D 10
こぢんまりとした駅に機関車は停車した。
車掌さんにドアの開け方を教えてもらい、ホームに降り立つ。
古ぼけた路線図。
つり下がっている案内標識。
オレンジ色の文字が表示されている電光掲示板。
その横にある緑色の時計を確認する。
最初に私が機関車に乗り込んでからちょうど三時間が経っていた。
もの凄く長い時間が経過した、ような気がしていた。
つい三時間前のことだというのに、遠い昔の出来事のように感じられる。
遥は列車から降りて、いつものとろん、とした目で景色を眺めている。
翔くんもぼんやりと辺りを見回していた。
目を奪われるような物は、この駅には特に存在しない。
なんと言えば良いのだろう。
何の変哲も無い。
他の駅とは比べものにならないほど、シンプルで、地味だ。
見たことがない景色のはずなのに、目新しさは感じない。
これはきっと、いずれ忘れてしまう景色なんだ。
どんな駅だったか忘れてしまったなぁ、という思い出し方をすることすら、無いのだろう。
車掌さんがホームに出てきて、相変わらずの穏やかな声で言った。
「お帰りになる方は、ご乗車になってお待ちください」
ぼーっと周りを見ていた翔くんが、ふと我に返ったように言った。
「バックするための操作とか、いらないんですか?」
「勝手にバックしてくれるはずです。私達が考えていることはもう、この機関車には全部伝わっていると思いますよ」
さっき降りたときには気づかなかったが、ホームとドアの間には大きな段差ができていた。
私はその段差を乗り越え、客車に乗り込む。
遥も翔くんも、別々のドアから客車に乗り込んでいた。
車両の一番後ろ、いや、これから一番前になる場所へと歩いて行く。
そういえば、最初に乗り込んだときから今まで、あまり意識してなかった。
改めて見ると、特別な場所のような気がする。
普通の電車でこんな景色は見ることができない。
縦長の構図で切り取られた線路が、何と言うか、画になる感じだ。
前が、後ろに。
後ろが、前に。
機関車に後押しされる形になった。
思えば今まで、機関車の後をついて行くだけだった。
流れる車窓を横目に見ているだけで、前を、正面を見ることはしなかった。
ここが先頭車両なんだ。
「すごい、特等席ですね」
翔くんが呟くように言う。
遥も満足そうな顔をしている。
「結妃」
「何?」
「帰ろうって言ってくれてありがとう」
ハッとした。
そうだ。
私の方こそ、遥に感謝したいと思っていたんだ。
先を越されてしまった。
私からすれば、知らない駅で降りるのは、知らない列車に乗るのと同じくらい勇気がいる事だった。
ここではない場所へ移動するのは怖いことだった。
でも遥は怖がる事がなかった。
色々な駅で列車を降りて、見たことの無い景色を私に見せてくれた。
その気持ちを素直に言葉にしてみる。
「遥も、いろんな駅で、降りてみようって提案してくれてさ、ありがとうね」
正直、こんなに恥ずかしいとは思っていなかった。
恥ずかしいと思うこと自体、少し恥ずかしい。
嘘みたいな話だが、面と向かって誰かに感謝を伝えるなんて、今までほとんどやったことがなかった。
いや、逆かもしれない。
恥ずかしいと分かっていたから、やらないでいたんだ。
少しいたずらっぽい語調で遥は言った。
「ま、提案したつもりは無いんだけど。私おりてみるね、って報告してただけ」
「そんなぁ」
あはは、と、翔くんが声を上げて笑った。
私が何故この機関車に乗ったのか、分かった気がした。
別に、乗りたかったわけじゃない。
でも、乗りたくなかったわけでもない。
行きたくない所に向かわなければ、どんな列車でも良かったんだ。
ただ、逃げ出したいだけだったんだ。
逃げ出す勇気すら無かった私の背中を、車掌さんが押してくれたんだ。
「まもなく、発車いたします」
車掌さんの穏やかな声の中に、旅の終わりを悲しんでいるような響きがある。
車掌さんもありがとうございました、と言おうとして、やめた。
その言葉は、機関車を降りるときまで取っておこう。
結局、この機関車のことは何も分からないままになってしまった。
でも、それで良いのだろう。
もはや、知ろうとすること自体、間違っているのかもしれない。
どうやっても、知ることなんてできないのかもしれない。
機関車は、ゆっくりと動き出した。
動悸機関車 3℃ @unknown_3ga
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