D 06

機関車は、すっかり速度を緩めて停車しようとしている。




窓から見える駅のホームには、大きな木が生えていた。

大きな、とはいえ四メートルあるかないかくらいだが、駅のホームに生えている木なんて見たことが無い。

どっしりとした存在感を感じる。


「なんか、雰囲気あるね」

私はそう言ってみたが、遥は車窓を見たまま何も言わない。


反対側の窓からも、青々と葉を茂らせている木が見える。

どうやら各ホームに一本、計三本の木が植わっているようだ。


木を避けるようにして屋根が設置されているので、さすがに駅が造られてから植えられたわけではないらしい。

とは言っても、元からこんなに綺麗な等間隔で生えていたとも思えない。




機関車の動きが止まったのとほぼ同時に、遥が立ち上がって言った。


「ちょっと私、おりてみるね」


「あ、そう」

とっさの発言だったので受け答えに困った。

まあ私の受け答えなんか別に求めてないんだろうけど。


車掌さんはドアを開けると、遥に先に出るように促し、さらに私の方にも目を向けた。



私も降りるか。


そう思うのと同時に、もう列車を降りないと決め込んでいた自分に気づいた。

最初は、いったん乗ってみるか、と乗り込んだはずなのに、いつの間にか正反対の考えになっている。


そうだ。ホームに出てみるだけなのに、何を渋っているのか。

行動力の無い自分がつくづく嫌になる。




私は列車から降りて、木の下で遠くを眺めている遥に近づいて行った。


その木は、思っていたよりすべすべとした、なめらかな幹をしている。

丸っこい葉っぱが混み合うように茂っている。


ホームの塀の向こうには、現代的な建物に紛れて朱色の鳥居が見えた。


さっきまでの曇り空が嘘のように、雲は少なくなり太陽が照りつけている。

まだ五月だというのに夏休みが始まったような空気感だ。



右を向けば、とろん、とした目でぼーっと景色を見ている遥がいた。

一人でいるとき、いつもこういう目をするのだ。

どこも見ていないようでもあり、すぐ目の前を見ているようでもある。

さっきの駅でも私と車掌さんが近づくまで、そんな目をして立っていた。



さらに右を向くと、車掌さんが木と私たちの前を通り過ぎて行くところだった。


車掌さんの歩いて行く方を見ようと、首をぐるっと回して左を向いてみる。




今まで気づかなかったが、ホームの木からそう遠くない所に一人、中学生くらいの男の子が立っていた。


学校の体操服なのか、ライムグリーンのラインが入った紺色のジャージを着ている。

小さめのショルダーバッグを斜めがけしているが、こっちは学校指定の物ではないだろう。


何となく察しはつく。

この時間帯に中学生が一人でここにいる。

何より、この子がいる駅に機関車が止まったということはそういうことなんだろう。


私は車掌さんの後に続いてその男の子の方へと進んでいく。




「こんにちは」


意外にも、というのもおかしいが、その子の方からおもむろに挨拶してきた。

友好的というより、こちらの様子を探っているような態度だ。

歩みを止めて車掌さんは応える。


「こんにちは。切符は必要ありませんので、どうぞお乗りください。」



また何の説明もなしに、お乗りください、だ。

乗ることを強要するのはやっぱり良くない。

遥に関しては、思ったことを正直に言葉にできるタイプだからまだ大丈夫だった。

でも断るのが苦手な人からしてみれば、お乗りください、なんて指示されたら従うほか無い。


私は車掌さんの右に進み出て言った。


「行き先はハッキリしてないんだけどね」


無理に乗るは必要ないと伝えたかった。

でも、自然と口をついて出たその言葉は、今の自分たちの状態を上手く表しているように思えた。



男の子は、投げやりな、それでいてどこか礼儀正しい口調で応えた。


「行き先は、どこでも良いんです。ここじゃない所に行ければ」


案の定、考えていることは私達と同じだと思って間違いない。


車掌さんは穏やかに礼を言った。

「ありがとうございます」


でもまだ乗るとは言ってないけどな、一言も。

いちいち車掌さんの発言に心の中で突っかかってしまう。

丁寧な言葉で包み込まれてはいるが、その中にある強引さは無視できない。




振り向くと、遥が近づいてきていた。


「知り合い?」


「いや、今ここで会ったんだけど」


男の子はそこで初めて名前を口にした。


遥はすぐに下の名前を呼んだ。

しょうくん」


「はい」


「どこまで行くの?」


「もう、どこまでも、です」


少し冗談めかしてそう言うと、遥と一緒にえへへ、と笑った。


なんか打ち解けてる。

遥って、意外と初対面の人と話すの得意だったのかな。

それとも単に相性が良いだけなのか。




四人で列車に乗り込む。


さっきまで通路側に座っていた遥が窓側に座り、私の正面に来た。

膝の上に置いた鞄に付いているお守りをいじくっている。

翔くんは、どっちに座ったものかと一瞬迷い、遥の隣に遠慮がちに腰掛けた。

その一連の所作が、なんだか可愛かった。




機関車が動き出した。


どこまで行くことになるのか。

乗客はどれくらい増えるのか。

先は全く見えないままだ。



誰もいなくなったホーム。

葉を茂らせた大きな木。


そんな風景が後ろに過ぎ去っていく。

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