強襲と迎撃

 後部座席に座ったまま、六花の運転する自動車で山道を引き返す。現在地がわからなくともカーナビがついていたので、目的地をあのコテージに設定してルートをたどればいいだけだという。

「その顔だと、なぜ私が見えているのか理解できていないみたいだな」

 六花は絶句したままの私をルームミラーで確認し、小さく笑う。勝手に車を発進させ、コテージに向かい始めたのは六花がやったことで、私はひとことも口を出していない。だというのに六花は心中などお見通しとばかりに運転手に徹していた。

「まだ踏みとどまっているのか。メインストリームに直接触れたわけではないからな」

「六花は、首なしライダーなの?」

「そうだ」

 躊躇なく即答。半分わかっていたとはいえ、急に直接本人の口から告げられる衝撃は重い。

「正確には、少し前までは、だな」

「なんで――」

「私は探偵であるという運命を受け入れている。それと同じことだ。私は首なしライダーであるという運命を受け入れた。あとは簡単だ。殺すのはとかく楽なんだ。首なしライダーであると、ことさらにな」

 少し寄り道をすると言って、六花は大きな道に出てホームセンターに立ち寄った。

 戻ってきた六花が抱えていた荷物を投げ渡される。手斧。牛刀。フルフェイスのヘルメット。

「なに。また殺すの?」

「私には無理だよ。幽霊だからな。あんたがやりたいと思ってるから揃えただけだ」

「私が――首なしライダーになれってこと?」

「そうだ。首なしライダーとは元来そういうものなんだよ」

 車を発進させる六花は笑っている。私の知る六花は困惑する相手を前にこんな笑い方をしただろうか。

「あんたにわかりやすいたとえだと、そうだな……七人ミサキは知っているだろう」

 その名を聞いて、急にすべてがすとんと腑に落ちた。

「そういう――ことなの?」

 七人ミサキとは死神の一種だ。七人一組で行動し、これに行き逢った者は大熱を出して寝込んでしまうとされる。元は人間だっといい、生きている人間をひとり殺すと、七人のうちひとりが成仏できるが、代わりに殺された者が新たな七人ミサキとして列に加わる。殺すことが救いとなるが、その数だけ新しい犠牲者を生み続ける。呪いの総量に変わりはなく、常に新しい犠牲者であり仲間を求め、延々と死をばら撒き続ける。

 つまり、首なしライダーとは――。

「首なしライダーは言ってしまえば怪異であり、そういう現象だ。首なしライダーが最初に起こした事件は当然知ってるな」

 うなずく。長崎県での小学生三人の轢死事件。

「そこに、本当に仮面で顔を隠した怪人はいたと思うか?」

「どういうこと」

「その場に居合わせた同級生が、口から出任せで犯人の存在をでっち上げていた可能性もなくはないということだ」

 理由はさまざまに考えられる。だがそれを確かめるすべは今の私にはない。

 いずれにせよ結果として、仮面で顔を隠した怪人という存在は「首なしライダー」という俗称とともに世間に知れ渡った。

「首なしライダーは拡散し、展開された。まず第一に消費される物語として」

 首なしライダーが大きく世間に広まったのは、都市伝説としての取り扱いからだった。真偽など二の次に、首なしライダーという話、話型、伝承となって、大きく膨れ上がっていった。

「そこに乗っかるかたちで、宮崎県の通り魔事件が起きた」

「あれは首なしライダーの仕業じゃなかったってこと?」

「今は間違いなく首なしライダーの所業のひとつだが、少なくとも当時はまだ違ったはずだ。その時点での首なしライダーのストリームは今ほど大きくない」

 宮崎県で起きた通り魔事件の犯人は、首なしライダーの都市伝説を参照していた。だが犯人は、その時点では首なしライダー本人ではなかった。首なしライダーの都市伝説を参照し、引用し、実行に移した悪趣味な殺人鬼でしかなかった。

 ところが犯人は逃走に成功する。頭を着ぐるみで隠した殺人鬼の正体はわからないまま、首なしライダーの名は大きく轟くことになる。

「顔を隠した正体不明の連続殺人鬼、首なしライダー。模倣犯もいただろう。顔を晒さずに殺人を犯しただけの者もいただろう。だがそうした行為はすべて首なしライダーという話、話型、伝承に集約され、統合されていった。そうするとなにが起こるか。殺人事件が起こり、首なしライダーの存在が示唆されるという因果は容易に逆転を始める」

 伝承空間において、因果律は意味をなさない。イザナギとイザナミが国生みを行ったから日本列島があるわけではなく、すでに存在する日本列島の上で神話を作り整理した者がいたからイザナギとイザナミの国生み神話が残っている。伝承空間では実際の因果は無視され、伝承は因果律に支配されない。

 夜道で着物の袖が引っ張られる。それは木の枝に袖が引っかかっただけだとしても、人間の想像力はそこに何者かの存在を幻視する。袖引き小僧という妖怪はこうして感得される。袖が引っ張られることによって妖怪の存在を感得するという本来の因果は、袖引き小僧という妖怪が夜道に現れ袖を引っ張っていくという伝承となって因果律から解き放たれる。

 六花は――首なしライダーは言った。首なしライダーとは怪異であり、現象だと。

 それはつまり、伝承と化したように因果律の支配から抜け出していることを意味する。いや、実際に伝承となったのだ。首なしライダーの話は誰でも知っていた。共通認識は通底していた。首なしライダーは間違いなく現代の伝承――妖怪――怪異だった。現在進行形で現実に死者が出ているという、異常な点に目をつぶれば。

 妖怪や怪異は、現実に人間を殺すことはない。「人間を殺したという伝承」が残っているだけで、伝承空間から這い出てくることはないのだ。目の前で人間が死んだ事象を「妖怪の仕業」と主張すれば、それがどれだけ不謹慎で非現実的なことを言っているか身に染みてわかるはずだ。

 だが首なしライダーは違う。その被害者は現実に増え続けていった。怪異妖怪と同じレイヤーの存在でありながら、現実の殺人という強力無比な肉付けを行われ続けた首なしライダーという伝承が、伝承そのもの自体が、なにか恐ろしい、得体の知れないモノへと変容を始めていったのは、ある意味自然な流れだったのではないか。

 因果は、逆転する。

「首なしライダーという正体不明の連続殺人鬼が存在し、殺人事件を起こす。この逆転した因果を説明づけるために、首なしライダーは正体不明の連続殺人鬼として偏在していなければならない。逆転した因果をもう一度逆転させるために、首なしライダーは現実に侵食を開始した。首なしライダーの話、話型、伝承そのものが、姿なき殺人鬼という集合意識流として人間の意識に乗り移るライダーとして作用し、『変身』を始めた。黙示録の第四の騎士――ペイルライダーのもたらす死と疫病。ウイルスさながらにな」

「理路は、わかる。いやわからんけど、理解はできるよ。でも、私は話の――物語の力をそこまで信じてない。首なしライダーがいくら強い物語になっても、虚実の皮膜から抜け出すだけの奇跡を起こせるとは思えない。なにか、重要なピースが抜け落ちてる」

 六花は声を上げて笑った。

「そうだな。私が見えている時点で隠し立てするのは得策じゃなかった。種明かしをすると、首なしライダーが因果を逆転させ、現実に侵食しうるだと目をつけた存在があったのさ。それは時と場所によって、〈鬼〉、〈悪魔〉、〈被展開体〉、〈アーカーシャ〉、〈ミームファージ〉……その他さまざまな呼び方がされている。ヒトが思考を始める前から、意味と概念が存在するところに涌き出る宿痾のようなもの」

「――それが、いま私と話してるお前の正体、ってこと?」

 死者は蘇らない。私の見ている六花は当然、私の脳が生み出した幻影にすぎない。その幻影のかたちを使って、私に語りかけてくる意識体こそが、首なしライダーの本質。

「悲しいことを言うなよ。私は完全にあんたの知っている巴六花そのものだよ。首なしライダーになった時点で、私の意識と人格は遠大な意識流に取り込まれた。だから肉体が死んでも、私の意識は首なしライダーに接続した人間の中でこうして再現可能なんだ」

「だから七人ミサキ――か」

「ああ。違うのは、どれだけ人間を殺しても、新しく首なしライダーを生み出しても、私たちがこの意識流から逃れるすべはないということくらいか。でもそれは問題じゃない。生命に縛られることなく、永遠に心地のいい流れの中に意識を置いておける。これはちょっとした救いだとは思わないか? だから首なしライダーは殺し続ける。その中で次の首なしライダーを見繕い、同じ救いを与えるために」

「それで、あの子にキスしたの?」

「怒るなよ。さっきはウイルスにたとえたが、首なしライダーはそこまで無節操に増殖できるわけじゃない。伝承であり概念であり意識である首なしライダーが新しい宿主に定着するためには、それ相応の劇的なイニシエーションが必要になる。たとえば、『惨劇の一夜』のような、な」

「ファイナル・ガールが次々スラッシャーに感染していくわけ? 悪趣味な文脈の使い方……」

 殺人鬼が人間を殺し回るスラッシャー映画というジャンルにおいて、決まって最後に生き残る少女。その定型から生まれたのが「ファイナル・ガール」という概念だ。首なしライダーはその概念を、自身の拡散のために利用している。意図的にファイナル・ガールを作り出し、連続殺人鬼である自身との概念的接触を行う。そうしてファイナル・ガールは首なしライダーに感染し、今の私のようにその意識流との対話と同化を強要される。

「待って。じゃあなんで私は首なしライダーになりかけてるの? 私はたしかに六花と友達だったけど、直接首なしライダーに接触したわけじゃない」

「言っただろう。因果の逆転は容易いんだ。夢を――予知夢を見たと話してくれたじゃないか」

 すべての発端は、たしかにあの夢だったように思う。人生で初めて見た夢。そもそもなぜ、夢を見ないはずの私が夢を見たのか。

「君は、未来で首なしライダーに感染したんだ。そこから因果を遡り、夢というかたちで君の中に首なしライダーが宿った。首なしライダーとしても予想外の事態だった。かつて類を見ないほどにまで展開したミームが、未来へとその手を伸ばして、君を捉えた。いよいよ首なしライダーは未踏の位相へと展開を開始したのだと、君から夢の話を聞いて身が震えたよ」

 言葉遣いが六花のものからズレ始めている。それほどまでに、首なしライダーにとって未来からやってきた感染者である私の存在は衝撃で、劇的だったのだろう。

 私は未来で、あのコテージに現れた首なしライダーから逃げ惑い、最後のひとりになって生き残るはずだった。

 だけど、今は違う。

 私自身が新たな首なしライダーとなって、夢で見た惨劇の再現を行うためにコテージに向かっている。

 私の目には六花が運転しているように見えているが、実際は私が運転席に座って、首なしライダーの中の意識と記憶を利用して運転しているのだろう。ホームセンターで買い物をしてきたのも私だったはずだ。いくら首なしライダーが現実に侵食しようが、実体の伴った死者をこの世に呼び出すなんて真似はできない。私の脳は都合のいい幻影に騙されたまま目覚めようとしない。

 思ったよりも首なしライダーは私の中に深く食い込んでいる。いや、首なしライダーの意識と対話を行っている時点でもう後戻りはできないところまで来ているのは間違いないのだが、私はまだ自分の中に正気の部分が残っていると信じていた。それもどこまで信用できるのか怪しくなってきた。

 気になるのは、やはり彼女の存在だ。

 六花に感染させられ、本来の時間軸で首なしライダーとして殺戮を行い、私を次の首なしライダーに感染させるはずだった、夢の中でつながった彼女。

 彼女は私の夢のことを知らない。予知もできていない。

 だから、私が向かう先にはまず、彼女がいるはずなのだ。

 未来で首なしライダーに感染し、予知夢というかたちで現出した結果、私の目的は完全に「夢の実現」に固定された。

 それは図らずも同じターゲットを、ふたりの首なしライダーが狙い合うという歪んだ構図を生み出した。

 私はその懸念を口に出さない。意識そのものの流れである首なしライダーに私の意識が筒抜けである確率は高いが、このイレギュラー要素がなんらかの意味を持つことになる可能性は残しておきたかった。

 六花が車を止める。すでに日は暮れていて、夜の山道の中途で現在地はまるでわからない。身を乗り出してカーナビを覗き込むと、コテージのすぐ近くであるとわかった。まさかこれから殺戮を開始する殺人鬼が、奪った車をターゲットの駐車場に停めておくわけにはいかないだろう。

 車から降り、フルフェイスのヘルメットを装着する。牛刀と手斧。クロスボウは手に入らなかったらしい。夢の通りというわけにはいかないようだ。

 問題ない。全員殺すという結果は変わらない。

 森の中に入ってコテージを目指す。それほど距離はないはずだが、夜の獣道が行動を阻害する。それでも自分で思っているよりも身体がスムーズに動き、傍から見れば完全に闇夜に紛れた殺人鬼そのものだった。

 やがてコテージの灯りが見えてくる。夢で見たのと同じように、煌々と電灯を点けたコテージは夜の中で際立って目立つ。

 森の中からコテージの様子を窺う。見張りのためにふたりの男――泉見晴と滑田天馬が外に出ている。両方生きているということは、彼女はまだ行動を起こしていない。

 風を切る音。泉が煙草をくわえてライターを探しているタイミングで、彼女が矢を放った。夢の通りだ。頭部に矢を受けて泉が倒れる。それが嚆矢となる――はずだった。

 泉はライターを探していた手を不意に顔の前に掲げると、指二本で飛んでくるクロスボウの矢を掴み取り、くるりと鏃の向きを回転させて、手首のスナップだけでそれを闇の中に投げ返した。

 投げ返された矢のスピードはクロスボウで放たれた時よりも速い。トッ、と軽い音がして、おそらくは木に矢が突き刺さる。

 続いて闇の中から矢が放たれる。ゆらりと立ち上がった泉は、最小限の動きで矢の射線から身体を外しながら、彼女が潜んでいる闇の中へと迫る。

 わけがわからない。泉の動きはどう考えてもまともな人間のそれではない。

 彼女も混乱したのだろう。牛刀を持つと、一直線に泉へと突進した。

 泉は突進してくる彼女を十分に引きつけると、目で追えないほどの速度で右足を振り上げた。つま先が彼女の手と、その中に握られている牛刀を弾き飛ばし、牛刀が宙高く打ち上げられる。

 掲げられた足がそのまま横に振り下ろされ、彼女のヘルメットで守られた顔面を撃ち抜く。よろけた彼女の首と腕に足を絡ませながら地面に倒し、そのまま両足で三角絞めに持ち込む。

 牛刀が地面に突き刺さると同時に、彼女の全身から力が抜けていくのが見て取れた。

 なすすべなく気絶した彼女を米俵のように担いで、泉はコテージの中へと戻っていく。

 私はただ呆然と夜の森の中で突っ立っていた。

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