おやすみ、ファイナル・ガール
どこかの家の鍋でカレーが焦げている。
最初に思ったのはそんなことだった。
嗅いだことのない町の匂いに乗って漂ってくるカレーを焦がした匂いは、急速にこの肉体へ現実感をもたらしてくれる。
夕焼けが町を照らしていた。日本は西に向かえば向かうだけ、日の入りが遅くなる。九州出身の大学の知り合いが、「東京は夕方が短い」と嘆いていたのを思い出す。
ここは東京よりもずっと西に位置する、三年前の長崎県の田舎道だ。
私は夢を見ているのか。
それとも時間と空間を飛び越えてここにやってきたのか。
結局はどちらでも同じだということは知っている。
私がやっているのは、首なしライダーという情報の流れそのものへの介入。すでに起こった事象への干渉という意味ではタイムスリップであり、首なしライダーの内部にしか干渉できないという意味ではカウンセリングに近い。
首なしライダーは因果律に支配されない。その結果現実に這い出てきたのが、私たちを侵す怪異としての首なしライダーだ。
すでに起きた事件を首なしライダーの犯行として接収しながら、これから起きる事件を首なしライダーの犯行とするために人間を首なしライダーに感染させていく。
だったら、首なしライダーである私は、その因果を逆に遡っていくことも可能であるはずだ。首なしライダーが私の意識に介入し、抹消しようとする、そのほんのわずかな時間の間なら。
そういう意味では、対抗神話は囮であり、撒き餌だった。対抗神話の内容を知っていたから、首なしライダーでありながら対抗神話によって強化されたサロン会員たちを相手取れた部分は大きかったが、これはあくまで計画の前段階でしかない。
サロン会員を全員殺したことで自分の中に対抗神話が入り込んできて首なしライダーを脅かす段階までいったのは、これによって首なしライダーを潰すためではなく、首なしライダーが私の意識に介入せざるを得ない状況を生み出すための前フリにすぎなかった。
対抗神話と首なしライダーを私の中で正面から戦わせたとすると、私の意識が耐えられないことを置いておけば、首なしライダーの現世からの排除には成功しただろう。
だがそれでは首なしライダーを完全に消滅させたことにはならない。またなにかのきっかけで現実に這い出てきて、新しい首なしライダーを生み出すことは簡単に行える。
第一、それでは首なしライダーに囚われた六花や日向たちを救い出すことができない。
六花のメモが私与えた決意。
首なしライダーが地獄というのなら、地獄そのものをぶっ壊す。
どうやって?
こうやってだ――。
自分の装備を確認する。ライダースジャケットに、フルフェイスのヘルメット。バイクに乗ってきたという記憶はないが、要は頭を隠した何者かであれば必要十分だ。
話し声が聞こえてくる。十字路の陰に身を隠し、目当ての集団であることを確認する。
小学生が、四人。
このうちの三人が車に撥ねられ、残ったひとりが「頭を仮面で隠した大人が同級生を道路に突き飛ばした」と証言したことが、首なしライダー伝説の始まりだ。
ここが、首なしライダーの源泉。
それを今から、ひっくり返してやる。
隠れながら様子を窺っていると、妙な納得が私の中にすとんと落ちてくる。
三人の児童が、ひとりの児童を囲って笑っていた。
どんなに幼くとも、その笑い声の調子は私にはよくわかる。
嘲り、罵り、見下すための、笑い。
時々手を出したり、蹴ったりもしている。
たぶん、これから死ぬのは、笑っている三人だ。ちょうど狭い道路に自動車が走ってきて、我慢の限界を迎えたひとりが、三人を車道の真ん中へと突き飛ばす。
三人は死ぬ。残ったひとりは、自分の罪をなかったことにするために、いもしない仮面の怪人をでっち上げる。
そのくらいはする。大人は見ないふりをしているが、子供は賢いし、それよりもずっと狡猾だ。
これがどこまで現実に即したものかは、私に確かめるすべはない。
ここはあくまで首なしライダーの源泉であり、実際の三年前の長崎県というわけではない。首なしライダーが自身の流れを生み出すために、納得のいく過去を勝手に夢想しているだけかもしれない。
だから、これから私がすることはやはり、夢の中の出来事なのだろう。
エンジン音を耳にした私は十字路を飛び出して田舎道を駆け出す。私と反対側――児童たちの進行方向から迫る自動車。
笑われている児童の目が鈍く光る。
両手を使って、自分を取り囲む三人を次々に突き飛ばす。
自動車はブレーキを踏む様子はない。運転手はろくに前方を見ていないのか。いずれにせよこの距離ならもうブレーキを踏んでも間に合わない。
転んだ児童たちに自動車が激突する寸前で、私がその間に飛び出す。
三人まとめて腕の中へ抱え、ぐるりと回転しながら道路の端へと転がる。
なにがなにやらわからず呆気に取られている四人を前に、顔をヘルメットで隠した私は立ち上がり、人差し指と中指を立てて頭部から前方にシュッと突き出す。
「危なかったな」
「あなたは……?」
「私は首なしライダー。以後よろしく。じゃあ、気をつけて帰りなよ」
駆け出し、飛び上がる。首なしライダーの記憶演算領域の限界まで飛ぶと、空も町並みも歪んで消えていき、また真っ暗な流れの中に漂うことになる。
問題ない。これから行くべき場所も私は知っている。
次に感じたのは、むせ返るような緑と水の匂いだった。
さっきの田舎道での出来事から半年後の宮崎県の景勝地。着ぐるみで頭を隠した人物が、次々に観光客を殺し回った事件が、今まさに起ころうとしている場所だ。
私は変わらずライダースジャケットとフルフェイスのヘルメット。凶器の類いは携帯していないが、今はそのほうが都合がいい。
悲鳴が上がる。
私は全力で駆け出す。緑と水に包まれた観光地の中を、一筋の風のように。
――いたな。
目撃者が投稿した動画で見た通りの、着ぐるみの頭部だけを装着し、手にナイフを持った人物。こいつの犯行をきっかけとして、首なしライダーは現実への侵食を開始した。
現在ではこの犯行も首なしライダーの所業として数えられているが、本来この時点ではこの着ぐるみと首なしライダーは無関係だった。
だから、そう。
こんな奴なんかが首なしライダーであるはずがないということを、思い知らせてやるよ。
風のように疾駆する私はそのまま着ぐるみの前に躍り出て、掌を上に向け、クイクイと指を曲げて挑発する。
いきなり現れた同じく頭を隠した怪人を目にして着ぐるみは一瞬たじろぐが、めちゃくちゃにナイフを振り回して私を殺そうと迫る。
私はその鳩尾に、鋭い前蹴りを叩き込んだ。
いろいろと皮肉なことに、今の私は首なしライダーであるから、着ぐるみが受けることのできなかった首なしライダーによるバックアップを全面的に受けている。
つまり、謎の殺人鬼としては私のほうが何段も上の力を有している。
腹を押さえて地面にうずくまった着ぐるみを蹴って転がし、頭に被っていた着ぐるみも蹴り飛ばす。
「うわあああ、あっ、ありがとうございます……! 本当に、殺されるかと思って……」
着ぐるみの中の素顔を私は見なかった。見たところで、記憶演算の埒外なせいでまともに認識できるかも怪しい。
「あの、せめてお名前だけでも……」
泣きながら礼を言ってくる女性に、私は小学生たちにしたのと同じ敬礼に似たポーズを取る。
「私は首なしライダー。以後よろしく。じゃあ、気をつけて帰れよ」
そう言って、私はまた駆け出し、飛び上がる。
そこから、首なしライダーの流れに沿って同じことを繰り返していく。
吹雪の山荘。孤島の別荘。どんでん返しのついた館。夜のキャンプ場――首なしライダーが現れたとされるあらゆる場所と時間に私は介入し、首なしライダーの犯行を台無しにしていく。
そしてその都度、名乗りを上げる。
「私は首なしライダー」
現実に過去に介入するわけではない。死者は蘇らない。首なしライダーの被害者たちは厳然と死んだままだ。
私がやっているのはあくまで自己満足。そして、首なしライダーという伝承へ致命傷を与える自己矛盾。
首なしライダーは、そもそも存在しない。それが何物かの意思を得て、現実へと侵食を始め、存在しているという共通認識ができあがっている。
首なしライダーは自分が、自分たちが存在していると認識している。その認識こそが、首なしライダーを現世へとつなぎ止めるアンカーとなっている。
私は、その根本の認識を別のものに貼り替えていく。私が介入しているのは首なしライダーの記憶であり、首なしライダーを首なしライダーたらしめている情報群だ。
情報そのものは書き換えられない。過去は変えられないからだ。それでも首なしライダーの記憶の中に、まるで最初から存在していたのように首なしライダーを名乗る私が現れ、本来首なしライダーが起こすはずだった事件を台無しにしていけば。
首なしライダーの認識は、揺らぐ。
今や私は首なしライダーが起こしたあらゆる事件の現場に同時に存在している。首なしライダーを止め、被害者を救い、次に首なしライダーにされるはずだった者を逃がす。そして声高に名乗るのだ。
「私は首なしライダー」
首なしライダーとは何者か?
根本的な問いに、齟齬を来させる。
問いかける。問いかけ続ける。
――首なしライダー、お前は誰だ?
その中で私は名乗り続ける。私こそが首なしライダーなのだと。実際それは間違っていない。私は疑いようなく首なしライダーだ。
私が夢を通じて未来の首なしライダーに感染したように、私が未来の、本来の首なしライダーそのものとなって、連綿と続いてきた過去の首なしライダーたちに呼びかける。私が現在から未来の首なしライダーに接続したのなら、未来から過去へと接続することは当然可能に決まっている。
「首」
「なし」
「ライダー」
凶行に走ろうとしていた、頭を隠した人物たちが、私を見て口々にその名を呼ぶ。
彼ら彼女らが接続していたストリームが私に貼り替えられている最中、私の姿こそが首なしライダーなのだという認識が萌芽し始めている。
私は彼ら彼女らをいっせいに抱きしめる。
必ず、全員救い出す。
だから、こんな地獄にあなたたちが来る必要は、もうなくなった。
あなたたちが人間を殺した事実は変わらない。だとしても、永劫続く殺意の中に囚われる必要はない。
せめて命尽きたあとは、夢見るように死んでいてほしい。
私が、その夢を見せてやるから。
こんなところからは、さっさと出ていけばいい。
あなたたちはもう、首なしライダーなんかじゃない。
お前は誰だ?
そうだ。あなたたちも、よく知っているはずだろう?
「私は首なしライダー」
抱きしめたひとたちが、するりと私の腕の中から抜け落ちていく。私が知覚できる意識流の中にはもう、彼ら彼女らの姿も、意識も、人格も消えてなくなっていた。
首なしライダーの中に取り込まれた意識と人格の解放。私がやろうとしている行為はそのまま、首なしライダーのストリームの総量を一気に減らせていくことにつながる。
岐阜県。夜のキャンプ場。
チェーンソーを肩に担いだ六花と私は、焚き火を前に座り込んでいた。
「そうか。未来の私は上手くやったんだな」
ここは過去だ。六花の記憶の中。彼女が首なしライダーとして最後に行った殺戮が、起きるはずだった場所。
「しかし、そのプランにはひとつ欠陥がある」
「わかってるよ」
すべての首なしライダーの意味を消し去り、首なしライダーに取り込まれた人間の意識と人格をすべて解放する。そのために過去から現在へと記憶と情報に干渉を続け、新しい首なしライダーの像を作り上げる。
「本当にわかってるのか? あんたは未来永劫、たったひとりで首なしライダーの意識流と一体になり続けるんだぞ」
その代償に、新しい首なしライダー像そのものとなった私は、作り替えられた首なしライダーの意識流と運命をともにする。
人間に戻れるかどうかもわからない。元の肉体に戻れたとしても、それが今の私と連続している保証もない。私のこの意識そのものは、現世からも死からも切り離され、崩壊を始めているこのストリームの中に残り続けるだろう。
「死ぬよりも悲惨な結末だ。いや、それは私たち全員がそうだったが」
「うん。だからさ、私はここを住みやすいようにリフォームしていくつもり。言ってみれば、夢の延長でしょ? ここは」
私が人生で一度も夢を見なかったのは、きっとこの時のためだった。
これから私は夢を見る。終わることのない、長い長い夢だ。
それに私はこの中では自分の思い通りに動き回ることができる。望めばなんだって実現することができる。
「夢だから――か」
「そういうこと。あ、日向が行ったみたい」
「日向?」
「六花の次の首なしライダーだった子。はい、というわけでお時間です。ほら、さっさと行った行った。本当はあんたとはもうきっちりお別れすませたんだから。未練がましいのはみっともないぞ」
「そうか。わかったよ」
六花は立ち上がり、焚き火を乗り越えて私の胸の中に飛び込んでくる。
「じゃあな、首なしライダー」
私は六花を強く抱きしめる。するりと私の腕の中から抜け落ちる感触がすると、もう六花の姿はどこにもなかった。
「私は認めない」
ライダースジャケットにフルフェイスのヘルメット。私とまったく同じ姿をした影が、幽鬼のように闇の中に浮かんでいた。
「ははっ、とうとうトレースできる意識が私だけになったわけか」
「私は最後に残された、首なしライダーの首なしライダーたる部分だ。君がまさかここまでやるとは思っていなかった。私は間もなく崩壊するだろう。君を道連れにして、な」
「ああ。そのつもりだ」
「私の現実侵攻は考え得る限り最良の手順を踏んだ。私が消えるのは、私の侵攻が現実を破壊し尽くす寸前に、アポトーシスが発生する以外ありえないと思っていた。その場合私という意識流すべてがまとめて消滅し、私が取り込んだ意識や人格もろとも私は概念空間に消えていただろう。だが、君は――」
私以外全員の意識と人格を首なしライダーから解放し、首なしライダーの意味をねじ曲げて無毒化。そしてそのまま私は眠りに落ちる。夢の中へ。
「信じがたい愚かさだよ。本当に」
「なあ、お前にひとつ聞いておきたいことがあったんだ」
私の言葉に、首なしライダーは身動きひとつしない。いや、もはや身動きひとつとれないのか。
「お前は言ったよな。私は未来で首なしライダーに感染したって。ずっと考えてたんだけど、そもそもなんで、私は未来からやってきた首なしライダーなんてものになったんだ?」
私が首なしライダーに感染した時点で、現行の首なしライダーは日向が担っていた。夢の通りなら、彼女はコテージの全員を皆殺しにして、次の獲物を求めて闇に消えていっただろう。
そう。夢の中で、私は日向に殺されている。
首なしライダーが感染するのは、殺戮の中で生き残った人間だ。私は生き残っていない。日向に腹を牛刀で貫かれ、臓物を垂らしながら死んだ。
つまり、私は未来の日向によって首なしライダーになったわけではない。
その夢を媒介して、首なしライダーが私に感染したにすぎないのだ。
すでに首なしライダーが存在し、予知夢の未来通りならその首なしライダーに殺されることになる私に、なぜ未来から首なしライダーが干渉してきたのか。
「私にはわからないよ。未来のことなど、なにも」
「そうか。私は、こうなることを見越して、未来の首なしライダーが私に感染したんじゃないかと思ったんだけど」
「その未来の首なしライダーというのは、私か? 君か?」
「さあ。どっちでもそんなに変わらないんじゃないか?」
未来の自分たちのことを延々考える。なんとも不毛な会議だ。
「最後にやっておくことがあるだろう」
首なしライダーがそう言うと、私の周囲がコテージの二階フロアに戻る。
私は、目の前の相手の首をつかんでいた。
現世で私の意識が消える前――首なしライダーが私の頭に手を突っ込んできた状態が、そのまま続いている。まだそこから現実時間では十秒も経っていないのだ。
今の私は首なしライダーそのものだから、私の前で六花の姿をとっていた幻影が、今の私ということになる。間違いない。私に首をつかまれて気を失っているのは、私本人だった。
私は気を失った自分自身を抱え上げると、割り当てられた部屋へと運ぶ。ベッドに寝かせ、布団を被せて、自分の寝顔をしばらく見つめると、部屋を出るべくドアに向かう。
「君はこちらに来るな」
ドアの前には私と同じ姿をした首なしライダーが立ちはだかっていた。
「はあ? どういうこと?」
「君はこちらに必要ないと言っている。その肉体へと戻れ。今ならまだ十分引き返せる」
「なにそれ。情でも湧いたのか?」
「勘違いするな」
威圧するには十分な殺気を放ち、首なしライダーは私をスモークシールドの奥から睨む。
「首なしライダーとは私で、私とは首なしライダーだ。どれだけ変質させられ、中身が失われようとも、私が首なしライダーであるという最後の一線だけは越えさせない。誰が君なんぞにこの名を、首なしライダーの名をくれてやるものか」
最後に残された矜持。それを示すには十分すぎる啖呵だった。
首なしライダーという概念は私によって貼り替えられ、それを支えていた意識と人格はすべて解放されている。どれだけ虚勢を張ろうとも目の前の首なしライダーにはもはやなんの力もなく、今までやってきたような現実への干渉も不可能だということは私が一番理解している。
「そうかよ。でも忘れるな。もしお前がまた妙なことしだしたら、私は何度でもここに戻ってきて、お前をボコボコにへこませる」
それに――私は小さく笑う。
「夢でなら、いつでもつながれるだろ?」
首なしライダーは答えずに、その場からかき消える。
長い、旅だった。
首なしライダーの流れを遡上し、その源泉から今度は順番に、流れに沿って下っていった。
何人もの記憶へと介入し、何十人ものひとと出会い、別れ、ひとりになった。
夢に関しては素人だが、おそらく人間が一度の夢で見ていい許容量ははるかに超えているだろう。
さすがに疲れた。
私はベッドの中で眠っている自分を見ながら、力なくその上に倒れかかる。
おやすみ。
できれば、いい夢を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます