ダブルライダー

 包丁を手に、彼女の前に立つ。

 フルフェイスのヘルメットをしたまま、両手両足を縛られて椅子に拘束された彼女は、スモーク入りのシールド越しに私を睨んでいた。

「会いたかった」

 包丁を構える。

「ずっと待ってた」

 振り下ろす。彼女を縛っていた縄が切断され、手足が自由になる。立ち上がった彼女は、不思議そうに私を見ている。

 私はにっこりと笑い、手に持ったヘルメットを被る。すっぽりと顔を覆い尽くし、顔がわからない状態になる。

 鞄を広げ、中に詰め込んだ凶器類を彼女に見せる。乗り捨てた車に戻って装備を調えておいた。もともとそういう手合いの持ち物だったこともあって、車内には無数の凶器となるものが搭載されていた。

「やろう。一緒に」

「あなたは」

 ヘルメットの奥で笑う。斧を手に、私は先に部屋を出る。

「今夜はあなたと私でダブルライダーだからな」

 予想通り、的場と津井が使っていた部屋に彼女は監禁されていた。その隣の部屋のドアを斧で破壊し、中に踏み込む。

「フゥゥゥ――セイッ!」

 ドアを開けた瞬間、空気を切り裂く鋭い蹴りがヘルメットを掠める。

 泉見晴が、ステップを踏みながら私を待ち受けていた。

 斧を前方で何度も交差させるように振るう。下手に手を出せば指を切り落とされかねないので、泉はステップを踏んだまま後退する。そのままじりじりと距離を詰め、部屋の広い空間へと立ち入る。

 斧を握り直し、正面に位置取ったままの泉に向けて振り下ろす。

 泉は逆に、身を屈めて前進してきた。目にも止まらぬ速さで私の懐に潜り込むと、鳩尾にストレートを撃ち込む。

 息が止まる。全身から脂汗が噴き出し、苦悶にのたうち回りそうになる。

 だがそれは首なしライダーによるバックアップが許さない。私の苦痛を意味領域に変換し発散させ、ダメージを実質無効化する。

 無防備となった泉の背中へと斧を突き立てようとするが、泉はさらに身を屈めてしゃがんだ状態で足を回転させ、踊るように私の背後へと回り込む。

 私は背後を見ることなく斧の刃を首の横に突き出す。首を絡めて絞め落としにくるだろうと踏んで、先に「置いて」おく。

 腕を広げた泉の動きが一瞬止まる。その逡巡は致命的な時間の差を生む。

 斧から手を離し、身体を捻って飛び上がり、背後の泉を回転蹴りで強襲する。

 蹴り自体は腕で防がれるが、着地の際に落とした斧を拾い上げる。

 つかんだ斧をそのまま、泉の頭部目がけて投げつける。

 瞬時に身を引いて斧をかわす泉。にやりと笑ったその顔が、すとんと前に落下した。

 泉の背後で私の投げた斧を受け取った彼女が、そのまま泉の首を切り落としたのだ。

 時刻は深夜。全員が寝静まったであろう頃合いを見計らって私は行動を起こした。部屋割りは泉の部屋の位置だけを確認。

 彼女に少し待てとハンドサインを送り、電灯を点けて泉の部屋を物色する。

 白い粉末。錠剤。リキッド。注射器――泉がサロンへ薬物を仲介するポジションだったのは間違いない。私は粉末の入ったパケ袋を複数確保しておき、彼女へと向き直る。

「あなたは――」

「あなたと同じ。わかるはずだ。お互いに」

 首なしライダーと首なしライダー。ふたりとも共通の意識流と接続している。自分の目の前にいる相手が、自分の奥底に流れている集合意識の中にいると、感覚として伝わっている。

 私はすっと右手を差し出す。

「はじめまして、首なしライダー。私は明日葉逸花。これから相乗りするんだ。よかったらあなたの名前を教えてほしい」

 彼女は右手で私の右手を握ってきた。

名護なご日向ひなた。よろしくね、首なしライダーの逸花」

 私はぎゅっと日向の手を握り返す。

 手短にこのコテージには対抗神話の結界が張られており、この中でサロンメンバーは首なしライダーを上回る力を得ていることを説明する。

 日向はすぐに納得した。泉に手ひどい反撃を受けたことがよほど衝撃だったのだろう。

「でも、こいつは殺せた」

「ふたりがかりだったからね。こいつは首なしライダーがふたりいるとは思っていなかった。私ひとりを相手取っているところに背後から日向が不意打ち。どれだけ対抗神話でバフをかけても、理外の一撃は防げない。でも次からはこうはいかない」

「ハァァァ――トウッ!」

 日向目がけて放たれた正拳突きが壁を突き破る。

 身を翻して私の隣にやってきた日向とともに部屋に入ってきた影を見る。

「ホォォォ――ハァッ!」

 その背後からもうひとり。私はその連撃を正確にひとつひとつ打ち落としながら、ふたりの顔を確認する。

 茂手木紗代と小野瑞美。当然だが、対抗神話によって力を得ているのは泉ひとりだけではなかった。

「一号! 私たちは離れないほうがいい。一対一じゃ勝ち目はないのは知ってるだろ!」

「クソっ、わかった。ていうか一号って?」

「コードネームみたいなもんだよ。私のことは二号でもV3でも好きなように呼んで」

 小野のラッシュを防ぎ続けている私の後ろに日向が隠れる。互いの呼吸の合わせ方はわかっている。問題は小野の攻撃がやむ気配がないことと――。

「上だ! 一号!」

 最初の一撃から動きがなかった茂手木が、大きく跳躍していた。小野の背丈を易々と飛び越え、天井にぶつかるすれすれで畳んでいた足を大きく突き出し、私の背後に立つ日向に向けて跳び蹴りを放つ。

 角度と勢いからいって、私がかわすことは容易だ。だが背後の日向はそうはいかない。私の陰に入っているせいで茂手木の急降下を見極め対応するだけの猶予がない。

 守ろうにも引っ張ろうにも、小野の連撃を捌き続けている間は文字通り手出しができない。

 ならば――小野の左鉤突きを肘と掲げた膝で挟み込んで強引に止める。単純な力比べでは首なしライダーが対抗神話に負けることはわかりきっている。加えて私のほうは片腕と片足を固めた不安定な姿勢。この硬直時間は本来、小野の有利に働く。だが。

「ナイス、二号!」

 日向が前に跳びだし、すれ違いざまに小野の脇腹をナイフで切り裂く。

 よろけたところを、私が右側に倒れ込む。すんでのところで茂手木のキックをかわしつつ、小野を床に転がすことに成功する。

 床に倒れた瞬間に、小野の足払いが襲ってくる。体勢を戻すのが早すぎる。身体のバネを使って跳ね起きながら小野の足を飛び越える。

 小野の頭上から、日向が斧を振り下ろす。

 小野は身体を捻って横に跳び、全身を横回転させながら頂点に達したところでぴたりと静止し両足を逆方向に突き出す。空中で回転しながら、私と日向を正確に狙った蹴り。床に突き刺さった斧を持った日向の手を弾き、私が寸前で組んだ両腕のガードを崩す。

 よろけた私の背後から殺気。茂手木が最初に壁を貫いた正拳突きと同じ構えを取っている。

 いくら常軌を逸した強化を受けていようと、空中では動けない。私は体勢を前に倒し、小野の方向に踏み込む。

 狙いは小野ではない。床に突き刺さった斧をつかんで支柱代わりにし、強引に身体の向きを変える。これで小野と茂手木を同一直線上に捉えた。

 斧を引き抜き、牽制として横に振るう。すでに着地している小野が一歩引いて、構えている茂手木と並ぶ。

 ここだ――泉の荷物からくすねておいたパケ袋を取り出し、封を開けて中身を土俵入りの塩のように前方に撒く。

 ふたりは一瞬身構えるが、それが目潰しにもならないと悟るとすぐさま次の攻撃に移ろうとする。

 だが茂手木も小野も、急に酩酊したように体勢を崩す。これまでの超高速の攻防を経た私たちにとって、その隙はあまりに大きい。

 私が斧で茂手木の首を刎ね飛ばし、日向がサバイバルナイフで小野の喉笛を掻き切る。

「さっきのは?」

「たぶん覚醒剤」

 血しぶきを上げる茂手木と小野の残骸から離れながら、日向がたずねてくる。

 首なしライダーであった六花の協力を得られたとしても、ただの人間が対抗神話を組み上げ、そこから表出する意識流との接続を果たすことはまず不可能だ。

 だが、ここにはドラッグがあった。

 神秘体験やトランス状態への移行に、昔からドラッグが用いられてきたことはよく知られている。本来なら不可能な対抗神話との接続を、ドラッグの精神作用によって強引に開通させた。

 サロン会員たちが異常な力を得ているのは、限定的な対抗神話に加えて、それを誘発させたドラッグによるグッドトリップの力も合わさっている。

 なら、そのバランスを崩せば。

 ほんの少し、追加で薬物を摂取させてしまえば、限界を超えて回り続ける脳と意識は深刻なダメージを受ける。オーバードーズを誘発させ、精神と肉体のバランスを瓦解させることができる。

「ヒィィィ――ヒャア!」

 部屋を出たところに、矢のように突進してくる影、大きく前方に転がり、直撃を回避する。

「二号!」

「大丈夫。さっきよりかは楽なはず」

 廊下に飛び出してきた日向と肩を並べる。私の二の腕からは血が滴っていた。

 完全に回避が間に合わず、すれ違いざまに切られたらしい。首なしライダーのおかげで痛みは感じず、腕を動かすことに支障が生じるほど深い傷でもないので気にせず相手を見据える。

 滑田天馬が、両手に包丁を逆手に持ってその刃を舌で舐めていた。私の血が付着しているのも構わずに。

 斧を構える。日向はサバイバルナイフ。滑田は両手の包丁で翼を広げるように腕を伸ばし、姿勢を低くする。

 さっきの突進がもう一度くる。

 廊下は広いが遮蔽物はない。

 私が左側。日向が右側。互いにうなずき合い、同時に駆け出す。ちょうど滑田が両側に広げた包丁がそれぞれ届く範囲から出ないままに。

 ほぼ同時に廊下の床を蹴った滑田。一歩の踏み込みであっという間に距離が詰められる。

 引き絞られた矢のような凄まじい速度の突進。私たちがむしろこれを誘っていることが滑田にバレていようがいまいが、両サイドから迫ってくる私たちに対応する一番確実な行動が突進であることは動かしようのない事実だった。ふたり同時に接近されるくらいなら、最速の攻撃を利用してヒットアンドアウェイを図る。

 殺人鬼ふたりを前にそんな逃げ腰が通用するはずはない。

 滑田の刃が届く寸前、私と日向は同時に真横――中央へと飛び出す。本来なら並走している私と日向がぶつかり合うところだが、その間にちょうど、滑田の身体があった。

 おまけとばかりに、ふたりとも足を前方に突き出している。身体の両側から鋭い蹴りで貫かれた滑田は、自身の突進の勢いも合わさって上半身と下半身をぐにゃりと逆方向にねじ曲げながら吹っ飛ぶ。

 並び立った私と日向に向けて、包丁が投擲される。互いに反対側に飛び退いて刃をかわしたところに、両手を手刀の形にして振り上げた滑田が飛びかかってくる。

 常人なら再起不能レベルのダメージを与えたはずだが、首なしライダーを無効化する対抗神話のバックアップを受けている以上、肉体の損傷も痛みもお構いなしに動き回ることができる。

 振り抜いた手刀をすんでのところでかわすが、風を切る音とともにヘルメットの一部が削り抉られる。飛ぶ斬撃の一歩手前――それを手刀で実現している。本当に出鱈目な強化人間だ。

「一号! 一瞬でいい、こいつの動きを止めてくれ!」

 それで勝てる――言外にそう言ったのが伝わり、サバイバルナイフを構えた日向が滑田に肉薄する。日向のナイフを左手の手刀で弾き、滑田の右手の手刀が日向の首を狙う。

 ナイフでの防御は間に合わない。そう判断した日向は、身を屈めて迫る手刀に対して頭突きを繰り出した。ヘルメットの頑強さに頼った一歩間違えれば即死の恐れすらある反応。

 だが日向は頭突きをしながら、滑田の手刀による斬撃をヘルメットの表面を滑らせるようにいなして無力化する。

 空振りに近い一撃を放った滑田はそのまま身体が流れていき、そこに真下から日向のナイフによる刺突が迫る。

 だが体勢を崩しながらも、滑田は左手の貫手で日向のナイフを正面から押しとどめる。

 それによって、動きが完全に固まる。

 パケ袋の中身を滑田の顔目がけて振り撒く。大きく瞳孔が開き、すぐに焦点が合わなくなっていく。

 それでも最後の根性で日向のナイフだけは抑え込むが、残念ながら今夜の首なしライダーはふたりいる。

 私が振り抜いた斧が滑田の首を刈り取る。

 残りは吹田金治と小森弘人のふたり。

 だが私はいったん、廊下の壁に身体を預けて呼吸を整える。日向も私を急かすことはしない。

「日向、よかったら聞かせてほしいんだけど」

 コードネームではなく名前で呼ぶ。今は殺人鬼モードではないことを暗に示しておく。

「どうせ隠し事はできないでしょ。なに?」

「あなたが殺した相手と、その状況について」

 少しの間、沈黙が流れる。私のたずね方が妙に探偵じみているせいもあっただろう。当然、意図してのことだったが。

「最初はこのコテージのカップル。夜中に忍び込んで、適当に部屋に入ったらヤってたから殺した」

 ホラー映画でセックスをおっぱじめるカップルは死ぬ法則――首なしライダーの入門編としては最適な相手だったわけだ。

「次は昼間、っつっても曇ってて暗かったけど。またここに忍び込んで、適当に入った部屋の中で眠ってたやつを殺した。殺してから、あのひとだったことに気づいた」

 日向が参加していたキャンプに突然現れて殺戮を繰り広げ、最後に生き残った日向にその素顔を晒し、キスをして去っていった首なしライダー――巴六花。

 そうか。日向は六花のことを、そんなふうに呼ぶんだ。

 私が見た夢の通り。私は夢の中で、間違いなく日向だった。

「それね、知ってるんだ。私」

 夢で見たから――私の告白を、日向は黙って聞いていた。

「だから、他人の気がしなかったのか。首なしライダー同士のつながり抜きに、逸花をひと目見た時から、ずっとそう思ってた」

 日向がフルフェイスのヘルメットを外して、素顔を露わにする。初めて目にする日向の顔を前にしても、特に感慨は湧かない。毎日鏡で見ている自分の顔を見た時と変わらない。それほどまでに、私と日向は一体となっていた。

「ねえ、逸花。ここの全員を殺し終わったらさ、ふたりでこのままどこか遠いところに行こうよ。首なしライダーとか関係なしに、行く先々で殺して、殺して、殺し回ってさ。その途中で逸花のこと、もっと教えてほしい。私も自分のこと、本当の気持ちで話すから」

 ああ、それはきっと素敵だろうな。

 日向はもう、キャンプ場で怯えていたころとは違う。本当の自分を理解してくれる相手を見つけて、首なしライダーとなったことで得られる万能感と、それを実現するだけの力を得て、怖いものなんてどこにもなくて。

 そんな日向と一緒にいられたら、私は絶対に幸せでいられる。だって、私たちはお互いを誰よりも深く深く理解し合っている。だけどまだお互いに話していないことは山ほどあって、話題は尽きることなく、絆は強くなっていくばかり。そんな旅が始まるのだとしたら、私たちは誰にも捕らわれることなく、最悪の殺人鬼となりながら、最高の人生を謳歌するのだ。

「ありがとう、日向。大好きだよ」

「逸花……? ゴフッ――」

 日向の腹には、深々と牛刀が突き刺さっていた。臓物をこぼしながら急速に命が失われていく日向を見ながら、私は手に持った牛刀をさらに深く押し込む。

「夢とは反対だね」

 私の言葉はもう日向には届いていない。廊下に倒れた日向から牛刀を引き抜き、ヘルメットを脱いで放り投げる。

 夢の中で吹田と小森が立てこもっていた部屋のドアをノックする。沈黙が返ってくるが、中にいる人間の気配を鋭敏に察知する。

「逸花です。大丈夫です。私とおふたり以外は全員死にました。少し、話しましょう」

 小さくドアが開く。吹田がその隙間から私の様子を確認する。

「俺たちを殺す気はない、と?」

 笑って誤魔化す。いずれにせよ、首なしライダーと対抗神話が意味領域で互いのリソースを奪い合っている現状では、このまま立てこもってやり過ごせるはずもない。ドアの破壊は容易く、殺し合いは熾烈を極めることになるだろうが、私が対話を求めていることを前向きに受け止めるのが最も安全で穏当な思考だった。

 結局吹田はドアを開けた。私は無言で部屋の中に立ち入る。吹田も私も、殺気を纏ってはいない。だが不意打ちは不発に終わるであろうことは互いに理解している。

「弘人、出てこい。どうやら後始末をつける段になったらしい」

 吹田が呼びかけても、小森は姿を現さない。溜め息を吐いて、トイレのドアを開ける。

 便座にうずくまり、両手で顔を覆った男。小森弘人はこれまで自身がカリスマを振るったサロンでは考えられない、惨めな姿で縮こまっていた。

「弘人――」

「ああ……金治……やはり間違っていたんだ。こんなものに、手を出すべきじゃなかった……」

 吹田が小森を抱き上げるように立たせ、部屋の中央に置かれた椅子に座らせる。そのあとも震える小森の身体を横から抱き寄せ、子供をあやすように肩を撫でる。

「逸花ちゃん、君は本当はいったいどこまで知っているんだ?」

「それを確認するために、おふたりに話を聞きにきました」

 私は自分がたどった推理と導き出した結論を話していく。

 的場と津井が殺された段階で六花がサロン側に自分が首なしライダーだと打ち明け、自分が新しい首なしライダー――日向に狙われており、身の安全を求めた。

 そのために六花は首なしライダーという怪異の構造を教えてこれを解体して組み直し、首なしライダーの天敵となりうる対抗神話を成立させる方策を考えてサロン側に提供する。

 だが六花はそのまま日向の手にかかって殺される。そこで私が予知夢について話し、それまで半信半疑だったサロン側もいよいよ首なしライダーの脅威を認識し、六花の手を離れた対抗神話を組み上げ始める。

 その過程で「心をひとつにする」ために邪魔だった私をコテージから排除するために、死体の処理を請け負った業者に私の処理を任せる。

 このコテージで限定的に機能する対抗神話を成立させ、襲撃にやってきた日向を無力化し拘束するが、そこに始末したはずの私が戻ってきて――。

 あとは私も知っている通りなので話を打ち切る。

「おおよそ、その通りだな。実際はもう少し紛糾したが、探偵に言われた通りに弘人が説明をしたら丸く収まった」

「私は反対だった……こんなものは人間が手を出していい領域を超えている……だが、私が音頭を取らなければ収まりがつかないところまで話が進んでいることも理解していた。あの探偵は悪魔だ……こうなることを見越していたに違いない……」

 小森はサロンオーナーとして、常に威風堂々とした立ち振る舞いを求められる。そのカリスマが失望に変わった瞬間、彼の身にどれほどの災厄が降りかかるか。オーナーの立場とサロンという密室を使って、今までどんなことをしてきたのかは、六花が詳細にまとめている。同情の余地はないし、最初からする気もない。

「六花はほかになにか言っていましたか?」

「君のことだな。逸花ちゃんを殺さないようにと念押しをしていた。弘人は探偵が死んだ以上関係ないと言って、君を殺すように手はずを整えていたようだが。いったいどうやってここまで戻ってきたんだ?」

「殺しました」

 それだけですべてを察したのだろう。吹田は迂闊な追求をきっぱりとやめた。

「わかっているとは思いますが、今は私が首なしライダーです。私はこの場の全員を殺さない限り止まれない。首なしライダーとつながった時点で魂に刻まれた誓約――呪いか、洗脳と呼んでもいいかもしれません。どれだけ異常性を自覚しても、これは振り払うことができない。ですがここまで四人を相手にしてきて、こちらも限界が近い。なので」

 私はパケ袋を複数取り出す。

「これを使ってください。その間に私が殺します。一瞬で、と約束しますよ」

 ドラッグを用いて強制的にチャンネルを開いている状態の自分たちが、さらに薬物を使用することでどうなるのか。おおよその予想はついているはずだ。私がまだパケ袋を隠し持っていて、反抗しようとすればそれを使うであろうことも。

「クソっ! クソクソクソ! 泉だ! 全部あいつが悪い! こんなものを私のサロンに持ち込んで! こんなもの! こんなものを――」

 パケ袋を開けて、粉末を指ですくって鼻から吸引する。すぐに顔が蕩け、目が泳ぎだす。

 私は無言でその背後に回り込み、まだパケ袋に手をつけていない吹田に視線を向ける。

「いや。俺はこのままでいい。やってくれ」

 吹田は小森の隣に椅子を持ってきて、肩を並べて座る。うなだれている小森の肩を抱き、寝かしつけるように優しく肩を叩き続けていた。

 ふたり並んで頭が一八〇度後ろを向いた死体を置いて、私は部屋を出る。

 全員殺した。間違いなく、全員だ。

 芽生えた根源的な殺意は消える気配もないが、固定された目的意識がアンロックされる音は聞こえた。

「お疲れ。よくやったな。まさか正面から対抗神話とやり合うなんて無茶をするとは思わなかったが」

 六花が階段のほうから廊下を歩いてくる。

「これで対抗神話は崩れた。あとはずっと首なしライダーが好き放題にできる。で、これからどうするつもりだ?」

「決まってる」

 私は廊下に転がっている斧を拾い上げると、大きく振りかぶる。

「お前を殺す」

 六花に向かって駆け出す。上段から振り下ろされた斧は廊下の床を破壊し、砕けた破片が舞い散る。

「おいおいおい。いきなりなにを言い出すかと思ったら、完全に正気を失ったのか? いいか、逸花。君が見ている私は、君と接続している首なしライダーの意識流から抽出された私の意識と人格が君の脳に語りかけて、そのために私としての形を持って認識されているにすぎない。とっくに了解ずみだと思っていたが、君が今やろうとしているのは、幽霊を殺す行為でしかない。そんなことは不可能だよ。幽霊というのはもう死んでいるのだから」

「私が、なぜ対抗神話を解体せずに正面からやり合ったと思う」

 斧を振るう。振るう。振るう。そのすべてを六花はするするとかわし続け、なるほど幽霊には実体がないと確認させてくれる。

「君が今さらサロンの内側に入り込むことが不可能だと悟ったからだと思っていたが、それ以外の理由があるとでも?」

「対抗神話はまだ崩壊していない。成立条件はこのコテージに限定され、その中の全員が共通の認識を保持し続けることだった。このコテージには、まだ私が存在している」

「なに――」

「私は対抗神話の内容を知っている。六花が、残しておいてくれたから」

 六花のスマホを取り出す。

 中に残されたメモアプリの中に、首なしライダーを打破する対抗神話のアイデア、設定、設計図が記されていた。

 この殺戮を開始する直前まで、私はそれを読み込んでいた。

「馬鹿な。私はそんなものは知らない」

 六花の意識と人格を再現した首なしライダーが驚愕に目を剥く。

「お前は、自分に都合のいいものしか見ようとしない。六花が首なしライダーを日向に感染させた時点で、殺意は日向から六花に向けられたものに固定された。言うなればここで、六花は首なしライダーであることから降りたんだ。六花の意識がお前の意識流の中に取り込まれていたとしても、六花は人間として行動していた。お前の目を掻い潜って、お前を倒す方法を組み上げるために。六花が組み上げていた対抗神話は、構造そのものがお前にとって毒だった。だからお前はそれを認識することができなかった」

 六花が残したメモはそれだけではなかった。

 首なしライダーへと変質していく自分。自分が自分ではなくなっていく恐怖。それを乗り越えた自分がもはや人間ではないという絶望。そしていつか必ずこの怪異を打ち倒すという決意。そうした思いが、首なしライダーに見つからないよう、ごく短いセンテンスでメモアプリのあちこちに散らばって書き殴られていた。

 私の前に現れた六花の姿をした首なしライダーは、やはりどこまでいっても六花の偽物でしかなかった。

「私の中では今、宿主を失った対抗神話が新しい宿主を求めて根づき始めている。さあ、どうする。首なしライダー。知っているぞ。お前が現時点で取り憑いている人間は、世界中で私ひとりだけだ。私の中で対抗神話と直接リソースの食い合いを始めるか?」

「そんなことを始めれば、君も死んでしまうぞ」

 私ひとりの意識を介して、首なしライダーの意識流と対抗神話の意識流が全面戦争を始めれば、戦場と化した私の意識は灰燼に帰すだろう。

 だが。

「それがどうした?」

 今さら命のひとつやふたつ、どうなろうと知ったことか。全員殺して、終わり。それが一番わかりやすくていい。たとえその中に私が含まれていようが関係ない。私は、それくらい多くの人間を殺しすぎた。

「――仕方ない、か」

 首なしライダーは一度顔を伏せ、次の瞬間に私の眼前にまで迫っていた。

 突き出された手が私の顔面を突き抜け、脳の内部へと達する。幽霊であるから物質の透過も自由自在というわけか。

「少し悪さをしすぎたな、明日葉逸花。残念だが、君の意識と人格を、強制的にシャットダウンして再起動させてもらう。文字通りの私の乗り物として使いやすいように、君の意識を調整しておくよ」

 脳の中に直接、首なしライダーの膨大な意識流が侵襲してくる。

「なにか言い残すことはあるかな?」

「ああ、そうだな。本当の戦いは、ここからだ」

 私の意識はそのまま、凄まじい濁流に呑まれて消えた。

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