D 08

機関車は速度を落とし、停車する態勢に入っている。


がたん、がたん、という音が、若干だが響く。

少しくぐもっているような、反響しているような音に聞こえる。




列車から降りると、その音の響きの正体が分かった。


そこは、天井高十メートルはあろうかという三角屋根の駅だった。

屋根には天窓が取り付けられており、優しく外の光が入ってくる。

高い屋根から降りてきている案内標識も、電光掲示板も、この駅には余計な物のように感じた。




遥は、列車を降りて右側の壁を眺めていた。


壁の一番高い所にあるのは、大きなステンドグラスだった。

鮮やかな青色のローブを羽織って、帽子のようなものをかぶった人が描かれている。

ガラスを通った光が線路上に落ち、色鮮やかなスポットライトになる。




「こんなに天井高い駅、初めて見ますね」

翔くんの声がふんわりと反響する。


声のトーンを落として応える。

「確かに、屋根って言うより天井だね」



今立っているホームと、停まっている機関車の向こうにもホームがある。

四方向が壁で囲まれて、外の景色が見られるのは列車が出入りできるようになっている二カ所だけだ。

線路に合わせて駅を造ったと言うより、建物の中を無理やり列車が通り抜けられる形にしたようだ。

一つの大きな部屋に二つのホームが収まっている、そんな構造をしている。



遥はステンドグラスの前で立ち尽くしている。

車掌さんも機関車の周りをうろついている。


左の方を向くと下り階段があった。

こっち側の壁にはステンドグラスが無く、いっそう薄暗い。


階段には照明が設置されてはいるようだが、ほぼ意味を成していないと言って良い。


「下りてみる?」


冗談半分で聞いたつもりだったが、翔くんは意外と乗り気そうに答えた。


「そうですね。下りてみましょうよ」






ほの暗い階段に、足音がしっとりと響き渡る。


暗いせいで距離感がつかみにくいが、駅の階段にしてはだいぶ長い方だ。


階段の先に、温かい色の明かりが灯っている。

下っていくと、徐々に空間全体が見えてきた。





嘘のような光景だった。



荘厳な雰囲気の黒褐色の壁。

アーチ型の天井から、複雑な形の照明器具が吊り下がっている。

そして正面には、大きなパイプオルガンがあった。


路線の案内表示も一応はあるようだが、マホガニー色のデザインが、空間に溶け込んでいる。

そこは駅とはとても思えなかった。



階段沿いの壁際に、駅員の制服を着た人がいる。

ここは駅なんだから駅員がいるのは当たり前、と言うように平然と立っていた。


私達に気付くと、ゆっくりとこっちに歩きはじめる。




「結妃」


その人が口にしたのは、私の名前だった。

名前を知っているのは当然、というような声色だった。


でも、その人に名前で呼ばれたのは、ずいぶん久しぶりな気がした。


翔くんが上目遣いでこっちを見る。

「知り合いなんですか?」


「うん。私の父さん」



私は疑問をそのまま口にした。


「何でここにいるの?」


そっくりそのまま自分に返ってきそうな質問だ。

でも、父さんに何と思われようと、もうどうでも良かった。

誰にどういう評価を下されようと、私が学校に行かずに得体の知れない電車に乗って放浪しているのは事実なのだ。


父さんが放ったのは意外な一言だった。


「機関車、今停まってるのか?」


「え、うん。上に停まってる」


「じゃあ俺、上がるから」




私は父さんの後ろにつき、下りてきた階段をまた上ることにした。


もう少しだけこのホールにいたい、という思いもあった。

でも、父さんがいたという事実で、この場所の神秘的な雰囲気がすでに半減しているような気もした。

我ながらひどい言い方だが、未知の場所が、身内がいた場所だと知ると、やはり格が下がるように感じる。


翔くんの目にも、少し名残惜しいそうな色が浮かんだが、私と父さんに付いてきてくれた。



薄暗い階段を一段ずつ上がっていく。

階段のど真ん中を上っていく父さんを見ながら考えを巡らせる。


どこまで知ってるんだろう。

あの機関車のこと。

まさか、私が機関車に乗った経緯まで知っているのだろうか。





薄暗い階段を上り切り、ホームに出る。



「お、これか」


父さんのの声が駅全体に響いた。

遥と車掌さんが同時にこっちを振り向く。


「声おっきい」


そう注意したが、よく考えればそれほど大きな声ではなかったかもしれない。



振り向いた車掌さんは、驚いたような、そして少し怖じ気づいたような表情だった。


清水しみずさん」

車掌さんは父さんの、つまりは私のでもある名字を口にした。

父さんは相変わらず平然とした口調で言った。

「よう葛西かさい


どうやら知り合いらしいが、男子高校生のようなからみ方だ。

でも、以前から車掌さんにかけていたぼんやりとした疑いは、これで少しはれた。

父さんの知り合いということは鉄道関係者ではあるんだろう。


車掌さんの隣に立つと、父さんの顔の平凡さが際立つ気がする。





「この機関車、何なの?」


車掌さんに聞けばいいものを、父さんに質問してしまった。


「俺もよく知らない」


「よく知らなくて良いから教えて」

「乗ったことある人の方が知ってるだろ、絶対」

「じゃ乗ったこと無いの?」

「無いよ。見たことも無い」

またもや、そりゃ当然だろ、という言い方をする。


「話に聞いたことあるぐらい。不安感を燃料にして走る。煙を出さず、汚れ一つ無い機関車がどこからともなく、って」

そう言いながら父さんは客車をなで回し始めた。



不安感を燃料にして走っている。

不安や焦りを吸い取ってくれる、と車掌さんは言っていたが、それをエネルギーに変換していたということか。


理屈としては通っている、のだろうか。



「この辺の駅員とか乗務員なら結構知ってるんじゃないか。動悸に悩まされてたけど、その機関車を見かけたら治ったから、蒸気機関車じゃなくて動悸機関車だ、とか。」

思わずニヤけてしまった。

「しょうもないね」


「そんなこと言ってやんな。わりと夢がある話っていうか。俺そういうの好きな方だからさ。一回ぐらい見てみたいと思ってたんだよ」


そういうの、とはどういうのなんだろう。

都市伝説とかオカルト的なことなのだろうか。

にしても、動悸機関車、はくだらないダジャレだ。

「不安を吸い取る不思議な機関車ってだけなら分かるけど。ふざけ始めてるじゃん」


「くだらない大人が入り込むとな。ろくな事にならないんだよな」

父さんはそう言うと、車体をなで回すのをやめ、客車に入り込んだ。

その後を追うように私と車掌さん、翔くんも乗り込む。



「前に事故があったよな、結妃が普段使ってる路線で」

「うん」

「あの事故の被害者、駅員なんだ。俺らと仲良くやってた奴だったんだけど。事故で亡くなったんだ」


俺ら、というのは父さんと車掌さん、ということだろうか。

あれが死亡事故だったとは知らなかった。

どんな言葉をかければ良いのか分からないが、父さんも車掌さんも黙ったままなので、私も何も言わないことにした。




ホームに誰もいなくなったことに気付いた様子の遥が乗り込んできた。

ステンドグラスを眺めるのはもう気が済んだのか。



父さんは思い出したように言った。


「結妃、よく乗ったな」


「よく乗った?」

聞き返すことしかできない。


「じゃ、またな」

何も分からないまま、別れを告げられてしまった。


どこか怯えているような調子で車掌さんが言う。

「乗っていかないんですか」



「別に乗りたかったわけじゃないからな。見てみたかっただけ」




父さんは車両を見回しながら、後ろ側のドアまで歩いていく。


「にしても、煙が出ない蒸気機関車っていうのはおかしいよな。SLは煙が出る物なんだから」


「そうですね。分かってます」

車掌さんがそう言い終わるのと同時に、列車が動き出した。


「それが良い悪いって話じゃない。蒸気機関車は、そういうもんなんだ」

そう言いながら父さんは、動き始めた列車から降りた。


車掌さんはもう何も言わなかった。

引き止めることも、別れの言葉を告げることもしなかった。




ホームでのんきに手を振っている父さんが、どんどん小さくなっていく。

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