D 07
機関車は、どんどん速度を上げている。
私達の話も意外に弾んでいた。
翔くんは、少し離れた街の私立中学に通う二年生らしい。
初対面の人と話すのは私も遥も苦手だったが、翔くんも同類意識のようなものを感じ取ったのだろう。
端から見れば、見るにたえないコミュニケーションかもしれないが、私達としてはとても話しやすかった。
翔くんが少し言いにくそうに切り出す。
「中学と高校だったら、どっちが、嫌ですか」
どちらかが嫌である前提の質問をしてきた。
間違った前提ではないんだけど。
遥が窓の外を見たまま言う。
「どっちも嫌かな」
翔くんは何も言わず、私の方にさりげなく視線を向けてくる。
「嫌っていうか、どうだろう」
こんな前置きを口走ってしまった。
嫌だ、とも口に出せないのか、私は。
まだ学校が嫌だ、と発言することに抵抗があるのか、私は。
嫌じゃないなら何で今ここにいるんだ。
中途半端な言動が過ぎるんじゃないか。
結局、遥の言葉をなぞるような形になる。
「まあ、どっちも変わんないかな」
「そうですよね。僕のとこ中高一貫なんです、だから」
「なおさら変わらなそうだね」
「変わったとしても、良いことが増えるかっていったら、そうじゃないですよね。何でもエンジョイできるタイプの人は良いんでしょうけど」
達観しているような口調だったが、そこには少し不愉快そうな響きが、確かに含まれていた。
「何でもエンジョイできる人って凄いよね。イベントなら何でも楽しめるんだろうね」
「何でも楽しめる人って、嫌なこともひっくるめてエンジョイしてますよね。苦しみは楽しみを倍増させるためのもだって思ってるんでしょうね」
苦しみは楽しみを倍増させるもの。
私で考えると、学校は、学校に行かない休日を楽しく感じるために行っている、ということだろうか。
苦しいとき、これを乗り越えれば楽しいことがもっと楽しく感じられるようになる。
その考えは理解できる。
でも私の場合、学校に行く事を考えると、休日も辛くなる。休日も、学校のことが頭から離れなくなってしまうのだ。
「それだとさ、楽しいことも苦しいことでかき消されちゃうんじゃない?」
翔くんは大きく頷いた。
「ああいう人たちって、苦しみ度外視で、楽しみしか見てないんでしょうね」
私の思考回路が特殊なのでは無く、これも自然な考え方なんだろう。
でも私は、それとは別のことが気になりはじめていた。
何でも楽しめる人。
ああいう人たち。
翔くんが言うそれらの言葉には、ある種の軽蔑が込められているように聞こえる。
自分はそういう人たちとは違う、と言っているように聞こえる。
あたかも自分は楽しみと苦しみを対等に扱っているかのように話しているのだ。
本当にそうだろうか。
翔くんは結局、苦しみと向き合っているようでいて、逃げているのではないか。
苦しみ度外視どころか、楽しみに目を向けることすらしていないのかもしれない。
楽しんでいるのでも苦しんでいるのでもない。
何を思っているんだろう。
こんなことを考えている間も、翔くんの鬱憤は止まらない。
「学校行事って何で楽しむことを強制させられるんでしょうね」
文句ばかり言うのは良くないと思いながらも、それには私も少し共感してしまった。
「全力で楽しもう、みたいなヤツね」
「それです、楽しくないもんは楽しくないんですけどね」
「あと、自分は楽しいのに、他の人はあんまり楽しくなさそうな時あるよね」
「そういう人は自分だけが楽しいときでも思いっきり楽しめるんでしょうね。自分だけ楽しくても他の皆シラケてたら、ふつう気まずくなりません?」
本気で愚痴を言っている。
愚痴を言うこと自体に本気になっているように見える。
私は翔くんに調子を合わせ続ける。
「やっぱりそういう人っているんだね。私立でも公立でも、変わんないんだね」
「私立って言っても、生徒のレベル高いわけじゃなくて」
私立と公立を偏見で比べる人を今まで散々見てきたんだろう。
うんざりした様子で続けた。
「親が私立に入れたがるんです。親の自己満足です。正直、性格悪い親が多いんですよね。まぁそんな親から生まれてる僕も、もれなく性格悪いんですけど」
不意に自虐をされると反応に困る。
別に私の反応を求めてるわけじゃないんだろうけど。
「親も先生も一方的に期待かけてくるばっかりです。無意識なんでしょうね。期待かけてるっていう自覚がないんです。プレッシャーかけてる、押さえ込んでるっていう意識が」
「分かるかも。私の親も自分の言動は当たり前、って思ってると思う」
「だから、僕を理解しようとしない人は、そういう人からの期待は、もう裏切ろうと思って」
翔くんが、どんな人たちにどんな期待をかけられてきたのかは分からない。
でも、翔くんは大人達からの期待がプレッシャーで、それに耐えられず嘆いていると思っていた。
話を聞いている限り、少し違う。
期待してくる人を突っぱねて、自分を理解することを求めている。
わがまま、と言う言葉が浮かんできてしまった。
様々なことを考えてはいるが、その上で、翔くんはわがままなのだ。
わがままだという自覚も、きっと心のどこかにあるんだろう。
でも、自分は性格が悪いんだと自称してそれを誤魔化しているんじゃないか。
黙り込んでいた遥が口を開いた。
「この場にいない人の悪口で盛り上がる感じ、嫌い」
鋭い一言だった。
翔くんも流石に文句を垂れ過ぎたと思ったようで、うつむきがちに謝罪した。
「ごめんなさい、グダグダ言い過ぎました」
まあ、もっとグダグダ言いまくる人もいっぱいいるけど。
遥は車窓を眺めたまま続ける。
「結局、変わんないと思う。他人が自分をどう思うかとか、変えられないし。変わったらそれで満足かって言ったら、そういう話じゃないし。変える意味ないと思う。私なら、どうでも良いって思う」
そうだ。
遥からすればどうでも良いんだ。
誰から期待され、そして失望されても、気にしない。
そして、他の楽しいことに目を向ける。
遥の生き方そのもののような気がした。
翔くんはそれができない。
誰かの期待も失望も、翔くんには引っかかってしまう。気にしない、ということができない。
期待と失望から自分を解放してくれる別の誰かを待っている。
解放してくれ、と叫ぶこともせず、自分で解き放とうともしない。
苦しむことになるからだ。
楽しもうとすれば、苦しみも付いてくる。苦しんでまで楽しみたくはない。
結局苦しみから逃げているだけ、楽な環境に身を置いているだけなんじゃないか。
私はどうなんだろう。
窓の外には、サッカーゴールのある原っぱが広がっている。
どの辺りまで来たのか、高い建物は遠くの方にかすかに見えるだけになっていた。
機関車は、減速し出している。
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