トリプルライダー
暗いのか明るいのかもわからない。ただ私という存在が、流れ続けているという感覚だけが纏わり付いている。
なんとなく、人体の内部を想起した。人間の中身は闇だ。それは心が云々の話ではなく、肉と皮に覆われた人体の中は、切り開いたり光源を侵入させたりしない限り光が差すことはない。
私は全身を巡る血液か、神経回路を行き来するシグナルか、人類という種を乗り物としている遺伝子にでもなっているような気分だった。
ならばそもそもここに、視覚というものは存在しないし必要ない。ヘモグロビンもドーパミンも染色体も、目は持っていないのだから。
「逸花。おい、逸花」
その理屈だと当然聴覚も存在しないはずなのだが、私にははっきりとその声が聞こえていた。
耳には瞼がない、というやつだ。
聞こえた声の感触を頼りに、私は流れの中で自分の形を取り戻していく。
最後に目を開けて、私は自分の周囲の感覚環境をあのコテージの二階フロアに設定する。私の記憶を参照し、環境がたちまちコテージ二階の廊下の質感と構築を再現されたものに置き換わる。
廊下の真ん中に突っ立った私の背後から、誰かが肩を叩いた。
「なかなかに悪趣味だな。もう少し情緒というものがあったほうがいいとは思うが」
「ホントだよ。私、今もそこで死んでるわけでしょ」
六花と日向が、私に向かって笑いかけている。
偽物ではない。首なしライダーに取り込まれ、今もその中で流れ続けている六花と日向本人の意識だ。
そしてこのふたりと話せているということは、私もまた同じ状態になっている。
「また会えて嬉しいけど、今は時間がない。ふたりとも、私がなにをやりたいかはわかってる?」
「もちろん。おおよそ私の立てたシナリオ通りだ」
「それ探偵が口にしていいタイプの台詞じゃないと思うけど……六花さんと意識を共有したから、私もわかってるよ」
「あの、日向」
おずおずと、気安く笑っている日向に向かって口を開く。
「その、さっきは――」
「殺してごめん?」
「うっ。はい……」
現世において、首なしライダーに感染した人間を私ひとりだけにしておかなければ、この計画は始められなかった。なので私には日向を殺さなければならない理由があったのだが、殺された当人にとってみればそんなものは関係のない話だ。
「いいよ。私もここに来て、六花さんとひとつになって、逸花がなにをしたいのかわかったから。そりゃあいきなり殺されたのは腹立つけど、最後に言ってくれた言葉で、チャラってことにしといてあげる」
「うん……大好きだよ、日向」
「お熱いのはけっこうだが、急いだほうがいい。タイムリミットは首なしライダーが現世の逸花の人格を抹消するまでだ」
「それってどのくらい?」
「遅くて十秒」
体感時間ではとっくに過ぎ去っているが、この流れの中にいる私たちは、通常の時間の流れから乖離している。しかしいくらこの中の時間を引き延ばせたとしても、時間そのものは有限だ。
ましてや、これから私がやろうとしている行為の重大性を考えれば、時間は年単位でも足りないくらいだった。
「急ごう」
六花が右手を、日向が左手を私に伸ばす。両手でそれにつかまって、廊下の天井を突き抜けて浮かび上がっていくふたりに続いて飛び上がる。
真っ暗な流れの中を飛ぶ中で、過ぎ去っていく無数の記憶の流れがキラキラと輝く。
――殺した。
――殺された。
――殺さなきゃ。
――殺してしまおう。
私の中に入ってくるのはだいたいこんな殺意ばかりだった。当たり前だ。この意識流の中に取り込まれたのは、首なしライダーとなった人間たちなのだから。
子供もいた。老人もいた。年齢も性別も関係なくあらゆる種類の人間が首なしライダーとなって、今もこの流れの中で消えない殺意に苦しみ続けている。
「見ての通りだ。ここは簡単に言えば、地獄だよ」
「私たちはまだ取り込まれてから時間が経ってないのと、六花さんの明確な目的がアンカーになってるから、こうやって逸花と話せてる。でもそれもいつまで持つかわからない」
「わかってる。急ごう」
「ああ、飛ばすぞ」
私たちは首なしライダーという流れを遡上している。首なしライダーは絶えず流れ続ける巨大なストリームとなっている。そこに飛び込んだり取り込まれたりした者は、その流れがあまりに遠大なせいで「流れている」ということは認識できても、なにがその流れを生むのか、どうやってその流れが生まれたのかまで考えを巡らすことはできない。
海流や気流の始点を明確にすることは難しい。首なしライダーとはすでにそう思わせるほどにまで巨大なシステムとして成立している。
だが、首なしライダーには始まりが、水源が間違いなく存在する。私はそれを知っている。私たちが遡っているのは首なしライダーという川なのだ。
水源に近づくにつれて曖昧に霞んでいく流れを、迷うことなく突き進む。
首なしライダーが起こしたとされる最初の事件の現場――長崎県の田舎道を目指して。
六花のメモを読んでいて、気づいたことがある。
首なしライダーというストリームに取り込まれることは、永劫終わることのない殺意の奔流の中に意識と人格を囚われるということにほかならない。首なしライダーとして人間を殺し回る間も、役目を終えて死んだあとも、ずっとずっと、絶え間ない殺意という流れそのものとなって、また新しい仲間を襲いに向かう。
七人ミサキのたとえが私にヒントをくれた。六花に化けた首なしライダーは、そこから逃れるすべはないと言っていた。それが救いであり、だからこそ新しい首なしライダーを生み出し続けるのだと。
とんでもない欺瞞だ。六花本人が思ってもいないことを、六花の口を使って私に語って聞かせる。
首なしライダーが次の首なしライダーとなる人間に感染していくのは、単純にそうしなければ首なしライダーというウイルスを残しておくことができないからにほかならない。
都市伝説となった首なしライダーは、自分の伝承と似通った事件が起こればそこに自然発生することはできる。最初の増殖の仕方はこれだった。模倣犯の犯行を自分の犯行として援用し、存在しないはずの首なしライダー像を形成していく。
だが現在の首なしライダーは、一個の謎の連続殺人鬼として存在が認知されている。
同時に首なしライダーという意識流自体は、次々と人間の意識に入り込み、その対象を謎の連続殺人鬼に仕立て上げている。
この段階まで展開してしまうと、むしろ模倣犯の存在のほうが首なしライダーの邪魔になる。一個の殺人鬼として認知されているはずの首なしライダーが、遠く離れた場所で同時に犯行を重ねていることになれば、首なしライダーが今日まで作り上げてきた神話が崩壊しかねない。
だから首なしライダーは、殺戮を行った場所でたまたま生き残った相手に感染するという手法を取るようになった。
では模倣犯が首なしライダーに対して有効な一打になるかといえば、そういうわけでもない。
首なしライダーの本質は変わっていない。模倣犯が現れれば、それを首なしライダーと認定することによって、自らの意識流の中に取り込んでしまうことも可能だろう。そちらのストリームのほうが都合がいいと判断すれば、簡単に意識を乗り換えることができる。
結局、首なしライダーの神話は崩壊していない。
生きている私にできることは、首なしライダーの意識流と接続し、自分と日向以外に生きている首なしライダーが存在しないことを確認してから日向を殺し、私自身がファイナル・ガール――最後の首なしライダーとなる状況を作り出すことだった。
少なくとも今現在は、私だけが世界でひとりだけの首なしライダーになっている。
私が死ねば、首なしライダーという表層の流れを断ち切ることはできるかもしれない。だがそれでは本質的にはなにも解決していない。首なしライダーの神話は健在のままで、なにかきっかけがあれば再び顕在化する。
なにより、首なしライダーという地獄に囚われた六花や日向、多くの首なしライダーだった者たちは永劫に首なしライダーから解放されることがなくなる。
それでは駄目だ。六花のメモは私に、絶対に六花を首なしライダーから救い出すという決意を与えた。それほどまでに、メモの内容は凄絶だった。
「逸花、そろそろだ」
流れはすっかり真っ暗になっている。もう記憶の欠片という光源が周囲を流れることもない。
果てのないように思える流れを遡上してきたせいか、この先が急に奥まっているのが感覚的にわかる。
「じゃあ、逸花とはここでお別れだね」
私を引っ張って飛んでいた日向がこちらを振り向き、笑顔を見せる。そもそも最初は視覚すらなかった私が日向を認識できたということは、そこに周囲の明度は関係がない。私たちは意識と意識――魂と魂で、お互いを見ている。
「日向――」
私はこれから、長い旅に出る。そしてここに戻ってくることは、二度とない。
死者は蘇らない。ここにいるのは、首なしライダーという怪異に囚われたかつて人間だった意識と人格のバックアップされたデータにすぎない。
理解はしている。それでも、偽物の六花を見たからなおのこと、私の前を飛ぶふたりが疑いようのない本人なのだと痛感する。
「逸花、最後に謝っておく。巻き込んですまなかった。あんたから夢の話を聞いて、首なしライダーに感染したと確信したのと同時に、私が間もなく死ぬこともわかってしまった。だから私は、最終的にあんたがここまでやってくるように図を引いた。その途中で何人死のうが関係なく、逸花が死ぬ恐れも多分にあった。いや――この期におよんで嘘はよくないな。実際のところ、私は逸花が途中で死ぬだろうと思っていた。そのくらい野放図で、破れかぶれな算段だった」
六花はこちらを振り向きながら顔を伏せる。唇を噛んでいるのか、しばし言葉に詰まる。
「どうせ私は予知夢の通りに死ぬ。だったら逸花が死んだあとで、ここでずっと一緒にいればいい。そう思っていたというのが実際のところだった。だが、あんたはやり遂げた。私の引いた図を使って、不可能だと思っていた箇所を何度も乗り越えていった。だから、ここから先も、あんたは絶対にやり遂げると信じてる」
私たちは自然と身を寄せ合った。抱き合うのと同時に、スクラムを組んでいるような気分だった。
「ありがとう、六花」
「礼を言われる筋合いはないんだが、そうだな。最後に言ってもらえて、それだけで救われたよ」
「六花さん、泣いてる?」
「――悔恨の涙だ。感傷に浸っているわけじゃない」
「日向も」
「うえっ、ホントだ。ああ、うん、そうだね。逸花が全部終わらせたら、もう六花さんともお別れなんだって思うと、どうしてもね。後悔も恨みもないし、この状態が地獄なんだってこともわかってるけど、やっぱ、寂しいのは寂しいよ」
ぎゅっとふたりを抱き寄せる。
「私は絶対に忘れないから。ふたりのこと。首なしライダーのこと。みんなのこと。それを背負って胸張って生きていけるほどの自信はないけど、それでも、なんとかやってくからさ」
「少々頼りないな」
「そんなもんでしょ。逆に自信満々のほうが怖いって。六花さんみたいに、自分の運命を悟ってるような人間ばかりじゃないんだよ」
笑い合う。六花と日向がうなずき合い、私をつかんでいる手に力を込め、一気に引っ張り上げる。
「よし。じゃあ――」
「行ってこい! 逸花!」
ふたりに放り投げられるかたちで、私は首なしライダーの源泉へと突き進む。速く、速く――光よりも、もっともっと速く。
「じゃあな! 大好きだよ!」
私の叫びを聞いて、ふたりが笑ったのが、たしかに見えた。
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