぎ去っていく。
立ったままの私に、遥が言った。
「結妃のお父さん、駅員さんだったんだ」
それには応えず、遥と翔くんに向かって尋ねる。
「さっき駅にいたのが、二人のお父さんだったらさ、どうなってたと思う?」
「怒られると思う。もしくは呆れられる」
「僕の親も多分怒ります。あと、何でここにいるの、って、聞くでしょうね」
「そうだよね」
私も、父さんは怒ると思っていた。怒られると思っていた。
父さんは、最寄り駅で駅員として働いている。
つまり、私が学校に行くのを毎朝見送ることができる。
まあ、見送られたことは今まで一度も無いし、見送ってほしいと思った事も無い。
今朝の私を、見ていたのだろうか。
私と会っても車掌さんと会っても、父さんはそれほど驚いていなかった。
むしろ驚いていたのは車掌さんの方だったように思う。
「やっぱり、私の親って無関心なのかな」
少しの沈黙の後、翔くんがおもむろに口を開いた。
「無関心っていうよりは、僕からすると、大人扱いに見えます。僕の親が子供扱いしすぎなだけかもしれないですけど」
大人扱い。
考えたことも無かった。
大人扱いしてくれているからこそ、私に介入しようとしない。
判断も、行動も、私に委ねている。
そう思うと確かに、納得はできた。
思えば、親との関係がドライになったのは、意外に最近なのかもしれない。
そしてそれはドライなのでは無く、大人同士の関係性だったのかもしれない。
そう思えばそう思えてくる。
でも私は、ずっと前からお互いドライで無関心だったとばかり思っていた。
そう思い込もうとすれば、やっぱり思い込めてしまう。
父さんの言葉を頭の中で反芻する。
別に乗りたかったわけじゃないからな。
何で私は乗ったんだろう。
私も別に、この機関車に乗りたかったわけじゃ無い。
車掌さんが乗ることを勧めてきたからだろうか。
それが全ての始まりだとは思えない自分がいる。
駅で父さんにした質問を、車掌さんにもぶつけてみた。
「この機関車、何なんですか?」
車掌さんはゆっくりと話しはじめた。
「私も、噂で聞いたことがあるだけ、でした」
いつもの穏やかな調子というより、口から言葉が出てくるのをじっと待っているような感じだった。
「私が初めて乗ったとき、この機関車は今よりずっと低速でした。乗客の不安や焦りを吸い取って、エネルギーにしているわけですから、私一人が乗っただけでは動かせなかったんです。だから、専務車掌のようなふりをして、乗車を呼びかけてしまいました」
質問に答えている、というより、懺悔しているようだった。
「乗車されたお客様が、リラックスしているように見えて。何と言えば良いのか、苦しんでいる人を自分の手で救えたような気がして。恥ずかしながら、調子に乗っていました」
自然と、車掌さんをフォローするような言葉になる。
「悪いことをしてたわけじゃないと、私は、思いますけど」
けど。
少なくとも私にはもう、慰める必要も、手を差し伸べる必要も無くなった。
それも伝えてしまいたかった。
「清水さんは、お父様は、全てご存じだったのかもしれませんね」
全て知っていたのかもしれない。
その上での大人扱いだったのかもしれない。
逆に何一つ知らなかったのかもしれない。
だからこその無関心だったのかもしれない
それは分からない。
でも、父さんの思考回路なんて、私が知る必要は無い。
そう思い込むことにしよう。
そして、それとは別の考えが、私の頭の中で形づくられ始めていた。
機関車って、バックできるんですか?
これからの予定は決まってるんですか?
色んな言い方が頭をよぎる。
その考えが、なるべく確かな形になるような言葉を発した。
「私、帰ります」
「そうですか。分かりました」
車掌さんは察していたようだった。
「どうやったら、帰れるんですかね」
「大抵の列車は逆機で、バック走行で走ることができます。この機関車も例外ではないはずです」
遥と翔くんの方に向き直る。
やりとりは全て聞こえていただろう。
でも、改めて、自分に言い聞かせるように話しかけた。
「私は帰ろうと思うんだけど、二人は、どう?」
遥は鞄を膝から下ろした。
「私は満足した。窓ぜんぶ開けられたから」
私の目を見つめながら翔くんが言った。
「不思議な駅に行けたので、僕も満足です」
列車はすっかり速度を落としている。
窓から、次の駅が見えかけた。
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