C 04
機関車は、一定のリズムを刻みながら走り続けている。
乗ってしまったからには、そう簡単に降りられなさそうだ。
鞄を床に下ろし、前向きのシートに座る。
ふかっとしていて、思いのほか座り心地が良い。
頭痛はさっきよりもずっと和らいでいた。
足下からがたん、がたん、と音が伝わってくるが、意外にうるさくない。
車窓を見ていれば酔うこともないだろう。
学校からは遠ざかっているようだ。
罪悪感より安心感が勝っていた。
にしても、どこに向かって走ってるんだろう。
単純に疑問だった。
どこまでも行ける、と言ってはいたが、線路に沿って進んでいく以上は限界があるはずだ。
すかさず、私の考えを見透かしたように車掌さんが口を開いた。
「ただいまこの列車は、他の駅でお待ちのお客様のところへ向かっております」
「あぁ、はい」
何も分からないので、そう返事するしかなかった。
他にお客さんがいるのか。
それはどこの駅なのか。
その人は本当にこの機関車を待っているのか。
また半強制的に乗せようとするんじゃないのか。
訊きたいことが多すぎる。
でも、それらは訊いていいことなのか。
していい質問なのだろうか。
考えを巡らせながら窓の外を眺める。
見慣れない看板、複雑に交差した電線。
似たような灰色の建物が窮屈そうに並んでいる。
かと思うと、だだっ広い駐車場が現れる。
通学以外に電車を使うことがほとんど無く、反対方向に来るのは初めてだった。
「体の具合はいかがですか」
不意に車掌さんの声がした。
反射的に車両の一番前に目をやる。
「えっと、大丈夫です」
さっきの発作的な不調を知っているかのような言い方だ。
確かにまだ、うっすらと頭の痛みを感じてはいるが、ほとんど気にならない。
そんなに私の顔色は悪いんだろうか。
分からないことがまた増えていく。
車掌さんは落ち着いた声色で話す。
「それは何よりです。この機関車は、不安や焦りを吸い取ってくれるんです」
急に現実味のないことを言われたが、私は納得できた。
考えてみれば、列車に乗ってから妙にリラックスできている。
列車が負の感情を取り除いてくれている、というのはおかしな話ではない。
まあ、そんな説明をされてもすっきりしないと言えばしない。
でも、そこまで不審に思うようなことじゃない、と思い込むことにした。
車掌さんも、何から何まで説明する必要は無いと思っているのかもしれない。
立ち並んだ大きなマンションが通り過ぎていく。
景色の流れが、少し緩やかになっているようだ。
車掌さんが変わらないゆったりした調子で言った。
「まもなく、次の駅に到着いたします」
まもなく、とは言っていたものの、わりと間があった。
駅に到着してから機関車が停車するまで結構な時間がかかる。
蒸気機関車は加速も減速もゆっくりしている、と聞いたことがある。
この機関車も例外ではないらしい。
窓から見える駅は、とても殺風景だった。
屋根も柱も床も、全てが同じトーンのグレーに統一されている。
整備され切った駅とレトロな機関車が不釣り合いに思えた。
やっぱりここも人の気配がない。
空は一面が灰色の雲で覆われていて、殺風景さ、無機質さに拍車をかけている。
窓に顔を近づけて進行方向を見ると、ホームの一番端に人がいるのが見えた。
他に誰もいないのに、隅に追いやられるように立っている。
私と同じ制服を着ている、小柄な女の人。
顔には見覚えがある。
ここ二週間まったく学校に来ていなかった、そして、クラスで私が唯一友達だと言える、
車掌さんは私の時と同じようにホームに降りて、遥の方へと歩いて行った。
それに続いて私も列車から降りる。
車掌さんが話しかける前に、私が声を飛ばした。
「遥、おはよう」
遥は私を見て一瞬驚いたようだったが、すぐにいつもの顔に戻った。
「うん、おはよう」
車掌さんは私たちが知り合いだとみると、さっきよりしっかりと、噛み締めるように言葉を発した。
「是非、お乗りになってください」
表情を変えないまま遥は応えた。
「乗ります」
遥は窓側に座っている私の斜め前に座った。
紫色のお守りが付いた通学鞄をおろし、膝の上に置く。
「この機関車、どこに行くのかとか、私もよく分かってないんだけど」
私は、これが得体の知れない機関車である事を告げた。
というより、もはやそれは知らない機関車に乗っちゃった、どうしよう、という訴えだった。
「どこ行きでもいい」
どうでもいい、知らねえよ、と言うような放任的な応え方だった。
沈黙が場を支配する。
さっきはすんなり挨拶できたが、いざ向き合うと何を話せば良いのか分からない。
二週間一度も会わなかったし、連絡を交わすこともしなかった。
何を話せば、というより、話したいことを話して良いのかわからない。
それはしていい質問なのか、というさっきのパターンだ。
遥が学校に来なくなったのは不思議じゃなかった。
それは訊くほどのことじゃない。
訊ける立場でもない。
でも、しばらく来なかったのに、今日になって制服姿で駅まで来ているのは、相応の理由があるはずだ。
沈黙を破ったのは遥の方だった。
「親と喧嘩した」
シンプルで、ストレートな言葉だった。
そのシンプルさは、無駄をそぎ落としたというより、大きな一枚の布が被さっているような、全てを覆い隠しているが故のものに聞こえた。
「
親と喧嘩した記憶は無い。
両親とは、互いに意見を言い合うことがほとんど無く、ぶつかり合いも起きない。
たとえ意見が食い違っても、どちらかがすぐに折れることが多い。
大抵それは私なのだが。
「まぁ、大喧嘩したことはないけど、仲良しって訳でもないな」
「そうなんだ」
明らかに、適当に返事をしているのが見て取れた。
とはいえ私も、ありきたりなことしか言えなかったという実感がある。
「私も親も無関心なんだよね、お互い。でも親と喧嘩すると気まずいよね」
何か気の利いたアドバイスをしたいが、凡庸な言葉しか続かない。
「気まずいっていうか、面倒くさい。色んなことが」
「そうだよね」
一応同意はしたが、正直そうは思わなかった。
今朝も私は、親が作った朝食を食べながら、学校に行きたくないと親に向かってわがままを垂れた。
あのときも十分気まずかったが、喧嘩なんかしたらもっと気まずいのだろう。
その気まずさはきっと面倒、ではなく申し訳ない、という思いによるものだ。
そんなことを考えていると、遥がまた口を開いた。
「ごめん、この話もうしない」
「うん。気にしない方が良いんじゃない」
私も気にしないことにした。
私がむやみに慰めたりアドバイスしたりしなくて良いのだ。
それは、私は友達の役に立てている、と思うための行動でしかない。
ただの自己満足なのだ。
「何て言うか、親と仲悪い、って言いたかっただけかも」
また沈黙が訪れた。
やっぱり、少し気まずい。
私達はそれほど親密な仲じゃない、ということが分かってしまったような気がする。
いや、前から分かっていた。
クラスで誰とも話していないと白い目で見られるような気がする。
だからお互い「会話中」という状態であるために会話している。
私と遥は、そこまでの仲じゃない。
友情を言葉で確認し合わないと、関係を維持できない。
でも、親と気まずくなることに比べたら、今現在の気まずさの方がまだマシかもしれない。
本当は分かっているのだ。
私が未熟なことも、親に頼りきりだと言うことも。
だから申し訳なさを感じる。
だから自分が嫌になる。
だから誰かの役に立てている、と思いたくなる。
私が励ましてあげる必要なんか無かったのだ。
アドバイスをしてあげる必要も無かったのだ。
ただ話し相手でいれば良かった。
私と遥の関係は、それ以上でも以下でもない。
いつの間にか、機関車は走り出していた。
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