あなたのオリジン。あるいは、
夜が暗いと思ったことなんてなかった。
建物、街灯、工場――人間が生活するために作り出された光は、夜をいつだって照らしていた。
夜中、ふと空を見上げると、雲と空がはっきりと区別できるし、空の端は白く濁っている。特段都会というわけでもない地方に生まれたが、私にとって夜とはそういうものだった。
月は出ていない。山中のキャンプ場。星が綺麗に見えることがウリのひとつだったはずだ。
残念ながら、星をよく見られるほど視力がよくない。夜空は墨を流したように真っ暗で、今さらになってそれが雲に覆われているせいだと気づく。夜空と雲の区別がつかないくらい、暗い。
前も後ろも下もろくに見えない。上を見上げても黒一色。夜がこんなに暗いなんて。ああ、なんて――。
光の線が頭上を掠める。悲鳴が出そうになるのをぐっとこらえ、茂みの中に身を屈める。
夜が暗いことが、今の私にとっての生命線だった。
ブゥゥゥゥン――小型のエンジン音が静まり帰ったキャンプ場に響く。馬鹿デカいチェーンソーを箸でも運ぶかのように器用に振り回し、まず三人がミンチにされた。
逃げだした者のうち、何人がまだ生き残っているのかはわからない。時々悲鳴と絶叫と断末魔の叫びが響き渡り、真面目にカウントしていれば犠牲者を数えられたのかもしれないが、そもそもこのキャンプに参加した人数すら、私は正確に把握できていない。
そうだ。こんなことになるずっと前から、私はこんなところへは来たくはなかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。いつもそうだ。その場の空気に流されて、愛想よく振る舞い続けた結果、望まない人間の輪の中に数えられている。
誰にも裸すら見せたこともないのに、学内の男子の間では私が「頼めばヤらせてくれる」女だという噂が広まっているらしい。自分が所属しているこの集団が、ヤリサーとして悪名を轟かせているサークルだということも知ったのはずいぶんあとになってからだ。それでよくまだ処女のままだと我ながら感心してしまう。
別に貞操観念や我が強いわけではなく、単に私に人間的魅力がないせいだろうとは思う。どこまでいってもつまらねぇ女でしかない私にはトロフィーとしての価値すらない。ただ人当たりがいいと思われているだけで、今こんなことになっている。
時々思う。周囲に思われているようなビッチである私と、自分で思っているつまらねぇ女である私が入れ替わったらいいのに、と。それは私自身にしか関係のない変化でしかないのはわかっている。だけど周囲に見られている自分と実際の自分が乖離していく感覚は、ちょっとした恐怖と恐慌を私の中に呼び起こす。
自我なんてほしくなかった。いや、果たして私には自我と呼べるものが萌芽しているのだろうか。自我もなく流されるに任せていった結果が今なのだとしたら、その間に思い悩んでいる私は、存在しないのと同じじゃないのか。
だったら、この懊悩はなんなのか。自我もない肉の塊が、人間の持つという悩みというものの形状をトレースして、自分の中で再現して悩んでいる真似事をしているだけなのか。ならば私はよくできた肉塊だ。構造がほかの人間と同じなだけの肉の塊は、その機能を使って生きているフリをし続けて、今日、やっとそのことに気づいて――。
チェーンソーの駆動音。悲鳴は上がっていない。探しているのだ。次の標的を。
――殺されるのか。
首なしライダーの噂は私も当然知っていた。サークル主催でキャンプをすることと強制参加の旨を伝えられた時に、なんだかうってつけの場だな、と思ったものだ。
現代日本に突如出現した
首なしライダーが果たしてどこまでスラッシャー映画の文脈を踏まえているのかは誰も知らない。無論現実のシリアルキラーが、映画さながらの殺戮を繰り広げることがないことくらいは私も知っている。
だけど首なしライダーという存在は、そんな幻想を抱かせるに十分な怪人――あるいはヒーローであった。
首なしライダーが最初に行ったとされる犯行は三年前、長崎県で下校中の小学生三人が車に撥ねられて死んだ事件だとされている。その事件現場に居合わせた同級生の児童が、「頭を仮面で隠した大人が同級生を道路に突き飛ばした」と証言した。
実際児童を轢いた自動車は歩道に突っ込んだわけではなく、歩道も車道もない車同士がギリギリすれ違えるかどうかの田舎道にしてはまだ幅のある道路を走行していた。車二台でいっぱいになってしまう道幅は、逆に言えば歩行者と車一台では少し道幅に余裕があることになる。
問題は事件現場の検証ではなく、同級生の証言に集約された。警察は当初児童の心理的負担を鑑みてこの証言を公表せず、メディアも轢き逃げ事件として報道を行った。
だが児童の証言そのものは、真偽不明としてインターネット空間で小規模ながら共有、拡散されていた。
決定的に流れが変わったのは、轢き逃げ犯として警察に出頭した人物が、スキャンダルで引退に追い込まれた元アイドルだと報道された瞬間だった。この人物のスキャンダルから引退までが、謎の勢力による巧妙な罠であったとするファンコミュニティが存在し、そのコミュニティの行動に同調、便乗して陰謀論を掲げる集団が合流した結果、当該人物に関する話題はどんな小さなものでも異常な熱量のファンが燃やし、何度もSNSのトレンド入りを繰り返していた。
その中のひとりが、事件の噂として公表されていなかった児童の証言をSNS上で発見し、コミュニティ内で大きな話題となった。即座にこの証言は真実だと見做され、引退した当該人物の人生を完全に終了させるために殺人事件の汚名を警察や「敵」に被せられたのだとする言説が決定づけられた。
轢き逃げ犯とされた人物も、「轢いた覚えはない」「気づかなかった」「車に違和感はあった」「ニュースを見て、もしやと思い出頭した」などと供述し、容疑をほぼ否認していたことも拍車をかけた。
事態を重く見た警察側が開いた記者会見で、記者がその場に居合わせた同級生の証言について質問を行ったところ、「そうした証言があったことは聞いている」と会見を行った県警本部長が口を滑らせ、翌日慌てて証言を公表しなかった理由――児童の心理的負担を公式に発表した。
これを受けてメディアは証言に関してはそれ以上の追求を行わなくなったが、代わりにひとつの事実が形作られた。
頭を仮面で隠した何者かが、小学生三人を車道に突き飛ばして殺害した――怪人の存在である。
元アイドルのファンコミュニティおよび陰謀論界隈はその後も繰り返し同じ主張を続けるが、真犯人だとされる怪人の話題そのものはここから切り取られ、まったく異なる層にリーチしていくこととなる。
都市伝説系ユーチューバーを名乗る動画投稿者が自身の動画内でこの怪人を取り上げ、視聴者に情報提供を求めた。「首なしライダー」という名称が登場したのもこのあたりである。一方で動画内で現在起きている犯人不明の殺人事件の真犯人を首なしライダーであると主張する行為が最初はウケたものの耳目を集めるうちに問題視されるようになり、この動画投稿者は謝罪に追い込まれている。
陰謀論や都市伝説の域を出ないままだった首なしライダーが多くの人口に膾炙するようになったのは、長崎県の事件から半年後、宮崎県の景勝地で起きた通り魔事件がきっかけであった。
観光地として名高いその場所で、六人の男女が次々に殺傷された。観光客が事件の光景を捉えた映像も残っており、その中には手にナイフを持って悠々と歩きながら出くわした相手を刺し殺していく、頭だけをすっぽりと着ぐるみで隠した人物の姿が確認できる。
この人物は逃走に成功し、それが今も続く首なしライダー伝説の実質的な始まりであるとされている。
その後も北は北海道から南は沖縄県まで、首なしライダーによる連続殺人は繰り返された。一人が殺されるものから、十人以上が一度に殺されるものまで、解決を見ない殺人事件は自然と首なしライダーによるものだと認識されていった。
今日に至るまで、首なしライダーの正体も目的も素顔も一切明らかになっていない。まるで物語の中の怪人のような殺人鬼は、だけどたしかに実在していた。何人も何人も、首なしライダーによって殺されている。つい先ほど、私の目の前でも。
悲鳴。肉がミンチにされる音。
私は急に現実感を取り戻す。同時になぜか、その声が私以外に残ったキャンプの参加者、最後のひとりだという確信を得る。
この茂みの中で夜が明けるまで身を隠すべきか。顔も知らない誰かが絶命したあともチェーンソーの駆動音は続いている。首なしライダーはまだ生き残りを探している。夜が明けても首なしライダーがいなくなるとは限らない。少しでも光量が増せば、私の姿はすぐに見つけられる。
光の筋が頭の上を掠める。さらに身を低くして、息を殺す。
首なしライダーはヘッドライトを装着している。あと少しその首の角度を下に向けられたら、私が茂みに隠れていると簡単に露呈する。
光源の位置を確認する。かなり距離がある。ヘッドライトということは、視線の向きと光が照らす先がおおよそ一致する。
光が私の視界から消えた瞬間、私は身を翻して駆け出す。音を出さないように気をつけはしたが、全力疾走によって生まれる音は夜中のキャンプ場にはよく響くはずだ。
ずん――と空気そのものがこちらに迫るような感覚。首なしライダーがこちらに気づいて、チェーンソーを放り出して走ってくる。その一連の動作が大気を震わせた。
たっ、たっ、たっ。スキップでもするような軽やかなリズムが、あっという間に背後まで迫ってきている。いくらなんでも速すぎる。口裂け女かなにかなのか。夢の中でほしいままに動き回っているように、首なしライダーの動きと力と速度は常軌を逸していた。
息ができない。急な全力疾走と極限の恐怖のせいで、無意識にやっているはずの呼吸すらままならなくなっていた。足がもつれる。腰が抜けたのか。芝の地面につんのめりそうになる私の制御が効かない身体を、後ろから抱き上げる者があった。
自分の頭のすぐ後ろにそいつの頭がある。ぜいぜいと息が上がっている私とは対照的に、一切呼吸が乱れていない。でも息遣いは感じる。間違いなく、いる。
なにより、暗闇の中でバックハグされている感触は疑いようがない。
「次は」
芝に硬いものが落ち、転がる音。頭を隠していたフルフェイスのヘルメットが、その上から装着していたヘッドライトごと、地面に落ちたのだ。
いま、首なしライダーは闇の中に素顔を晒している。
抱きすくめられていた私の身体が、腕の中でくるりと半回転させられる。顔と顔が正面を突き合わせているかたちになる。夜の闇のせいで相手の顔はわからない。私のほうは涙と鼻水と汗でメイクごとぐちゃぐちゃになっていることは間違いない。
「あなたの番だよ」
囁くような声だが、はっきりと聞こえる。相手の呼気が鼻をくすぐるほど、お互いの顔が、近い。
闇がさらに迫ってくる。
額になにか柔らかいものが触れた。遅れて、それが唇だと気づく。ねっとりとした感触を残して唇が離れ、闇の気配も少し遠くなる。
わずかによろめいたせいで、地面に落ちたヘッドライトに足がぶつかり角度を変える。
一瞬、首なしライダーの素顔が光に照らされた。その顔を見た途端、私(私――私だ!)は声を上げそうになる。
おそらくは小さく微笑んで、首なしライダーは闇の中へ消えていった。
ひとりだけ生き残った私は、残されたフルフェイスのヘルメットを手に取った。
やるべきことはもうわかっている。
彼女を――巴六花を、殺しに行こう。
目が覚める。頭が混乱している。おまけに両手両足が縛られ、狭い空間に閉じ込められているという今の状況に気づいてさらにパニックが強まる。
夢の中で見たのは、首なしライダーがコテージで殺人を開始する前日の光景――になるはずだ。法則性からいって、そうなることが自然だと思える。
だが実際は、キャンプ場にやってきた誰かが、突如現れた首なしライダーの殺戮から逃げ回るという、異常な夜の光景だった。
夢の中で私はその視点人物と意識が溶け合っていた。たとえば首なしライダーの発生と拡散の経緯は、私のほうが持っている知識だ。おそらく夢の中の視点人物は、そこまで詳しい情報は知らない。夢の中の私は、その視点人物として、首なしライダーの情報を思い浮かべていた。思考や記憶がどこまで夢で混ざり合っているのか、経験に乏しいので詳しくはわからない。
わかっていることはふたつ。
私が夢の中でつながった人物は、首なしライダーによる殺戮の生き残りだということ。
そして、その殺戮を巻き起こした首なしライダーの素顔が、巴六花だった――ということ。
あとは私が今どうやら車のトランクに閉じ込められてどこかに運ばれている最中だということもだが――それは正直どうでもいい。
首なしライダーの正体が六花だった――この事実にどう向き合うべきか。私は懸命に頭を働かせる。何度も睡眠薬を盛られたせいか頭の中は霧がかかったようにぼんやりとしているが、そんな体調などものともしない強烈な意志の力が私の頭を回転させ続ける。
六花と友人として付き合っていたのは、二年前、私が大学を辞めるまでになる。
私が六花と友人関係にあった期間にも、首なしライダーは犯行を繰り返している。友人といっても、互いの住所も知らないし、深い人間関係を築いていたわけではない。
だが、それでも、その間に六花が首なしライダーとしてあれだけの犯行を繰り返していたとは到底思えない。私たちが出会ったのは東京の大学で、三年前に最初の犯行が起きたのは長崎県と宮崎県だ。その時点で私たちは同じ大学に通っている。
無論、これだけの無茶苦茶な事件を起こし続けている首なしライダーが、常識の範疇で考えられるような相手ではないことは理解している。東京の大学に通いながら、日帰りで長崎の田舎道に寄って下校中の小学生を突き飛ばしたり、宮崎の観光地に赴いて着ぐるみの頭を被って観光客を次々と刺し殺したりを、平然とやってのけるくらいでなくては首なしライダーは務まらない。
重要なのは、六花が今の時点ですでに死んでおり、私が夢で見ていたのは六花の未来と過去の犯行記録ではないということだ。
一応、六花が的場一と津井初を殺害し、自分自身を殺して証拠隠滅と生からの逃走を図ったと考えることもできなくはない。
だが、それでは私が最初に見た夢――現時点ではおそらくまだ予知夢――の説明がつかない。
六花は「夢に囚われるな」と書き残していたが、それは無理な相談だった。すべての始まりであり、終わりであるあの夢が、ただ人生で初めて見た悪夢だなんていう解釈に着地する気はさらさらない。
六花は死んだ。だから、最初の予知夢での出来事を実行するのは、六花以外の誰かでなければならない。
ふと、自分の胸の中に澱のように沈殿していた、今さっき見た夢から地続きの感情の存在に気づいた途端、それが一気に全身へと舞い上がり、行き渡る。
よし。殺そう。
なんだ。とても簡単なことだったんだ。
すべてが理解できる。
なら、やることはひとつ。
走っていた車が止まる。運転席のドアが開き、閉まる音。アスファルトではなく下生えの草を踏みながらトランクの方向にやってくる足音。
トランクが開く。瞼の裏が明るく染まる。
私は目を閉じて、眠ったふりをしている。暗闇に慣らされた目を開けたままにしていたら日光に目が眩む。
トランクを開けた相手が、私の頭の横に置かれている工具箱に手を伸ばす。私の手足の拘束の仕方は素人以下。縄でぐるぐる巻きにして固結びにした程度。だから小さなハンマーで、私の頭を何度も叩き続けて殺そうとしてくることも読めている。
工具箱を開ける音がした瞬間、私は腕を伸ばしてノールックで相手の喉をつかんで、締め上げる。とっくに縄抜けは終わっていて、手足とも自由な状態になっている。問題は眩しさに目が慣れるまでの時間だったのだが、目を開けないまま相手を捕らえれば関係ない。
やっと目を開ける。夕暮れのせいか、思っていたよりも早く目が相手の驚愕に歪んだ顔を捉える。
知らない顔だった。
まあ、それはどうでもいい。真っ赤になってから青ざめていく相手の男の首から右手を離さず、左手で工具箱を探る。指先の感覚だけでマイナスドライバーを選び取って逆手に持ち、それを思い切り私の右手の親指と人差し指の間に打ち込む。瞬時に右手を離してマイナスドライバーを引き抜く。
気道に風穴の空いた男は血をぼたぼた垂らしながら車の後ろに倒れ込む。
「おい、どうした」
助手席からもうひとり男が降りてくるが、身を屈めてトランクから飛び降り、そのままの体勢で運転席側から車の正面を回り込んだ私が背後に立っていることには気づいていない。なのでそのまま、マイナスドライバーを顎の下から差し込む。
ぶるりと身震いして地面に倒れた男の死に顔を確認するが、こちらも知らない顔だった。
「えっ」
そこで私は完全な理解から切り離された。
寒気がする。手が、足が、全身の骨が震える。
なんで。
殺した。
「嘘、だよな――」
本当のことは私はとっくにわかっている。
ものすごく楽ちんだったよな。
殺すのは。
「うっ――」
――落ち着こう。
震える身体を安定させるために車の後部座席に腰かけ、大きく息を吐く。
私がいきなり見ず知らずの男ふたりを殺した。オーケイ。他人事のように思えるが、現状確認は大切だ。
なぜ殺したか。それが一番簡単だったからだ。ひとを殺すのに理由は要らない。少なくとも私を縛って車で運んでこんな山の中で殺そうとしていた相手に対しては。
待て。待て。落ち着け。どこまでだ。どこまでが私の思考になっている。
自分がまともだと思ったことはない。だけどいきなり他人を殺したりはしてこなかった。犯罪をやらず、社会性を身につけ、できる限りまともに、生きてきたから――殺されそうになっていたの、か。
自我なんてほしくなかった。それは夢の中の誰かとしての私の思考であって、私個人のものではなかったはずだ。
仕方がなかった。身の危険が迫っていた。それを好都合だと思った。私の中に澱のように溜まったままの、夢から地続きの、対象を定めないにもかかわらず、あまりにも明確な――殺意が。
自覚しているという事実から目を背けたくて、その感情を自覚した寸前にまで、なぞるように思考を巻き戻す。
――最初の予知夢での出来事を実行するのは、六花以外の誰かでなければならない。
そうなのか。そういうことなのか。一度とっくにすべてを理解したはずの私は、馬鹿みたいに同じところを堂々巡りしている。
なぜ夢の中の視点人物が体験した出来事だと解釈していたのだろう。予知夢の視点人物が誰かということを考えるよりも先に、私が、私の夢として、未来を見たことの理由を考えるべきだった。
私だったんだ。
私がやらなきゃいけないんだ。
あのコテージに残ってる人間を、ひとり残らず殺す。
カチリ、となにかがはまった音がした。それこそが私が本当にやりたいことだった。だから生まれて初めての夢に見た。
自覚してしまったら、もうそこからは引き返せない。
だけど、まだ私には落ち着いて思考するくらいの自由は残されている。夢の通りに全員殺すという目的は完全に自分の中に定着し逃れられなくなってしまったが、それはそれとして、私がどうしてこんなことになってしまったのか、運命を受け入れたまま思い悩むことはできる。
最初の夢は私が自分で行う未来を予知したものだとしよう。
ではその次に見た夢――六花を殺す夢は。
まだギリギリ予知夢だった。だが、私は六花を殺していない。完全にそうだと断言するだけの気力はもう私には残されていないが、少なくとも私の記憶では私は六花を殺していない。
その次に見た夢――的場と津井を殺す夢。
これも私は関与していない。自信はかなり揺らいできているが、私は殺していないはずだ。
そして今しがた見た夢。キャンプ場で首なしライダーから逃げ回り、最後にその正体が六花だったと知って生き残ったあの体験。
これは間違いなく、私以外の誰かの記憶だ。この時点で六花は死んでいることから、間違いなく過去の出来事だとわかる。そして夢の中の誰かの人生と私の人生は、まるで重なるところがない。その割には私はすっかりそれが自分自身の人生だと実感していた。重なるところこそなかったが、本質的には彼女も私も同じような人間だった。感情移入などというレベルではなく、彼女そのものになって、夢の中の私たちは思考していた。
彼女は生き残った。そして決意した。六花を殺すことを。
その時の殺意が、今も私の中で踊り狂っている。六花を殺す――ではなく、単純に、殺す――という核の部分が夢からそのまま私に引き継がれている。
だから車の横で死んでいる男ふたりを殺したのか。
説明になっていないが、首肯せざるを得ない。
できることなら、今すぐ彼女に直接会ってこの
私の見る夢が未来から過去へと遡っているのなら、最後に見た夢が一番古い記憶ということになる。それまで見てきた夢は、どれも視点人物が誰かを殺す場面のものだった。だがこの一番古い記憶だけは、視点人物が誰も殺していない。
なぜか。それは単に、視点人物が見た、あるいは未来に見ることになる強く印象に残った光景を私が夢として見ていたからではないのか。
私は夢の中で彼女とつながった。未来すら見通すほどにまで、深く深く。夢の中の私の感情や思考は彼女のものであるのと同時に私のものだった。私たちは同一の存在と呼べるくらい、互いのことを理解できた。どこにいても愛想ばかりいいだけで上っ面の人間関係しか築けない私たちにとって、本当に夢のような時間だった。
もう一度夢を見れば、彼女がキャンプに赴く前日の光景を見るのだろうか。だが、それでは駄目だということが私にはもう理解できる。極限の殺意の渦中にあって初めて、私と彼女はひとつになれる。
だから彼女と同化して夢を見られる限界が、キャンプ場での殺戮なのだろう。彼女はそこで萌芽した殺意に従い、コテージに忍び込んで的場と津井を殺し、目的通りに六花も殺し、そして――全員を殺すのか。
ぎり、と歯が軋む。あの場の全員を夢の通りに殺すのは、私の役目だ。
私の中に固定された目的意識ががなり立てる。私は狂っていない。ただ夢を実現させることがなによりも優先されるべき事項として自分の中で独立しているだけだ。殺意は依然舞い狂っているが、それは個人や集団に対するものでも、感情に由来するものでもなく、ただ厳然と「ある」ものでしかない。殺意と目的は必ずしも合致するわけではない。むしろ私の中のそれらはちぐはぐだった。
ならば行かねばなるまい。もうすぐ日が暮れる。おそらく今夜が、私が初めて見た夢の中の時間だ。
しかし、ここがどこだかわからない。かなり長い時間車に揺られていたから、コテージからは相当距離が離れてしまっているだろう。車を奪って戻ろうにも、私は運転免許を持っていないので運転の仕方がわからない。
「お困りのようだな」
運転席から声がして、私は瞬時に跳ね起きる。まだ生き残りがいたのか。
「そう怖い顔をするな。幽霊を見たくらいで」
運転席に座ってこちらを振り向いている女の顔を見て、私は完全に言葉を失った。
「――六花……?」
長い間を置いて、なんとか相手の名前を呼ぶ。
死んだはずの巴六花が、運転席に腰かけていた。
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