三回目、あるいは最初の夢

 バーベキューコンロの中の炭は燠火よりもさらに弱い、赤い光を放つことなく熱を保った状態で安定している。庭の真ん中に置かれているから、雨が降ればその熱も全部消し飛ぶだろう。

 掃き出し窓は鍵がかかっていない。靴を脱いで、窓の付近に脱ぎ散らかされている室内用のスリッパに履き替える。電灯はすべて消えているわけではなく、常夜灯らしきものが各所に点いている。

 階段を上がる。音を立てないようにしたつもりだったが、ぎいぎいと軋んで少し驚いた。この程度のことを気にしていてはやり遂げることはできないと、気にせず歩も早めずに階段を上がっていく。

 二階の廊下。まだあちこちの部屋の中でひとの気配がする。ちょうどいいと思って耳を澄ます。ベッドが揺れる音と女の喘ぎ声。最初に殺すにはなんともうってつけだ。

 外から鍵をかけられるということは、外から鍵を開けられるということでもある。

 だがわざわざ鍵を作ったり、ピッキングを行うようなまどろっこしい手段は選ばない。手斧でドアノブを壊し、手っ取り早く中に侵入する。

 けっこうな音がしたはずだが、部屋の中の男女は気づいた気配はない。枕元には白い粉末と注射器。夢中になっているのはこれのおかげらしい。実に都合がいい。

 女に覆い被さっている男の首に右から斧を振り下ろす。かなり深くまで斧が入り込み、男の首がぷらんと横に倒れる。斧を抜くとおびただしい量の出血。

 男をベッドの左側に転がし、女の首にも同様に右から斧を入れる。身体を重ねていた関係上、仰向けに転がすと逆側から斧が入ったように見える。

 的場一と津井初は、最初の犠牲者として十分な働きをした。


 目を覚ました私は気づいた。

 気づくのが遅すぎた。だが決定的な事実を踏まえて、ようやく結論にたどり着けた。

 ――おそらく、順番が逆だ。

 六花の推測の意味がようやくわかった。同時にとてつもない焦燥感に駆られる。六花は――六花は無事なのか。

 ベッドから跳ね起き、まだぐらつく頭を押さえて部屋のドアへと向かう。外からも施錠できるが、サムターンがある以上内側から開けられない道理はない。

 廊下に飛び出す。六花の部屋がどこかは知らないが、階段を上がってすぐの部屋に向かって駆け出していた。

「六花! 六花っ!」

 部屋の鍵は開いていた。私は中に駆け込み、夢で見た通りに喉笛を貫かれて絶命している六花の死体を発見した。

「あ、ああ――」

 私がこれまで三回にわたって見てきた夢の時系列は、順番が逆――本来行われる犯行の順番から逆行していた。

 最初に見た夢が、最後の大量殺人。

 二番目に見た夢が、いま目の前で死んでいる六花の死。

 そして三番目、まさにいま見た夢が、最初の犠牲者である的場と津井の殺害。

 すでに私が見た夢は予知夢ではなくなっていて、順番通りに遡っていった結果、過去の出来事を犯人の視点で夢に見たことになる。

 六花は私がふたつ目の夢を見た時点で、その法則性に気づいていた。

 的場と津井の死体を発見して、六花は確信したはずだ。私の予知夢――犯人の殺害現場の幻視で見た犠牲者の数が、的場と津井の死でぴったりと合った。ならば、次は夢の通りに自分が死ぬ番だと。

 はっとして、私は六花の死体の近くに目を走らせる。

 六花は自分の死を、私の夢を通じて確信していた。ならば必ず、なにかを遺しているはずだ。探偵だという自覚を持ち続けていた六花なら、絶対に――。

「あった――」

 冷たくなった六花の頭を支えている枕。その下に、一枚の紙が滑り込ませてあった。

 一刻も早く読まなければ。サロンのメンバーに見つかる前に。だが手紙の内容は極めてシンプルなものだった。


 指紋認証

 駄目なら誕生日


 一瞬呆気にとられるが、すぐさま六花のスマホのロックの解除方法だと理解した。机の上に置かれたスマホを開く。死体となった六花の指を押し当てる気にはなれなかったので、記憶の中の六花の誕生日を四ケタの数字にして入力する。だが暗証番号が間違っていると表示される。

 落ち着け。六花はこのメモを読むのが私だと確信していたはずだ。

 ならば――まさかと思いつつ私の誕生日を四ケタの数字にして入力する。死の寸前に暗証番号を変更していたのか、あるいはもともとだったのか――とにかくロックが解除され、ホーム画面の目立つところにメモアプリが配置されているのを見つけて開くと、「逸花へ」というタイトルのメモが一番上に表示されていた。



 逸花へ

 私の推理が正しければ、的場一と津井初が殺される夢を見たはずだ。

 そしてこれを読んでいるということは、君の見た夢の逆順通りに、私が殺されているということになるだろう。

 君ももう気づいているだろうが、君の予知夢はすでに予知夢ではなく、この惨劇を始めている殺人鬼が起こすであろう・起こしてきた惨劇の場面を未来から過去へと遡って順番通りに見ていることになる。

 できることなら、君がこれ以上悪夢に苦しむことがないように願う。とてもいやな予感がするからだ。いいか。決して夢に囚われるな。私は君の夢を信じたが、君が君の夢を信じる必要はどこにもないのだから。

 さて、私の荷物の中には君に話した通りの資料がまとめてある。私に代わって、君がこれをしかるべき場所に提出してくれることを切に望む。



 このメモを読む限り、六花は自分が間違いなく死ぬことを受け入れて私にあとを託したように受け取れる。

 運命を受け入れ、予知夢を信じた六花は、自分がここで死ぬという運命に逆らわないことを決めた――いや、ありえない。全部がではない。一部というか、小さなあちこちの箇所が、私の知る六花の像と噛み合わない。 

 そもそも私の予知夢が外れて、六花が死ぬことがなかった場合、このメモを私が発見することはなかった。だからほんの気まぐれでメモを作成し、枕の下に手紙を置いて、死ぬはずはないと眠ることもできた。

 いくら運命を受け入れたなどと豪語していようが、目の前に迫る自分の最期という運命のなすがままにされるような間抜けでは――六花は絶対にない。

 まず、六花は私から自分が死ぬ場面の詳細を聞きだしている。だから六花はまず朝一番にこのコテージを去ろうとしていた。

 その途中で、的場と津井の死体を発見。この時点で予知夢の犠牲者の数が合い、六花は次が自分の番だと確信する。

 同時に自動車のエンジンが破壊されていることが判明する。六花ひとりで駅に向かうことはほぼ不可能となる。

 そして小森が私と六花の監禁を提案。有無を言わさず私たちはそれぞれの部屋に閉じ込められる。

 このメモを書いたのはおそらくその時点。だが六花は私の夢を介して自分が殺されるシチュエーションを熟知している。決して隙は見せないように、常に気を張っていたはずだ。

 そこで私は気づく。

 今は何時だ――。

 手元の六花のスマホで確認する。午後三時過ぎ。日付も変わっていない。監禁されてからずっと、太陽は昇ったままだ。

「あっ――」

 自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づく。

 六花が殺される夢の場面は、夜ではなかったのだ。雨雲が厚く、室内が薄暗いために電灯が点いていて、だから動きやすいという感想を抱いた。

 六花にそのことを伝えていたか? 夜の犯行だったと間違った情報を伝えてはいなかったか?

 動悸が収まるのを待って、私は小さくうなずく。間違った先入観を植えつけるような発言はしていない。六花のことだから、起きている限り常に緊張感を持っていたはずだ。

 ではなぜ、六花は殺されたのか。六花は昨夜一睡もしていない。薬を盛られた私を守るために不寝番をしていたからだ。

 であるならば、日中睡魔に襲われたとしても不思議はない。不思議はないが、はるかに強い意志の力で、六花は絶対に眠らないようにしていたはずだ。

 眠った理由――部屋の電灯は点きっぱなしだった。

「逸花ちゃん、駄目じゃないか。早く部屋に戻って」

 私の部屋がもぬけのからだったことを見つけたのか、泉が開け放たれた六花の部屋のドアの前から声をかけてきた。私の様子が妙なことに気づいたのか、部屋の中に踏み込んでくる。

「うわっ――し、死んでる、これ?」

 六花の死体を覗き込もうとした泉の胸ぐらをつかんで勢いよく壁に押しつける。突然のことに目を見開いた泉はなにか言おうとしたようだが私の両拳が首を圧迫してそれを許さない。

「お前か」

 このサロンに入ってから一度も出したことのない低く重い声。

「うぐっ、な、なにが――」

 わずかに押しつける力を弱め、返答ができる程度に自由にさせる。

「お前が、六花に薬を盛ったのか」

 六花が眠った理由。自然の睡魔ならば理性でねじ伏せる。だが、ほとんど抗うことのできない外的要因があったとしたら。

 泉は睡眠導入剤をデートレイプドラッグとして私に対して使用した。おそらくはそれ以外にも合法非合法含めた薬物を所持している可能性が高い。その中のどれかを六花に対して使い、彼女を眠らせたとしたら。

 極限の緊張と昨夜一睡もしていない状態で、抗いようのない薬物が入れば、六花であろうと簡単に寝入ってしまう。

「な、なにを言ってるんだ。俺から見たら、逸花ちゃんがその探偵を殺したようにしか見えない――」

 もう一度強く泉を壁にぶつける。揺れた頭を思い切りぶつけて呻く泉から手を離し、床にずり落ちていく泉を見下ろす。

 自分より大きな男を一方的に伸してしまうような力が、果たして私にあっただろうかという疑問が一瞬頭をよぎるが、今は興奮と怒りのほうがはるかに優性だった。

 騒ぎを聞きつけてほかの参加者たちが六花の部屋に次々踏み込んでくる。

 床で伸びている泉とそれを見下ろす私。そしてベッドの上の六花の死体。異様な状況にもかかわらず誰も叫んだりパニックを起こしたりしなかったのは、射殺さんばかりに炯々と燃える私の眼光に肝を潰したからだと少し遅れて気づく。

「今夜、全員死ぬ」

 私はそこから自分の見た夢について誰にでもなく語り始めた。すでに六花に話したあとなので、打ち明けるという感覚はなく、脅すような口調で蕩々と語って聞かせた。

「そんな馬鹿な」

「夢で見たなんて」

「目立ちたいだけでしょ」

「どうせ後付けで話を付け足してるんだろう」

 口々に私を罵る面々を黙らせたのは、意外なことにオーナーの小森だった。

「いえ。この状況ですから、逸花さんの夢は信じたほうが賢明でしょう。そしてそのおかげでわかったこともある」

「といいますと?」

 吹田がお伺いを立てる。

「犯人はこの中にはいない。外部の人間の犯行だということです。そしてこんなことができる殺人鬼といえば」

「あ! 首なしライダー!」

 日本中を恐怖に陥れている謎の連続殺人鬼。私の見た夢は、その殺人鬼の目にした光景だと小森は結論づけた。

「みなさん、これはチャンスです。私たちは逸花さんの夢を通じて首なしライダーの真相に迫っている。逸花さんは眠るたびに、首なしライダーの殺人現場を遡っている。先ほど見たのがこのコテージでの第一の殺人であったなら、次に見る夢は、そのさらに前の殺人現場ということになります」

「そうか! その中で首なしライダーの正体を見極めることができたら!」

「首なしライダーの正体を突き止めることができる!」

「そうなればもう怖がることもない! 首なしライダーは正体を明かされ、すぐにでも警察に捕まる!」

 小森が起こした興奮の渦に次々と飛び込んでいくメンバーは明らかにもう現実を見ていなかった。

 首なしライダーの正体がわかったところで、すでに凄まじい数の人間を殺している事実に変わりはなく、このコテージで凶行におよんでいる最中だという状況も改善するわけではない。

 ここが孤立した山中の別荘であり、その中で殺人事件が起こっており、しかも誰も警察に連絡する気がないという狂った前提は変わっていない。

 本来であれば私が六花に代わって警察への通報を第一にすべきだと主張すべきなのだろう。だが今の私にはそんな気はさらさらない。

 六花は、こいつらに殺された。

 わかっている。実際に殺したのは夢の中の私すなわち首なしライダーだ。そして首なしライダーはこの中にはいない。

 だが六花はその未来を回避するだけの知恵と胆力を持っていた。それが外的要因によって潰され、むざむざ死ぬことになってしまった。

 だったらさ、もう全員殺して、終わりでいいんじゃないか。

 私が夢の内容を語ったのは予知夢を回避させるためではない。ただ怖がらせ、焦らせ、混乱させるためだ。

 案の定、首なしライダーの正体を確かめるという方向に話がすっ飛んでいる。

 泉を助け起こした滑田が何事か伝え、うなずいた泉と一緒に部屋を出ていく。

 小森が大きく腕を広げ、私の視界を遮る。

「さあ、では逸花さん。もう一度眠っていただけますか。もちろん、快適な睡眠ができるようにこちらでいろいろと取り図らせていただきますよ。その代わり、夢で見たことはひとつも漏らすことなく伝えてくださいね」

 右手にペットボトルを持ち、左手を握った滑田が戻ってくる。

 茂手木と小野が私を取り押さえ、強引に口を開けさせる。そこに滑田の手の中に握られていた錠剤を押し込まれ、ペットボトルの水を飲まされる。

 吐き出そうという気は起きなかった。

 いいさ。そっちがその気なら。

 見てやるよ。夢を。

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